【連載小説】「緑にゆれる」Vol.53 第六章
通学路を行くと、ちょうど帰ってくる二人が見えた。案の定、傘もなく、濡れてくる。カケルは、店の玄関からかろうじて持ってきた一本の傘を美晴に向かって差し出した。自分が差しているのと、手に一本。傘は二本しかない。美晴はうつむいて、こちらを見ない。何だか様子が変だ。
「どうした」
声をかけると、返事はせずに傘をいったん受け取ったが、そのままそれを圭に押しつけるように渡すと、一人で先にすたすたと歩きだした。
怒っている。しかも、ものすごく。頭から湯気が出そうな、という表現があるが、まさに、美晴の後ろ姿はそんな感じだった。たまった怒りが、体から熱となって立ちのぼり、周りの空気まで熱くしているような迫力があった。
カケルと圭は、それぞれに傘を差して、黙って並んで歩き出した。
「何かあったのか」
濡れそぼっていく美晴の背中を見つめながら、カケルは圭にたずねた。カケルの言葉に、圭が言いよどむ。
「うん……」
それから、視線を落として、ぽつんとつぶやく。
「ぼくのせいだ。ぼくが、授業サボったりしたから」
雨が、ぱらぱらん、と傘を鳴らす。
「お母さん……なんか先生に言われてた。ご家庭の事情が何とかって」
「え?」
思わず顔をしかめて、圭の顔を見た。すると、圭はまるで自分が怒られたかのように、後ろめたそうな上目遣いで答えた。
「もう少し、子どものこと見ろ、とか何とか」
「んなこと言ったのか? お前の先生は!」
思わず叫んでいた。何も、自分がどうのこうの言われた訳でもないのに、自然に頭に血が上った。その、かっとなる感じは、確かにどこか、遠い昔、自分自身も感じたものだった。どこでだったか、どんな状況でだったかは、すぐに思い出せなかったが。
「おれが校長なら、クビにしてる」
前をにらんだまま、カケルは低い声でつぶやいた。圭が驚いて、まん丸い目でこちらを見た。
「いや、冗談だけど」
扉にかけられた「CLOSE」の札は、結局、その日はひっくり返されることはなかった。最も、帰り着いたのは閉店の三十分ほど前だったのだけれど。
美晴は、黙ってそのまま浴室へ行き、シャワーを浴び始めた。そして、夕食の時間になっても出てこなかった。圭の生活リズムに気を遣って、普段なら夕方六時には食卓が整うというのに、時計の針はあと十分で六時、というところまで迫っていた。
夜が静かに降りてくる。雨は相変わらず、屋根をたたいていた。あまりに出てこないので、風呂場でどうにかなってるんじゃないか、と様子を見に行った。すりガラスの向こうは、静まり返っている。
「美晴。大丈夫か?」
声をかけたが、すぐに返事がない。ただ、ちゃぷ、という水の音だけ聞こえた。浴槽につかっているんだろう。ものすごく間がたってから、うん、と小さく返事があった。どうやら、おぼれたり気を失ったりはしていないようだ。
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