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【連載小説】「緑にゆれる」Vol.23 第三章


「一緒に暮らすにあたって」

 美晴がわざとらしく落ち着き払って言う。

「いろいろルールを決めましょう」

 越してきて次の日の、それは夕食前だった。何だか家族会議みたいだな、と思う。

「まず朝ごはん。七時です。一緒にとりましょう」

「え? おれも?」

 美晴は、大きい笑みを浮かべてうなずく。

「お代はいりません。その代わり」

 美晴は、少しもったいぶってから口を開いた。

「朝食後のお皿を洗ってください」

「きたーっ」

「何か、文句が?」

「いや、ありません」

 姿勢を正して、粛々と返事をすると、隣で圭がくすっ、と笑うのが聞こえた。

「夜ごはんも、お代はいりません。その代わり。洗濯物取り込んで、たたんでください」

「そっちか」

「これは、圭も今まで通り、たたむのは一緒にやること。自分のものは自分でたたんでね」

 美晴は、こちらに向き直ってつけ加えた。

「あ、私の下着はたたまなくていいですから」

「へい」

「返事は、ハイで」

 首をすくめると、また圭がくすくす笑った。

「お昼ですけど、基本、自由にしてください。うちのランチは、土日の週末二日のみやってます。火、水、金は、お弁当とカフェ、月、木曜日が基本定休日。ケータリングのみは受ける時もあります。カケルさんは、お客としてお弁当を買ってもいいし、ランチを食べてもらってもいいです」

「楽しみにしてます」

 ひょうひょうと言ったのがツボにはまったらしい。圭はついにくつくつと笑い出した。美晴は、わざと無視をして続ける。

「あと、お風呂」

 そこで、美晴は、はっとして両手で口を押えた。

「どうした?」

「うちのお風呂、脱衣所がないんだったわ。どうしよう」

 軽い掛け合いもここまでか。彼女は、本当に困った顔をしている。

「洗面所のところで脱いでもらうことになるんだけど、その奥にトイレもある……」

「お風呂もトイレも、入ってれば分かるからいいじゃん」

 圭が口を挟む。自分も一員として参加しているんだぞ、という口調だ。

「それは、そうね」

 美晴は弱々しく笑った。

「のぞくなよ」

 冗談めかして念を押すと、

「それはこっちのセリフです」

と、きっぱり切られた。

「あと、ウッドデッキ、こちらの行き来に使ってもらって構わないんですが、ちょっと傷んでいるところがあって。気をつけて下さいね」

「それじゃ、夜ばいもできないな」

 そうつぶやくと、すかさず圭が、聞きなれぬ言葉をとらえた。

「夜ばいって?」

「……カケルさん」

 冗談が行きすぎたようだ。美晴の顔が、怒りか恥ずかしさか、みるみる紅潮した。

「バカ、冗談に決まってるだろ」

「ねぇ、夜ばいって、なぁに?」

「夜、つまみぐいに行くこと」

 おおかた、間違ってはいまい。

「子ども相手に、変なこと教えないでください!」

「大丈夫、間違ってもそんなことしないから」

「カケルさんは、夜ごはん食べてもおなかがすくの?」

 圭が不思議そうに目を丸くした。

 その素朴な疑問が、どうして口から出たのか、ともに食事をして分かった気がした。圭と食事をするのは三回目だが、その日初めて気づいた。圭は全く少食だった。その日のメニュー、ぶりの照り焼きは半分弱、煮物はれんこんとこんにゃく一つずつ、和え物はほとんど手もつけない。白飯だけは、やたら食べる。

「お前、おかず食べないのか」

「もう、おなかいっぱい」

「じゃぁ、おれがもらうぞ」

 圭の皿にはしを伸ばすと、圭はその行く末を口をあんぐり開けて見送る。あ、あ、待って、という目つき。昨日から突然現れたよく知らない男に自分のご飯を奪われる小さな衝撃が見てとれる。それまで無気力に皿を眺めていた目の色が、変わった。

「だめ。やっぱり食べる」

 圭はすかさず、ぶりの照り焼きにはしを立てた。

「毎日、こんなご飯が出てくるなんて、お前幸せなことなんだぞ。おれなんて、カップラーメンの日もあった」

「えぇ?」

「パート先のおそうざいの残り物ってのが多くて、たまに出る手作りのカレーライス。それがごちそうだったな」

 だから、おふくろの味、とか何とか言うけど、そんなものはほとんど記憶にない。カレーライスが唯一のそれだ。

「ふうん」

 圭は、黙々とおかずにはしをつけている。残りはおれがもらう、と言ったら、意地になったのか、和え物を少し残してほぼ全部食べた。圭が食器を片付けて二階に上がってから、美晴は少々感動をこめてつぶやいた。

「私がどれだけ言っても食べないのに」


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