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【連載小説】「青く、きらめく」Vol.23 第四章 風の章、再び

 カツカレーをほおばるカケルを、マリがじっと見つめている。
「ごめんね。何も知らなくて」
「別に、ちょっと三日ぐらい寝込んでただけだよ」
 ほおづえをついていたマリのところに、オムライスがきた。
「さみしかった?」
 マリらしくない言葉に、カケルは思わずむせて、水を一口あおるように飲んだ。
「ずい分ストレートな言いようだな」
 マリは、ふふっと笑って一口、オムライスを行儀よく口へ運ぶ。
「日本人はね、シャイすぎるって」
「誰が?」
「お父さんと同じ会社のアメリカ人が言ってた」
 マリは、さっきの由莉奈さんとの会話聞いてたでしょ、と言いたげな口調で言う。
「もっと感情に素直にならなくちゃ、って」
「ふーん」
 カケルは、たいして気の利いた言葉も返せず、内心しまったかな、と思う。マリは、またしてもふふっと笑う。
「やっぱり、すねてる」
「何でおれがすねるんだよ」
 マリは、にやにやしたままうつむいて、オムライスを一さじすくった。
「見舞いに来てくれる彼女もいない、って」
「思ってねーよ」
 ついに、マリは声をたてて笑った。
「なんだか、かわいい」
「はぁ?」
 それ以上何か言い返しても、逆手にとられるだけだ。そう思って、カケルは口をつぐんだ。

 かわいい、だって。そんなこと女に言われたのは初めてだ。年下でも年上でも、今までつき合ったり接触があったりした女は、たいていカケルを上に見ていたように思う。クールだとか、一瞬とっつきにくい、と言われたし、相手は自分に、気持ち遠慮しているようなところがあった。手の上で転がそう、という女とつき合ったことがなかった。そういう女は、由莉奈同然、恋愛対象にならなかったのだ。
 自分を崩そうとかかっているようなマリの悪戯っぽい目線に、何だか違和感を感じた。ちょっと会わないこの四日かそこらで、マリの身体には何か別の要素が入ってしまったようだ。アメリカンナイズされたのか、新しい空気に触れた感がオーラとして出ている。

 病気のときの彼女の不在が、おもしろくなかったわけでは、全然ない。自分が、思いの他つまらなさそうな反応をしてしまったこと。それを、しまった、と思ったこと。そこには、もっと全然別のことがあるのだ。

 カケルは、ふとレストランの窓に目をそらす。何のくもりもなく、無邪気にオムライスを食べているマリと、そこに映る自分。マリの背景にあるものは、どれも自分にはないものばかりだ。海岸沿いの高級住宅も、アメリカに赴任している大企業の重役のパパも、たぶんその家で出される外国製のティーポットも、上質の音で流れているクラシック音楽も。ふとした時に会話に出てくる、そういった彼女の生活のディティールは、現実的なものとしてまるで実感がなくて、いかに自分がそういったものと無縁だったかを、思い知らされるのだった。

 それは、ささいなことではあったけれど、確かに消えない小さな棘として存在して、一度くっついたらなかなかとれない厄介な野草のようにつきまとった。
 帰る時になると、ふと思うことがある。あの邸宅に彼女を送ったあと、さびた鉄階段のあのアパートに帰るんだな、と。

 お姫様を送り届ける下僕ってところか。つい、自嘲的な気分に陥る。そう考えると、かわいい、も当てはまらなくもないわけだ。

 あまり会話が弾まないまま、帰り道を送る。
「何か、怒ってる…?」
 考えにとらわれて、心が離れていただけなのだが、マリは、ちょっとからかってしまったことを気にしていたようだ。健気だなぁ。半ばあきれて、カケルはため息をつく。
「怒ってないよ」
「本当?」
「本当」
 いじらしくなって、ついカケルはマリにキスしてしまう。
 マリは、ほっとしたように、カケルを見上げて目を輝かせた。
「おやすみ」
 背を向けてから、マリは少し足を止めた。
「でも」
 体を半分、こちらに向けて言う。
「ちょっと看病したかったな」
 逆光で表情はよく見えなかった。
「おやすみ」
 もう一度そう言って、彼女は白い玄関の向こうへ消えていった。
 星がまたたくように、空気の澄み切った夜だ。空を見上げながら、自転車にまたがる。
 看病、ねぇ。カケルは、ふと台所に立っていた美晴の後ろ姿を思い出す。あの静謐なたたずまいと、さり気なさ。

 果たして、マリがあそこに立つことがあるんだろうか。
 置き換えようとしても、全く想像がつかない。どうしてだろう。カケルは、自転車を加速させて帰路を急いだ。

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