#3 「人間失格」を読んで。



傑作だとうたわれている作品だが
私は太宰治の書く作品を読んだことがなかった。
教科書にのっていた作品に微かに触れたぐらいだ。

原作より前に映画を見てしまったが、
予想通り原作を読みたくなってしまい、母が購入。
買ってくれた母より先に読み始めてしまった。

 
実際に読んでみると難しい表現はほとんどなく、

「言葉や慣用句、表現の仕方が分かりづらいのではないか。」

という私の文豪に対する誤解を解いてくれた。

 
以前映画化されたため、
表紙が俳優の小栗旬さんになっているものもあり、
映画も実際に見ていたため、
太宰治のイメージが旬くんになってしまった。

これが映画化のいいところでもあり、悪いところでもあるんだろう。

まぁ、仕方がないだが。

 

 

 

 

 

 

さてさて内容への話に移ろう。

 

そうは言ってもとりあえず思うのは

「太宰治の人生って壮絶すぎないか?」

ということ。

 

映画を見ても小説を読んでも

酒と煙草と女と仕事。

どれかを特別に大事にしているって訳ではなさそうだったが、太宰がそのすべてにのめりこんでいたことは確か。

 小説のなかで太宰は

「自分はずっとお道化てきた」という。

 
「何でもいいから笑わせておけばいいのだ。」

それが「必死のサーヴィス」であり、
「必死の奉仕」であった。


その「お道化る」という行為には人への恐怖があり、それによって太宰は長い間自分を演じてきたのだという。


そこに隠された自分の孤独のにおいに女は惹かれ、

「恋の秘密を守れる男」

として女につけこまれるのだと自己分析していた。

 


お道化ることによって自分を守っていた太宰は、
自分以外の人に興味がないように思えた。

あったとしてもなにかをきっかけとして興が冷めてしまうのであろう。

そのために太宰は「(自分は)人を愛する能力に欠ける」というが、自分以外の人間に愛の能力があるかどうかが疑問だとする。

 
ここで考えたいのが「愛」というものだ。


私はまだ二十一歳で「愛」については触れたことも考えたこともない。
むしろこの歳で「愛とはなにか」を語れたらすごいと思う。尊敬の域に達する。

 

しかし1つだけ分かるのは

 「愛は決して完成されたものではない」

ということ。

 

誰も「愛の完成形」など知るはずもない。
なにを定義として「愛」というのか。
「愛」そのものを考えもしないのである。

 

 
映画の中でも小説の中でも太宰は数人の女と関係を持つが、どちらかといえば太宰の魅力にハマってしまうのは女性の方だ。

女として太宰の魅力を語ろうとすると、他の作品を読んだことがない私は太宰自身を知らなすぎる。

 しかし映画と小説を見る限り、

太宰の醸し出す
「弱さ」が女性を誘ってしまうのであろう。

 しかしその感覚は太宰にはないはずだ。

それが女性が太宰を恨めない理由にもなる。

 

 

小説の最後はある女性の言葉で終わるのだが、


「・・・神様みたいないい子でした。」


どれだけ振り回させたとしても女性は
純粋で心が綺麗な人であったと太宰を表現する。

 

文字で描かれる太宰は酒や薬、煙草におぼれ、女性をとっかえひっかえ、(その中には不倫など世間的には許されない関係もあった)、心中や自殺などまともな人間としては表現されていない。

 
心中で生き残ってしまったのを笑い話のように書いたり、「人間失格」のように自分がどれだけだめなのかを文字にしたりと、

 
全ては「小説のため」であったと

 
自分の表現したい世界観のためであったと

 
だからすべて遊びであり、嘘であったと

 

そう大衆に表現しているようなものではないか。

 

 

しかし太宰は女の興味が自分に向けられている間は
無下に断ったり、拒んだりはしない。それが前述したとおり、人に嫌われるのを恐れたお道化の1つであったのだろう。

 そのお道化によって固められた太宰が
本当の太宰ではないと分かっていたからこそ、
女性は自分を頼ってくれた、
自分を必要としてくれた、
太宰を愛してしまったのだと私は思う。

 

自分を愛してくれた太宰を演じ続けてくれた彼自身にその「嘘」に、優しさを感じていたのだと思う。

 

 

太宰の作品を読むきっかけとなった「人間失格」

映画に出てきた「斜陽」も読んでみたくなった。

少しマイナス思考で、しかしその中に隠された自信を表現している太宰の作品。

他の作品にも挑戦してみたい。

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