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夫が育児休暇を取りました。【前編】※再掲※

おことわり

※本記事は2022年2月16日にWorkingforever内にて掲載したものを再掲しています※

今回は私の出産体験を記しています。出産は奇跡だと心底実感した経験でしたが、周りにはもっと大変だった方々もたくさんいらっしゃいます。出産も100人100色。いろいろなカタチがあります。私の体験など大したことないかもしれません。それは理解した上で、今回背景として書かせていただいています。ご理解いただいた上でご一読いただけますと幸いです。これから生まれるたくさんの命が無事この世界に届けられますように。

出産までの険しい道のり

第3子である次男を妊娠中は、妊娠糖尿病、切迫流産・早産、切迫子宮破裂などの妊娠にまつわるトラブルが多く、仕事も約4か月間休職し、ほぼ横になったまま季節の移ろいを感じていました。そのため、保育園の送迎など、出産以前に夫もできる限りの協力をしてくれていました。
妊娠が判明した時、夫は転職したばかりでしたが、幸い転職先の会社では男性社員も育児休暇を取得する文化が・・・!第3子にして初めての育児休暇取得を計画しはじめました。
大切に、大切に、おなかの中で育ててきた次男でしたが、36週目の検診で陣痛のような大きな張りが確認されると、そのまま緊急入院に。入院後、おなかの張りを取る薬を最大限点滴しても張りが取れず、このままだと「母体も赤ちゃんも危ない状態」となってしまったため、医師が緊急帝王切開を決断、夜7時頃に次男を出産しました。
次男としては、まだ外に出る準備ができていなかったのでしょう。出産直後大きく泣いたものの、呼吸が苦しく胸がぺこぺこしている状態。早産、低体重、新生児一過性多呼吸、新生児仮死の診断にて、提携病院のNICUに緊急搬送されてしまいました。予定より1か月以上早い出産。赤ちゃんを抱きしめることなく離れ離れになった日、慌てて夫が予定していた育児休暇取得を早めて、2か月間の育児休暇期間が始まったのです。

出産直後NICUに搬送された次男

「いいいろ」の日

コロナ禍でしたが、幸いなことに搬送された病院のNICUへの面会は可能でした。
夫は出産した日、救急車を追いかけ夜中までNICUで赤ちゃんを見守り、次の日も、その次の日も通ってくれていました。
出産した私はというと、周りのお母さんたちとは違い、沐浴指導も調乳指導も何もない。ただただ個室にこもり、できることといえば搾乳して母乳を届けることぐらい。長男、長女の授乳の時に聞いていたオルゴールをスマホでかけながら、管がたくさんついたわが子の写真を見て搾乳をしていました。小さく産んでしまい、NICUで辛い思いをさせてしまっている次男に申し訳なくて、点滴中も、食事中も、シャワー中も、こみ上げる涙を抑えきれず声を殺して泣いていました。止まらなかったのです。

「36週まで頑張ったのにどうして正期産までこらえられなかったんだろう」

「あの時に手術に同意しなければ息子は苦しまずに済んだのでは」

助産師さんはそんな私を見て、「お母さんも赤ちゃんも無事で本当に良かった。」「あの時の緊急帝王切開は最善の選択だった」という言葉で励ましてくれ、何度も何度も話を聞いてくれました。そして「正期産まで耐えられず何も意味のない日に産んでしまった」と自分を責める私に、こんな言葉をかけてくれたのです。

「お母さん、”いいいろの日”です。赤ちゃんは”いいいろ(11月16日)の日”に産まれてきてくれたんですね。とっても素敵な日ですね。」

穏やかな、あたたかな言葉でした。
この一言で、辛く悲しい出産の日が、霧が晴れ、色とりどりの花が咲き誇りあたたかな木漏れ日が降り注ぐような「意味のある日」となったのです。
「いいいろの日」に産まれた次男が、カラフルな人生を送れるように、大人になるその日まで見守りたいなと思えるようになりました。

精神的な支えとなる夫

生後16日目で次男が退院するまでほぼ毎日NICUに通い、帝王切開で痛みのある私に代わり率先して授乳をしたり沐浴をしたりしてくれました。「かわいい」「かわいい」と。次男は器官挿管したものの山をこえ、呼吸も落ち着きましたが、ミルクを飲む力が弱くなかなか退院の日が決まらない日々。
頭では、NICUの先生方が尽力してくれており、しっかりミルクを自力で飲むことができるようになるまで退院することはできないということを理解しているのに、「どうして早く帰らせてくれないのか・・・」「手元に戻してほしい」「可愛い時期を逃してしまう」という焦る気持ちで精神的に追い込まれている私。
そんな私にNICUに通う往復1時間の車内で夫は、「葉物野菜は直売所が大きくて安い」「やっぱりお肉はあのスーパーだね」「洗濯機が壊れたんだけどコインランドリーってたくさん洗えるのね。すごいわ。」とか、何気ない話をずっとしてくれて、そばにいてくれました。
「明日にはおうちに帰れますよ」退院が決まった生後14日目、NICUを出た私の背中をぽんとたたき、「良かったやん!」と一言。「あぁ、ずっと見ていてくれたんだな」と夫という存在の心強さを感じた日でした。
夫の育児休暇は最初はとても不安でした(ごめんなさい!)。家事も育児もそんなに集中してしたことのない夫。基本的に感情が表に出ない寡黙な夫。ちゃんと意味のある育児休暇になるだろうか?私ばかりやはり頑張ってしまう状態になるのではないか?そんな気持ちがあったのは事実です。
しかし、復職するまでの約2か月間、子どもたちの保育園・習い事の送迎の他、掃除、家事、次男の育児と積極的に関わってくれました。そして朝食の時には、2人で家族やキャリア、将来のこと、たくさん話をする時間が生まれました。男性で、仕事を一時中断して長期休暇を取得するのは勇気が必要だったと思います。夫の勇気のおかげで、私はとても穏やかで優しい産後2か月間を過ごすことができました。

「2人目が産まれたとき、ひとりで良く子育てしてたね。これは無理だよ。本当に大変だ。大変だ。」

「こんなにかわいくて愛おしい新生児期にお世話できるなら、男性も育児休暇は全員取るべきだね」

夫が発言した中で心に残る2つの言葉です(本人は「そんなこと言ったっけ?」と忘れているようでしたが、笑)。特に前者の言葉には、2人目出産直後は完全ワンオペで、1歳の長男、0歳の長女を抱えて辛く孤独を感じていた日々が報われました。「いや、本当に大変だったんだから・・・!分かってくれただけでもうれしい!」と。
「夫が育児休暇を取りました。【後編】」では、実際に育児休暇を取得した夫にインタビューしています。夫目線の言葉をぜひ読んでください。
後編はこちら

#バックナンバー(Workingforever内)

■ 2児の母フルタイム勤務の私が副業を始めるまで #パレット1
■ 「どんな自分でも」受け入れられるようになるには #パレット2
■ 「おばあちゃんになっても働き続けたい」という想いに思うこと #パレット3
■ 自分で「決断する」ということ #パレット4
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