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「3代目後継ぎです」と胸を張って言えるようになった日

「3代目、後継ぎ」

恐れ多くも この言葉を
ようやく胸を張って、言えるようになれた。





金型をはじめとする金属に対して
「真空熱処理加工」を行う。

それが僕が働く会社の仕事。


真空熱処理とは、簡単に言うと、
「真空状態」で「金属」に「熱」を加え「冷ます」

これにより、金属組織を変態させる。
すると、金属が「ものすごく硬く」なる。

そんな感じの仕事。
ハッキリ言って、めちゃくちゃ特殊な仕事。



最初にも記述したように、
僕はその会社で働かせて頂いている。
今(令和4年)で入社8年目になる。

初代が祖父。
2代目が親父(まだまだ現役)
そして僕が3代目になる。


僕がまだ小さい頃、
自分の将来の仕事についてどう思っていたかは
全く覚えていない。


その後、
思春期を迎え。成人になり。社会に出る。

この過程の中で、僕は一度たりとも、
「父親の会社で働きたい」とは思わなかった。





足立家に長男として生を授かった僕。
18歳で家を出てからの、約10年弱、
僕は本当に、好き勝手に生きてきた。

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<20代前半の僕>




「うちの長男は ”死んだ” と思おう」


家を飛び出た10年間の中で、
そんな話し合いを僕の両親はしていたそうだ。

その証拠に、僕の将来のために、
内緒で積み立ててくれていた貯金は
全額使い切った。と後から聞いた。



「親子の縁を切る」「勘当」


なんて言葉も出ていた。

今でこそ酒を飲みながら
母「あの時はほんと、大変だったんだから。」
僕「ごめん、ごめん」
なんて両親と笑って話ができているが、
本当に、心配、迷惑をかけたと今でも反省している。



そもそも、家を飛び出た理由は

親父よりも「上」を目指していたから。
自分の力で、親父を超えてやると思っていたから。

だった。(もちろん他の理由もたくさんある)


とにかく、がむしゃらに生きた。

好き勝手に、生きた。

たくさんの人と出会い、関わり、生きた。

とにかく、必死だった。本当に必死だった。

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<20代半ばの僕>


20代半ば。

自分の力では、何ともならなくなってしまった。
好き勝手に生きてきた代償は余りにも大きく、
深刻で、強大で、僕は叩き潰された。



おおげさに、
そして極端に言うと、


「自ら命を絶つ」
   もしくは
「黙って殺される」


そんな選択を強いられる状況になるほどに
いつの間にか取り返しの付かない道を歩いていた。




本当に今だから言える話だが、
しばらくの間、遺書を書く日々が続いたこともある。



感情を抑え、文字にすることがなかなかできず
一度では書き終えることなど不可能で、
何日も、何日も、書いた。

書けば書くほど、辛くなった。
文字を書きながら、毎日泣き崩れていた。

泣き崩れる度に

「生きたい」

「俺は、まだ生きたいんだ」

と強く思った。




気付くと、
近所のコンビニにさえ、行けなくなっていた。
音に敏感になり、音と人の気配に、とにかく吐くようになった。
耳と目に違和感を覚え出し、平衡感覚がおかしくなった。


このまま、終わるのか?


このまま、終わらそうか?


自問自答を繰り返した。





好き勝手に生きてきた人生。





この時初めて「自分自身と向き合った」





自分と向き合い、

出した答えは、

「生きたい」

「変わりたい」 だった。




くたばって、たまるか。




そう思えるようになった瞬間、一気に動き出した。

身体も、心も、行動も、未来も。






随分と会ってなかった親父に会い、
頭を下げて「働かせて下さい」と伝えた。

父親からは厳しい言葉も当然あったが、
最後には働くことを許してくれた。


決して逃げることのできない環境。
甘えることのできない環境。
何があってもやるしかない環境。

自分自身を無理やり矯正する必要があった。



こうして僕は、自分の身を置く場所を決めた。


この仕事を選んだわけ。

それは僕の人生において必然であり、
生きるための道しるべであった。

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<昨年・35歳の僕>

「この会社で働きたい!」

「この仕事がやりたい!」
という想いからスタートしたわけではない。

でも今は、
感謝しかないし、働けて良かったと心底思う。



入社して8年。

自分なりに、死に物狂いで働いた。
めちゃくちゃ必死だったし、真剣に生きた。
何より、全てが有難くて。有難すぎる。

働きすぎか、倒れそうに何度もなった。

身体だけではなく、心がキツイ時も何度もあった。

でも、20代半ばの地獄の時期に比べると

全然、余裕。



まだまだやれる。





入社してから、もう8年が経つ。

ちょっと時間はかかってしまったけれど、
本日から、僕は胸を張って、、、




「3代目、後継ぎです」と名乗ることにする。


それだけのことはやってきた。

そしてこれからも、やる。

だから、もう、遠慮はしない。


僕、雅樹(かつお)は、
株式会社 足立熱処理研究所の3代目、後継ぎです。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
(現在、父親が2代目社長。僕はこれから3代目になる予定です。)


記事中の3枚の写真を見ると、
自分がいかに変わり、成長したかが分かる。

「仕事」と「結婚」と「友達」が僕を変えてくれた。
 本当にありがとう。

20代半ば、とても辛かった時。
夜中に、泣きながら電話をかけた友達がいた。
その友達が、1月5日、亡くなった。
どうか安らかにお眠り下さい。
やす、ありがとう。



本日、1月8日は
僕の誕生日でもあります。
この世に産んで下さり、心から、感謝しております。
親孝行、します。


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