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【連載小説】「青く、きらめく」Vol.24 第四章 風の章、再び

 二週間のアメリカ行きを、マリから切り出されたのは、部活帰りに寄ったコーヒーショップだった。例の父の知り合いが帰国するタイミングで、アメリカに同行し、旅行して来る、という。
「いいんじゃない」
 カケルは、一口コーヒーを飲んだあと、おもむろに口を開いた。反対する理由なんて、どこにもない。
「練習に穴あけちゃうのは悪いんだけど」
 マリは、一応すまなさそうに首を傾ける。公演はまだ、二ケ月以上先なのだし、まぁ大丈夫な範囲だろう。
「気にするなよ。代役当てて適当にやるし。楽しんでこれば」
 多分、こう言ってほしいんだろうな、という言葉が自然と出てきてしまうから不思議だ。マリは、少し顔を紅潮させて、ほほ笑んだ。
「代役ねぇ」
 コーヒーをもう一口飲んでから、視線をさまよわせる。マリは、面白そうに身を乗り出す。
「由莉奈さんは?」
「すぐケンカになるな」
「じゃあ、佳乃ちゃん」
「……四谷怪談みたいになりそう」
 マリは、ぷっと吹き出す。
「ひどーい」
 それから、少し真顔になって言った。
「じゃあ、美晴ちゃん」
 しばらく、間が空いた。天真爛漫に目をきらきらさせていたマリの瞳が、一瞬かげったような気がした。
「……そうだな」
 それ以上、続く言葉がない。間を埋めなければ。なぜか、そう思った。
「いろいろ試してみるよ」

 マリの不在の間の代役を告げられたとき、美晴は、一瞬たじろいだものの、真っすぐカケルの目を見て、ハイ、と素直な様子でうなずいた。
 予感がなかったわけではない。それは、誰も体現できなかったたたずまいだった。最初のころこそ、たどたどしかったが、それは遠慮もあったのかもしれない。練習を重ねる度に、美晴が輝いていくのが手に取るように分かった。
 それは、彼女の背景にあるものも関係しているのかもしれない。静かにたたずむ姿は、マリの整った美しさとはまた別の、無垢な美しさがあった。
 小さな体なのに、彼女の周りには広大な大地が広がっているかのように見えた。
 そうか、彼女は。北から来たのだった。
 カケルを見つめる瞳は、遠く心を彼方まで運んだ。
「ここではないどこか、広い草原に立っている、と想像するんです」
 帰り道、彼女はそっと秘密を打ち明けるように言った。
「だって、あの少女の見えている地平は、そういうものでしょう」
 カケルは、しばし考える。自分は、そんなに深いことまで考えて、書いただろうか。でも、そう解釈して言葉にしてもらえるのは、書き手としてこの上もなく嬉しかった。
「ああ。そうだな」
 カケルは、静かに答える。
「私も、ずっと思っていました。子どもの頃から。ここではないどこかへ行きたいって」
 美晴は話を続ける。
「だから、しょっちゅう、広い広い畑の向こうまで歩いてた」
 同じ風景を見るような気持ちで、カケルは音楽のような美晴の言葉を聞いていた。

 彼女の演技が、もっと見てみたい。
 カケルは、その欲望を抑えることができなかった。それは、純粋に演出家としての欲望だっただろうか。男が少女のひざに抱かれて、息を引き取るラストシーンを、どうしても美晴で試してみたくなった。
 まだ、マリとも試してないそのシーンをやることに、周囲は誰もが驚いた。
「いいから。試しだよ、試し」
 わざと軽く、言い放つ。美晴は、躊躇しながらも、カケルに言われるままに、稽古場の真ん中にたたずむ。
 静かに、ひざを床に落とす美晴。カケルは、そっとそのひざに頭をあずける。少しうなだれて男を見つめる少女の目は、深い。かすかに揺らいで、濡れている。少女の顔の輪郭が白く輝いて見える。少女の指が、間もなく息を引き取ろうという、男の顔をたどる。あなたの、生きてきた、軌跡。男は、弱々しく手を少女の方へ伸ばす。しかし、あともう一息、少女に触れようとしたその瞬間に、男はこと切れる。

 しばらく、二人は動けなかった。
 周りの誰もが、息を殺して二人を見つめていた。

 再び、ゆっくり目を開いたとき、美晴の肩のラインと鎖骨がぼんやり浮かび上って見えた。きれいな線だな。まだ演技の名残から立ち上がれないでいるカケルは、しばらく恍惚と、その鎖骨を見つめていた。
 突然、美晴が立ち上がり、部室から駆け出して行ってしまった。
 思い切り床に頭を打ちつけたカケルは、痛っと声を上げて、頭を抱える。
 美晴を追いかけようとして、由莉奈に止められた。きっとした目をして、カケルをにらみつけている。
「罪な奴」
 ひと言、そう言い放って、由莉奈は部室を出て行った。

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