#1 『家庭教室』を読んで。


はじめまして。からはじめての投稿になります。

皆さん、こんにちは。愛です。

突然ですが、今日は私のお気に入りの本を紹介します。

実は読書が趣味なのです。

以前、アメブロであげていたものの再投稿(再編集)になります。

似たものを見かけたら「愛かな~」と思ってくださいませ。​


ずっと読みたかったのになかなか読む機会のなかった
歌い手・伊東歌詞太郎さんの『家庭教室』

私の同世代はわかるかもしれないけれど、
私の中高生時代にはボカロ(VOCALOID)が流行した。

そこではまっていたのが伊東歌詞太郎さんだった。

優しい声にかっこいいルックス。

全国ツアーで私のすむ町に来てくれたときには
サインももらったし、記念撮影もしてもらったぐらいだ。

 
そんな歌詞太郎さんには文才もあった、、、!
そんな驚きと共にページをめくり続けた。


印象的だったのは歌詞太郎さんの都会の描きかた。
少し批判的でもあるその描きかたは、

東京という街の本質をとらえている気がする。


「物質的には確かに恵まれている。

それがゆえに強い個性が生まれにくい街、東京。」


そんな東京にすむ大学生

「灰原巧(はいはら たくみ)」がこの本の主人公だ。

巧は塾講師のアルバイトをしており、

そこで受け持った1人の少年と忙しい両親の代わりに遊園地へ行き、

そのことが原因でバイトをクビに。

ひょんなことからバイトがなくなってしまった巧に

その少年の父親からかけられたのは

「家庭教師をやらないか。」という誘い。

次のアルバイトを考えていた巧はその申し出を了承し、

その父親の紹介を受け、様々な家へ勉強を教えに行く。

しかし、、、その生徒たちはなにかと問題のある生徒たちだった


たとえば

進学先も決まっておらず、勉強をやる気すらない子。

やればできるのに「勉強しないと決めた」と言い張る子。

心を開かず、何も話してくれない子。 などなど

 

子どもたちの複雑な心境と

それを取り囲む大人たちからのプレッシャー。

それが掛け合わされることによって生まれる不快感。

それをどうにかして隠そうとする子供たち。

しかし彼らは自分とは関係のない誰かを頼ろうと、

助けを求めようとしていたのではないか。

 

そんな生徒たちに巧がしたことは

 

「隠している本心を汲み取り、

個性を伸ばし、

正しいほうへと導くこと。」


 

 

それは巧が生徒より大人だからできたことではない。

巧だって普通の大学生だ。

お酒も飲むし、授業をさぼったりもする。

 

ただ巧は「人と向き合うこと」に長けていたんだと思う。

 

どうしても勉強する理由が見つからない時、

自分のやりたいことが分からなくなった時、

何が正しいのか自分では判断できない時、

そういうときに一言、ふっと肩の荷がおりるような言葉があれば

多くの人が前向きになれるのだと分かる。

 

巧の生徒たちは自分の進路ややりたいこと、

やらなくてはならないことと向き合い、目を背けるのをやめる。

巧がその背中を押したのである。

 

誰でも目をそむけたくなる現実というものがあり、

それはいつ自分に襲い掛かり牙をむくか、想像できない。

その恐怖に耐えきれなくなってしまうと、

殻に閉じこもり自分の守ろうとするものである。

しかしそれは自分を「守る」というより

「見えないフリをする」ということなのではないだろうか。



私は自分の意見を強く主張できず、

流されやすいタイプだとよく言われてきた。

自分では「いやだ」「やりたくない」「違う」と主張したいのに

それが言葉にならないのだ。

しかしこの本を読んで考えたのは、

 
「私は私の気持ちを汲み取って、理解してくれる人が欲しかった。」

 
ということ。

 

いろんな壁にぶつかる中で誰かを必要とするのは普通のこと。

「助けて」と言葉にできないことのほうが多いかもしれない。

しかしそれは決して恥ずかしいことではないし、

それによって自分が救われるなら、

自分が自分らしくあれるのなら

自分のやりたいようにやれるのなら、

 私は大きな声で「助けて」と言いたいと思う。


今日も暑かったですね。

梅雨明けから真夏になるまで少しの猶予もなかったけれど、

今年はいつもとは違う夏。

自由には出かけられないし、どこに行くのでもマスク・消毒必須。

普通の日常が早く戻ることを祈って。

今日もご覧いただきありがとうございました。

またお会いしましょう。

2020.8.6 愛

この記事が参加している募集

#読書感想文

189,831件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?