【連載小説】「青く、きらめく」Vol.30 第五章 波の章
それからしばらくの間、マリは部活に顔を出すことができなかった。
カケルと、あんなことがあったあとでは、とても平静を装って、舞台の練習などできない。自分は、カケルを受け入れることができなかったのだ。たとえ、それが反射的なものだったとしても、根本的な二人の関係は、もう変わらないような気がした。それを認めてしまうのも怖くて、カケルに会うのもつらかった。けれど心は恋しくて、ともすれば、経済学部の校舎を遠目で眺めたり、進まない練習に焦っているだろう部室の窓に目をやったりした。
「みんな待っているよ。いつでもおいで。部活以外でも、話ならいつでも聞くからね!」
明るい調子のさっぱりしたメールを、由莉奈が時々くれた。
部活に顔を出さなくなって一週間ほどたったころ、理工学部の徹ちゃんが、わざわざ文系側の学食まで来てくれた。部室に顔を出さない理由を特にたずねなかったが、代役美晴で練習を進めている、と言っていた。
「この前からのケンカがずっと続いているわけ?」
徹ちゃんの問いには直接答えずに、マリは逆に問う。
「カケル、私が来ないこと、何か言ってる?」
「特には」
静かなところでもう少し話したい気がして、学外のカフェにつき合ってもらう。徹ちゃんは、コーヒーにミルクを注いで、スプーンでうずをかき混ぜた。
「別れたってわけじゃ……ないんだよね」
マリは、首を傾げながら、あいまいにうなずく。
「冷戦は続く、か」
徹ちゃんがひと口、カップからコーヒーを飲む。
「……まぁね。そんなとこ」
マリは、ほおずえをついたまま、湯気が立っているカフェオレボウルを見つめる。マリの横顔をちらりと見て、徹ちゃんが言う。
「よっぽどだね」
何と答えてよいか分からず、マリは苦笑する。ミルク色のカフェオレボウルを、両手で包み込む。温かい。
「カケルさんも、もともとプライベートのことをしゃべらない人だし。みんなさわらぬ神にたたりなし、って感じだよ。マリちゃんのこと、話題にもできない雰囲気」
徹ちゃんが大きくため息をつく。
「何もなかったように、気楽に来てみたら」
マリは、うーん、と小さくうなってひじをつく。
「マリちゃんは、このままでいいの?」
煮え切らないマリの態度にしびれを切らしたように、徹ちゃんが言う。
「カケルさんは、マリちゃんからのアクションを待っている気がする」
それから、少し小さい声でつけ加えた。
「男って意外と臆病だから」
マリは、冷めかけているカフェオレボウルから顔を上げると、まじまじと徹ちゃんを見つめた。
「徹ちゃん……」
「いやぁ、その」
急に気恥ずかしくなったのか、徹ちゃんの顔が少し赤くなった。
「なんか、はっきりしないまま物事が進んでいくのが気持ち悪いっていうか。ほら、ぼく理系だし」
「徹ちゃんは、きっとこれからすごくいい恋愛をすると思う」
そう断言されて、徹ちゃんはえへへ、と照れ笑いしながら、頭をかいていた。
マリが部活に顔を出したのは、その二日後だった。それまでカケルからは、電話はおろか、メールも来なかった。
……ごめん。
それが、カケルが最後にマリに投げかけた言葉だった。まだ、その言葉の余韻が体の中に残っている気がした。
少し遅れて顔を出すと、立ち稽古に入ったところだった。マリは、邪魔にならないよう、音を立てずに部屋にすべりこむ。
一同、マリに視線を送った。カケルもマリを一瞥したが、すぐに練習に目線を戻した。そして、思わず固まってしまった美晴に声をかけた。
「いいから、続けて」
立ち稽古は最後まで続けられた。マリは、じっと立ち尽くして、カケルを見ていた。カケルと、彼をとりまく世界を。美晴の演技は伸びやかで、声は凛として冴えていた。部屋に入る前は、最後のシーンは見たくないと思っていた。見るのに勇気がいった。けれど、現場ではそんなことを思う間もなく、二人の演技に引きこまれ、その場を動くことができなかった。最後のシーンでは、彼が本当に望んでいた愛と夢が体現されていた。
心のアンテナが細かく震えている。マリは、自分の瞳にうっすらと涙の膜が張るのを感じた。よく、分かった。今日はここまでだ。マリは、誰と言葉を交わすこともなく、部室を抜けだした。扉を閉める瞬間、
「カット!」
というカケルの声が聞こえた。なぜか、その声もなつかしく耳に響いた。
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