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「自由」の取り扱い説明書 はしがき

2021年。あけましておめでとうございます。これから「自由」の取り扱いについて説明していきます。

「自由」ってのは、僕ら一人ひとりに生まれながらに与えられている権利らしいです。

それは「人権」とも呼ばれていて、日本では憲法によってさまざまな自由が認められてもいます。

だから、現代では誰もが「自由」を持っていると言われている。


にもかかわらず、「自由」をどう扱っていいのか?が分からないって人は意外に多い。

というか、ほとんどじゃないかと思います。

何を隠そう、僕がそうです。


「自由」の取り扱いについて悩み、間違え、迷いながら、人生を進めてきた者の一人です。

そんな僕の、今年2021年の抱負は、『自由の取り扱い説明書』を書くこと。


誰もが持っていながら、上手く使いこなせていない「自由」

2度の世界大戦と、数億人の屍の上に、ようやく打ち立てられた「自由」

親から、学校から、メディアから、会社から、国から、保証されているらしき「自由」


全部、僕らの手の中にある。

はず。


でも、その存在はどこかあいまいで、フワフワしていて、つかみどころがない。

「自由」は目に見えないからです。


それでも人を魅了してしまい、時には希望を与え、けれど時には人生には手痛い過ちの元ともなる、厄介な存在。

それが「自由」。


だから、『自由のトリセツ』を書きたい。

それは誰より、僕が一番読みたかった本になると思う。


とはいえ、まだここには目次すらない。書きながら考え、考えながら書いていく感じになると思います。

どうなることやら、僕にも全く見当がつきません。

行き当たりばったりにはなりますが、書きたい気持ちはあるから問題ないでしょう。

ライブ感でやっていきます。


幸い、僕には師匠がいます。

なんの師匠か、と言う話は長くなるので今度にするけど、僕はこのお師匠さんから「自由」とはなんなのか?を日々教わっている最中です。

それは言葉の場合もあるし、言葉じゃない場合もある。


師匠の口から語られる講義であることもあるし、ただの表情とか、歩く姿とか、背中や姿勢や、酒の席での笑い話なんかから、僕は「自由ってなんやねん?」という僕自身の人生にとって大切な問いに対する答えを日々、受け取っています。

だから、このnoteではそれを言葉化していくことになると思います。


僕の感じている「自由」と、その「定義」と、「取り扱い方法」についての輪郭を、毎日ちょっとずつ捉えては、カタチを与える作業を続けていきます。

だからどちらかといえば、「書く」というより「コネる」作業に近いと思う。

毎日コネコネします。ぬか床みたいに。腐らぬように発酵させてゆきます。

なんで、このnoteの投稿も「記事」というより「生地」。

ピザとかパンとか、焼けばふっくらもちもちになるように、生地をコネてコネてコネてゆきます。


まあなんにせよ、僕は師匠の元で学び、そして働きながら、フカフカの「自由」についての生地をコネていく。これが2021年の抱負です。

「自由の取り扱い説明書」が欲しい方は、フォローなりブックマークなり、あなたの暮らしのそばに寄り添いやすい形で置いておいていただけると、なんかの時に役に立つかもしれません。


というわけで、自由の取り扱い説明書のはじまりです。









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