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本当は何も持っていない、ということ。
今あるものは、すべて与えられたものである、ということ。
土地だって何だって、元々は誰のものでもなかったのだ、ということ。
そのことを忘れて、「全部、自分の力で手に入れたんだ!」と思い込んでしまっている人たちがいるだけ。
本当は誰も何も持ってなどいないし、本当の意味で所有することなどできないということを、見失ってしまっている人たちがいるだけ。
地の時代は所有する時代で、風の時代は共有する時代。
そんなふうに聞くけれど。
もしかしたら、風の時代っていうのは、“所有”という概念は幻想であったと気付いていく時代でもあるのかもしれない。
私のなかの人間らしい部分では、「これは私のもの」だと思っているものを、勝手に奪われたりしたらものすごく嫌だと感じるけど(笑)
元々、本当の意味では何も所有などしていなかったし、これからもすることはないのだと気付くと、「奪われた」と感じるこの感情も幻想であると、気付く時が来るのかも。
「自分は、他の人よりも多めに所有したい」と望み、争いを起こすということも、ただ幻想にとらわれて、それに突き動かされているだけなのかもしれない。
本当は所有することもできないし、そういう意味では、奪われるということもできないもの。
実際には、全然そんなふうに思えないけれど、そういうことなんだろうなと思う。
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