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【連載小説】「緑にゆれる」Vol.58 第七章


 次の日の朝起きたとき、一瞬ここがどこだか分からなかった。

 そうだ、昨晩はカケルさんの離れで寝たんだった、と思い出す。敷布団をとってしまったので、カケルさんは畳の上で寝ている。ちょっと悪いことしちゃったかな、と思う。やがて、カケルさんも目を覚まし、横向きに寝ていた体をゆっくり起こす。いてて、とつぶやきながら、肩の辺りをもんでいる。髪に寝ぐせがついている。

「ごめん……布団とっちゃって」
 圭が言うと、それには答えずに、よく寝られたか、とたずねた。うん、とうなずいてから、圭は、今日の学校で、自分だけが国語の発表をすることになっていることを思い出した。思い出したら、またおなかの辺りが、ずうん、と重くなった。

「どうした?」
 カケルさんが、圭の方を見て言った。
「おなかが痛い」

 正直に、言ってみる。カケルさんは、軽くため息をついて、シャツの間から胸をかきながら言った。

「お前、学校行きたくないんだろ」

 頭の重さに負けたように、重たくうなずいた。

「だって。ぼくだけ発表なんて。しかも、うその発表なんて。何でしなきゃいけないんだろう」
 ぼそぼそとつぶやく圭に、カケルさんが言葉を返した。

「ほんとの発表すればいいじゃん」
「ほんとの発表?」
「別に、決められた読書、じゃなくて、本当に自分が好きなこと」

 圭は、カケルさんの顔をぽかん、として見つめた。
 本当に、自分が好きなこと。虫……。探検……? でも、それをどうやって、どういう言葉で伝えたらいいんだろう。それに、特技でも何でもない。やっぱり、だめだ。

「それができたら」
圭は、言葉を区切って言った。

「おなかなんて痛くならないよ」

 圭は、口をとがらせて下を向いた。

「ぼくには、発表すべき好きなことなんて、ないんだ。先生は、工藤くんは読書のグループね、と言ったんだ。それから外れたことしたら、クラスの奴らに笑われちゃう」

 カケルさんは、何かを考えているような、でも考えていないような様子で、あぐらをかいたまま、今度は頭をボリボリかいた。

「今日は、金曜日だな」
「へ?」

 突然、曜日のことなんか言い出した。一体、何を考えているんだろう。すると、カケルさんは、ぱん、と両手をひざに置き、歯切れよく言った。

「よし。おれは、これから、お前を誘拐する。学校へは行かなくていい」

「ええっ⁉」
 圭は、驚いて開いた口がふさがらなかった。

 お母さんが昔、大学のサークルで演劇をやっていた、とは聞いていたけれど、あれほど演技がうまいとは思わなかった。
 学校に、うその電話をかけている最中、圭とカケルさんは、顔を見合わせて笑いをかみ殺すのに必死だった。

「ええ。はい。今朝、見たら、部屋にいなかったんです。家出だと思うんですけど……。昨日、授業をさぼったことでちょっと責めてしまって。はっ」
そこで、お母さんは口に手を当てた。
「もしかして、そのまま誰かに連れ去られたのかも……。どうしましょう、先生……」
 最後の方は、切実な声が涙声に変わった。
「はい。こちらでも、周辺を探してみます。あまりに姿が見えなかったら、警察に届け出しようかと……」

「け、い、さ、つ、だって!」

 圭が、ささやき声でくりかえし、目を丸くすると、カケルさんが、しーっ、と指を立てた。

 話が終わったようだ。お母さんが、静かに受話器を置いた。そして、振り返ると、にっと笑って、ピースサインを出した。

「じゃあ、預かる」

 カケルさんは、立ち上がると、ナップザックを肩にかけた。お母さんは、よろしくお願いします、と言って頭を深く下げた。カケルさんが、圭に声をかけた。

「行くぞ」
「このまま? 何も持たずに?」

 圭がたずねると、カケルさんは振り返りつつ言い放った。

「おれは、お前を誘拐するんだぞ。分かるか? 誘拐されるのに荷物なんか持って出るのか?」

 それもそうだけど。ずい分と、大胆だなぁ、と感心してしまう。そして圭は思う。

 やっぱり、カケルさんは、何か普通の大人とは違う。


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