不惑世代のワーキングスタイル、「時間の余白」は「暇時間」か?仕事の筋力を伸ばしていく!
こんにちは、aicafeです。
40代、人生時計で14:00頃に差し掛かったところです。
これからの人生の午後の時間の過ごし方を模索中です。
不惑世代のワーキングスタイルとして、「時間の余白」の大切さについて書きました。
これを書いた直後、美容院に行ったのですが、美容師さんとの会話に、一つ気づきがありました。
美容院の夏の暇時間
この美容室では、夏の間はしばらく暇な時間があったそうです。
朝と夕方に予約は入っているが、間の昼間は予約がなく、暇をもてあそぶ時間があったと。
スタッフによっては家に帰ってまた再出勤する人もいたのだそうです。
ところが、9月に入る頃には、ものすごく忙しくなった。
みんな新学期を前に、また暦の上で秋に切り替わる前に、髪を整えておきたいという気持ちになったのでしょうね。理解できます。
一日に途切れなく予約があり、久々に忙しいと感じたと。
美容師さんはわたしより少し若い男性で、独身で、店長さんです。
店長さんは、「今日はすごく忙しかったな~、いやぁ、少し忙しいくらいのほうがいいですねー」と何気なく言いました。
仕事の筋力は負荷をかけないと伸びない。
その日の店長さんは八面六臂の大活躍で実に忙しそうにしていたので、わたしは、「余裕のある時間があったほうがよくないですか?」と尋ねてみました。
すると、店長さんは「んー」と少し考えてから、「それだと伸びなくなる感じがします。これでいいや、と甘んじてしまうというか。」と答えました。
これはその通りだなと思いました。
仕事の筋力は、負荷をかけないと伸びません。
わたしの脳裏にふと浮かんだのは、「時間に余白を作って心に余裕を持つ」という不惑世代のワーキングスタイルは、仕事の筋力の「伸び」を諦めているのか?ということです。
時間に余白をつくることは、仕事の筋力の伸びを諦めているのか。
多少オーバーキャパシティ気味に仕事をし続けることで仕事の筋力が伸びるのだとしたら、「時間に余白を、余裕を作る」なんてのん気なことを言ってたら筋力が衰えてしまうように思えます。
しばし、わたしは考えました。
そして、「時間の余白をつくる」ということは、仕事の筋力の「伸び」を諦めているのではなく、
仕事の筋力を伸ばすための「負荷のかけ方を変えている」ことなのだと気づきました。
経験値のある不惑世代は対応力が上がっているのでこなせる量は増えてはいるものの、一方で体力や記憶力が衰え始めているので、単純に業務量を増やすことではもはやストレッチが難しいと思うのです。
そこは量ではなく「質」、より高次のレベルの判断や対応で、負荷をかけていくのが不惑世代ではないでしょうか。
この質を向上させるためには、1日の時間がいっぱいいっぱい過ぎると、若い頃よりすり減った脳のメモリーが、本来仕事の質向上のため使いたい処理量をそれ以外に費やすことになってしまい、結果、上手に負荷をかけられません。なので、時間の余白を生み出して、心の余裕を確保することが必要なのだと考えます。
「時間の余白」は、暇時間か。
ではその「時間の余白」は「暇時間」なのか?とも考えました。
これは、いわゆる「暇」と同義でもいいのかなと思いました。
余白の時間の使い方はその人次第だと思います。
余白の時間を、読書やセミナー参加とか自己投資に使うことで仕事の質を上げる人もいるでしょうし、ぼんやりぼーっと<積極的に>暇に過ごすことで活力になる人もいると思います。
そういう意味では、「時間の余白」とは、過ごし方は自由だが無為に過ごす時間ではなく、主体的に過ごす時間と言えるのではないかと思います。
何気ない会話から、少し掘り下げて考えるきっかけをもらいました。
美容師さんは店長という経営者の視点から(暇でも経営は何とかなってるが)甘んじてはいけない、忙しいことは店舗の営業成績の上がるよいことだ、という考えにも基づいた一言だったと思いますし、職種が技術職なので、わたしのような事務系職種の人間が求める「心の余白」とはまた違うことで心の余裕を生んでいるのだろうなあと思いました。
この店長美容師さんからは、以前、生活の楽しみ方のアイディアを教えてもらったので、また書きたいと思います。
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