見出し画像

【連載小説】「青く、きらめく」Vol.17 第三章 雲の章

 足を少しずらして背筋をぴん、と張って立つマリは、美しかった。生まれながらにして、こんなきれいな人もいるんだ。その伸びやかな長い手足、きゅっとひきしまった小さな顔。そして艶やかですべるような髪。

 緊張、といえば、いまだにマリに対しては緊張する。話したり、練習で隣に立つときに、周りに一枚の薄い膜があるような気がする。その膜の内側は、清らかな気で満ちていて、こちらが立ち入ってはいけないような気配がある。美晴は、立ち稽古をするマリにぼんやりと見とれた。

 カケルたちの立ち稽古が一区切りついたようだ。外へ出ようとドアに向かうカケルが、通りすがりに、マリに何か言った。軽くうなずくマリ。ほとんど無表情。
 それは、ほんとうにさりげなく何でもない日常の一コマだった。
 けれど、その時の二人のやりとりは、何か美晴に決定的な印象を与えた。 見てしまった。二人にしか通じないテレパシー。それは、言葉にも仕草にも表れない、かすかな微粒子となって、二人の間に流れている。かすかに、胸がずきん、とした。
「ね、聞いてる?」
 由莉奈に言われ、はっとする。
「帰りに一緒に駅ビルの手芸屋に寄らない?」
「あ、はい」
「あそこなら小道具になりそうな花びらとかもありそうですしね」
 佳乃が隣でうなずく。一応、美晴も小道具などの手伝いをすることになっていた。美晴は、懸命に、意識をもとに戻そうとする。でも、二人の残像が目に焼き付いて、離れなかった。

 手芸屋へ寄った帰り道のことだった。
「すみません、ちょっとおたずねしたいんですけど」
ふいにショールを巻いた妙齢の女性に声をかけられた。よく、人に道を聞かれる。ぼんやりしていて、すきがあるからだろうか。
「四丁目の十四のアパートを探しているんだけど、道に迷っちゃって」
 この辺りの道は、曲がりくねっていて区画自体分かりにくい。その昔、人々が歩いた道がそのまま舗装されて道路になっている、と大家さんが言っていた。広くて真っすぐな道が続く北海道から来た美晴には、まずそれが驚きだった。
「明月荘っていうんだけどね」
 女の人は、携帯を取り出して画面に目を落として言った。ばっちりお化粧をした女の人の、心細そうな感じが、何となく放っておけなかった。母と同じくらいの年齢だろうか。街を歩いている人に比べ、派手目で夜の匂いがする。いかにもよそ者という雰囲気で周囲から浮いている。慣れない道を来たのだろう。
 近くだと思ったので、一緒にアパートを探すことにした。住所の記された看板の四丁目の十、十一とたどっていくにつれ、美晴の中にある予感が浮かんだ。
 たどり着いたのは、カケルのアパートだった。そこが明月荘という名前なのも初めて知った。どこにもアパート名の書かれたものがなかったからだ。
「ありがと」
 女の人は、軽く礼を言って鉄の階段を上っていく。まさか、と思ったが、押したのはカケルの部屋のインターホンだった。
 美晴は、もと来た方向へ振り返りつつ、それでもその場をすぐに立ち去ることができなかった。しばらくの間があり、ドアが重たく開いた。見届けたら、何だか力が抜けた。ふうっと長いため息をついてもと来た道を帰ろうとした途端、怒鳴り声が耳に届いた。
「帰れっ。二度と来んな」
 そして、バタン、と乱暴に扉が閉まる音がした。美晴は驚いて振り返った。女の人は一瞬唖然としたが、すぐに扉をたたいた。
「ちょっと。カケル。開けて。開けなさいよ」
 しかし、扉が開く気配はなかった。女の人は、あきらめたようにうなだれて階段を下りてきた。その様子を、映画を観るようにじっと見ていた。
 駅の方へ向かってとぼとぼ道をたどる彼女の後ろ姿が、あまりに悲しくて、美晴は知らず知らずと後を追った。
 どうしてそんな勇気が出たのか分からない。
「あの」
 気づくと声をかけていた。彼女は驚いたように振り返った。
 鼻すじが、彼に似ている。

(Vol.16へ戻る)            (Vol.18へと、つづく。)


読んでくださって、本当にありがとうございます! 感想など、お気軽にコメントください(^^)お待ちしています!