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東京、レモンサワー・ミッドナイト

都会が、好きじゃない。嫌いと言ってしまえばそれまでになりそうだから、あえて好きじゃないという表現をしてみる。この感覚をどう説明したらよいか、いまだにわかっていないのだけれど。なんとなく、息苦しくて、酸素が薄い気がしている。

通勤の満員電車には人がたくさんのっていて、その人の匂いにむせ返りそうになる。みんなそこでは目立たないように過ごしているくせに、指先から覗くその先はSNSで、ここにはいない誰かを求めている。その場では自分の姿を消すのに必死なのに、なんだかその世界自体が怖い気がしてわたしはどうにも参ってしまう。

田舎に住んでいたころには、あまり聞こえなかった救急車の音。人が多い分、回数が多いのも仕方がない。
「青になりました」という信号機の声。とても無機質だけれど、逆に感情がこもっていないからこそ怖いから、これで正解なんだろうな。
赤提灯がぶらさがっている、昼間の飲み屋街。昨晩の人の気がまだ残っていて、なんだかこういう場所は好き。人の匂いに酔う癖に、人の残り香は好きだなんて、だいぶ変態なのかもしれない。
くねくねした地下鉄。どこにいくにも乗り換えが大変で、迷路みたい。でもそのおかげで、いろんな駅名と由来を知った。東京から圏外にでると、駅の少なさと電車の少なさにびっくりすると思う。わたしが昔住んでいた福島は、一時間に一本電車がくるかこないかの世界だったから、東京はとても便利だ。

東京。
便利で、発達している、日本の中心部。
「上京」なんて言葉があるように、東京に憧れる人々がたくさんいる。東京に棲みたいと夢見ている人がたくさんいる。
何があるかを説明したくても、わたしにはあまりわからない。むしろ、ありすぎて何を説明したらいいのかわからないのかもしれない。

建物は、縦に長い。緑は、つくられたように一部に存在する。すれ違っただけだと思った人とは、いずれどこかで再会してしまったりする。恋に諦めても、諦められなくなる瞬間がある。コンビニが、家から大体近い。夜にタクシーに乗ると、たまに優しい女性のドライバーさんと出会える。出会いの数はたくさんあるけれど、愛の数はほんの一握りだ。

あるようで、なにもない。
もしかして東京って、そうなのかな。
お酒を飲みながら、ふとそんなことを考えてみた。

ブルーベリー・ナイツならぬ、レモンサワー・ミッドナイト。

わたしはお酒が好き。その中でも、レモンサワーが好き。
なんでお酒が好きかと聞かれてもわからないけれど、お酒に対して思うのが昔も今も変わらないことがひとつある。
「好きな人とじゃないと、酔えない」。
どんなにおいしいお酒を飲んだって、美味しいお店に連れて行ってもらえたとしても、わたしは好きな人とじゃないとお酒に酔えない。緊張からきているんだろうか。その要因はいまだに自分でもわからないけれど。
わたしのレモンサワーは、愛のカタチだと思っている。わたしがお酒を飲んで酔えた人は、好きな人なんだって思える。

だからこそ今、またコロナが流行ってきてひとりで家で飲んでいる今。
ただ、毎日淡々ととタスクをこなしている今。
どうしてだか、物寂しさを覚えるようになってしまった。これって年のせいなんだろうか。
前は独りで飲んでいても何も思わなかったのに、人に会って飲んで、楽しかったり嬉しかったり感情が湧き出ることを思い出してしまったから、少しだけセンチメンタルになっているんだろう。アラサーのひとりごとってやつ。

嬉しいとか悲しいとか切ないとか、悔しいとかもどかしいとか寂しいとか。
お酒を飲んで爆発するようになってしまった。これは果たして望んでいた自分なのだろうか。自分に問うてみるとわからない。

だけど。
父と飲む酒はおいしくて、親友と飲む酒はおいしくて、好きな人の前ではなぜかすぐに酔ってしまうわたしは。
いつも東京の地下鉄に揺られて、東京の人にもまれて電車にのり、東京の片隅で眠りにつく。

東京ってやつは、切なさや苦しさを存分に蓄えていて、こちらが意図して回さずともガチャガチャのようにある日こちらに感情を転がしてくる。きたからには開けないと失礼な気がするから、おずおずと手を伸ばして触れてみる。
それを開けた日にはまた鬱な曲を聴きたくなったりなんかして。ひとりで耐えきれなくなったならさ。缶チューハイを持って公園へ行こうよ。あの日の思い出の場所に行こうよ。照れくさくてもなんでも、きまづくてもなんでも、この街で住む限りわたしたちはきっとまたすれ違って、出会うんだろう。

わたしは、都会が好きじゃない。
好きじゃないけれど。

嫌いじゃない。

東京。夏。夜。虫の音。
今年初花火と投稿した君のインスタのストーリー。
わたしの今年の初花火は、君との線香花火だったよ。
静かに消えていったあの日の灯火のように、気持ちがなくなっていく気分なの。
こういうのを「エモ」と片付けてしまうのが嫌で、殴り書いてみた。
今日もわたしは、東京で生きて、息をする。
あなたがいない7.5畳の部屋で、生活をしている。

いつも応援ありがとうございます。