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ここへくるまで① (拒食症克服まで)
23歳のころ、、
大学を卒業してからのこと。
親が会社をしていたこともあり、少し就職活動をして、そのまま親のところでお世話になっていた。甘えていると言われれば返す言葉もない。就職活動、、うまくいかなくて、楽な道を選んだ。
兄が2人いるのだが、外で働いたほうが良いと言われた。だが、甘えることを選んだ。
就職活動なんてしなくて良い。そのままここで働けばよい。そんな言葉に甘えてそのまま、親元で働いた。
過保護な親だと言われれば、そうだし、そうなるには少し理由もあった。。高校生の時、手術をした。生まれつきの、先天性のものだった。。。。。。将来、耳が聞こえなくなるかもしれない。
両親はとてもショックを受けたと思う。聞いたことはないが、自分の親だ。どう思ったかわかる。特に母は自分が、不自由に生んでしまったんだと、言うようになった。父は必死に病院を探してくれた。。。。。。。。。。。。片耳だけ、手術をした。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。一週間、歩くことができなかった。三半規管を触ったこともあり、目がずっと回ってる状態だった。数年後に知ったことだったが、母はずっと病院に泊まり込んでいた。毎日、毎日、食べることもできずに、吐いていた。10日の入院生活で10キロ減った。片耳はもう手術はしない。そう、心に決めた。たとえ、左耳が聞こえなくなっても。
この手術のリスクは、耳鳴りが一生するかもしれないというものだった。。そして、残った。常に右耳は3種類の耳鳴りがしている。でも、聞こえているだけで私は幸せで、この両親のもとに生まれることができて、本当に毎日幸せだった。
何不自由ない生活。。。。。でも、贅沢だけど、なにも刺激のない生活。
そんなころ、24歳のころのに結婚した。
好きだったか、、心から好きだったかと言われれば、
好きではなかった。どうして結婚したのかと聞かれても、答えることができない、、ただ、勢い、若気の至り。そんなことを言えば怒られるかな、、、あの頃は、結婚すればなんだか大人になった気がして。人よりも先に行った気がしてた。でも、そんなこと思ってたのは自分だけだった。
仕事はそのまま、やめることもなく通いながら生活だけが変わった。
毎日何が変わったかと言われれば、帰る場所が変わっただけ。
もう一つ変わったこと、
気づけば、体重が減っていた。
普通だったら、痩せたね、ダイエットしてるの?なんで聞かれると思う。。でも、痩せ方が普通ではなかった。あの頃何を食べていたかなんて、覚えていない。ただ、体重が減っていくのがうれしかった。
それと同時に、、、、毎日、毎日、言葉の暴力を受けていたことは、そのころは気づかずにいた。自分が悪いんだ、だからこの人は怒っているんだ。直さなければ。
でも、何を治すんだろう?
何を食べても味がない。さらに体重は減っていった。
気づいたら、29キロになっていた。。。
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