ある人物の投稿に影響を受けて、夢中だったあの頃にゆたかさを感じたnote4日目
今日は、画像を初投稿しました。
けっこう昔の写真なのですが、今になってこの写真を引っ張り出した経緯を書きたいと思います。
タイトル通り、2011年7月に撮影した茶沢通りの光景です。
この時、自分は茶沢通りと垂直に交わる線路の高架下に立っているのですが、向かい側のコンクリートの朽ちた色合いや、標識の位置など、全体の雰囲気が好きで撮りました。誰かが通り過ぎる度にシャッターを押し続けたのですが、最終的にこの瞬間が納得いくものに仕上がりました。
この写真を見返す度に、自分にもキラキラした瞬間があったんだなあと思います。当時、一眼レフをはじめたばかりで、真夏の炎天下にも関わらず、カメラ片手にレンズ越しの景色を捉えるのが楽しくて楽しくて仕方なかったことを思い出します。
あの頃の自分には、純粋に、楽しくて夢中になれることがあったんだなと振り返りながら、それは自分の思い出のはずなのですが、まるで誰か他人の記憶を垣間見ているような感覚に陥るのは、あの頃の真っ直ぐな自分を羨ましいとさえ思っているからなのかもしれません。
そんな風に、過去(9年前!)の自分を振り返るきっかけとなったのは、UUUM CEO 鎌田和樹さんの投稿『歩いてきた道を振り返ってみると貯まってる、それが「ゆたかさ貯金」と定義した』です。
こちらの投稿は、お題「#ゆたかさって何だろう」のお手本としてアップされています。自分もこのお題に挑戦すべく、鎌田さんの投稿をぜひ参考にしようと、早速拝読しました。
まず『歩いてきた道を振り返ってみると貯まってる、それが「ゆたかさ貯金」と定義した』というタイトルが、率直に心に刺さりました。
なぜなら、もし自分がお金や物以外で、ゆたかさを感じられるとしたら、それは自分の理想や目標のために夢中になれる時間の中から生み出されるものだろうと思うからです。
また、投稿本文において、
“「今」ではなくてやり終えた「過去」を振り返ることで、過去の成果・結果ができた過程を同時に確認することでゆたかさを感じることができました。”(原文ママ)
というフレーズに共感を抱きました。
一度きりの人生において、何かに夢中になれる機会はとても貴重なことですよね。仕事でも、趣味でも、恋愛でも、一生懸命、無我夢中で没頭する時間の中で、生きがいをもって輝く人はとても素敵だと思います。そして、その結果得られた充足感や学びは、いつまでも人生の糧として、つまり「ゆたかさ」として積み重なっていくものだと思います。
鎌田さんの投稿を読んで、改めてそんなことを考えることができました。
そして、この投稿を読んだことをきっかけに、9年も前の写真を引っ張り出して、夢中でシャッターを押し続けた月日に、今ゆたかさを感じることができたのです。
この写真は、自己満足の小さな成果かもしれませんが、自分の人生にとって、色あせることのないゆたかさのひとつです。
そして、できればこの先も、もがきながらの日々ではありますが、今を前向きに積み重ねて、自分らしいゆたかさを見つけたいものです。
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