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いつか、いつか。王子様に出会えるならば。

【ご報告】の次に来る言葉は、大体お決まり。この年になると誰もが自分の意思とは反対に見ることになる結婚報告に、わたしはどうしても気が滅入ってしまう。滅入る理由を探してみてわかったことは、別にそれがどうでもいいわけではないということ。そこに至るまでの過程や、覚悟、心境を想像すると重たい気持ちになって、最終的には「おめでとう」という気持ちになるのだけれど、いつもどこか卑屈だ。
どうして現代人は、結婚を知らせるときに【ご報告】を使いたがるんだろう。SNSの使い方に性格がでるんだろうか、まったくもって気が付かないうちに結婚していた知人もいて、「え!?いつ!?」ってなったりもするから、人っておもしろい。この【ご報告】にひっかかるのはそこだけで、他人の投稿に口を出す気はない。投稿についてあれこれ言い出したらきりがない。わたしの投稿だって、たいてい頭がおかしいかもしれない。そこはいったん置いておきたい。

ただ、先日。なんてこともない日の夜。
27年間わたしの口の中で苦楽を共にしてきた乳歯が抜けたこともなかなかのビッグニュースのはずなのに、わたしはそれを【ご報告】だなんて気持ちで人に発表する気になれなかった。
豆知識として、知っておいて損得があるか責任はとれないけれど、生まれつき乳歯の下に永久歯がない人というのが一定数存在する。すべての歯がそういうわけではなく、私の場合は3本口の中にまだ乳歯が存在する。歯って、乳歯が生えた次のステップで永久歯が押し出すように生えてきてそろってくるもので、もともとないとなると押し出してくれるものがないからそこに残り続けるか、老朽化で壊れていくかのどっちかなのだそう。わたしの乳歯はとても健康でずっと居続けているため、こうなった。

そのうちの一本が抜けた。いたくもなんともなくて逆に怖かった。謎の恐怖と悲壮感で心がいっぱいになって、これはご報告をしたい……なんて思ったけれど、歯の写真を載せたらやばい。乳歯を載せる親心ならまだしも、わたしの場合はちょっと違う。さすがに、やめておいた。

人によって、ご報告したいことは様々らしい。わたしの乳歯ニュースはなんともなく流された、というか流したけれど、よくよく考えたらちょっと切ない。さようなら、わたしの歴史。大好きだった人とのキスにも寄り添っていた、我が子よ。

結婚っておめでたいのかな。結婚ってそんなにいいのかな。政府が決めたなにかの慣例行事にしかみえないな。そんなひねくれたことを思ってしまうのはわたしが独身だからなのだろうか。
ずっと思っているけれど、結婚をしていればまともな人間に見られるのはなぜなのだろう。結婚したって、他人は他人。人を指輪で買い、法律の誓いを立てる。みんなが拍手をする。その先の未来なんか見えないのに。その瞬間と過去を祝う。結婚式にかかる費用はやけに高くて、出席する側のお金も(あんまり言っちゃいけないことみたいになってるけど)高い。これに関しては、あんまり理解できない。ブライダルとお金の理、そんな研究があったらお目にしてみたい。

歪んでいるんだろうか。歪んでいるんだろうな。
周りを見ると歳を重ねるのと比例をするように結婚を意識している人がほとんどなのに、結婚に疑問を持つなんて。自分ってなんて面倒くさいんだろうか。結婚したその先を考えると、どうしても一歩踏み出せないのは、考えすぎなんだろうか。
結婚はゴールじゃないのに。どうせお祝いするなら、「結婚50周年」とかそういうほうが納得いく。そんな慣例行事ができるなんて、絶対にありえなそうだけれど。

苦い記憶がある。別に、今更怒っても悲しんでもない。ただ、傷には確かになった出来事。跡が消えたかどうかを確認するのも億劫。

「好きだ」と言われた。告げられたのは、彼の結婚式の3日後だった。ご祝儀を持って行った自分を殴りたくなった。この日のためにワンピースを新調して、二次会の素晴らしいパフォーマンスに涙をしたというのに。目の前の男性はわたしにそう言い放った。わたしはわたしで油断していたのかもしれない。彼のことをそんな目で見ていなかったから本音を話していたのに、彼は違った。
家庭を持った男性から向けられる視線は、とても嫌でむかついた。嫌だったし、悪いことをしていないはずなのに自動的に悪者になる嫌悪感で押しつぶされそうだった。心の中で何度も思った。せめて、せめて。

ご祝儀返せ、って。

その方のそれまでの経歴は詳しくはわからないけれど。結婚して数日の人がこんなことをしたというのに、結婚して何カ月も何年も経った人が、変わらないでいるはずがない。社会では、『結婚している人=まともな人』という訳の分からないフィルターがかかるのだから、なおさらだ。その肩書きがあるだけで、良い歳した大人はまともにみられる。結婚が人格をカバーする。人生にフィルターをかける。きっつ。

結婚したって、彼女ができたって。人は変わらない。SNSでどんなに「きゃぴ」なお披露目をしても、他人をアイデンティティになんかできない。旦那さんが、お嫁さんが、自分にとってどれだけ尊くて自慢できる人でも、それが自分の価値にはならない。って思っているんだけど、世間は違うみたいだ。これはこれで、わたしの価値観だから、誰かにとっての間違いであるように、わたしにとっての正解でいい。

物心ついた頃にはわかっていた。どうせ他人なら、一人で生きていく道を作った方がいい。確証のない他人と将来を分かち合うなんて、非合理的だ。そんなことをいうと、恋愛を否定している痛い女に見えるかもしれない。
そう見えるならそれでいい。

実際、わたしの恋愛の優先順位は低い。たとえこの先誰と結ばれても(というかこれまでもだれかと一緒にいても付き合ったとかと言う報告をSNSでしたことなんてない。なにもいいことがなさそうだし)SNSではいわない。恋愛をアイデンティティにすると、いつかお互い足を引っ張ってしまう日が来るってわかってるから、しない。そんな自分ならではの信念を貫いていたら、ご覧の通り可愛くない女が出来上がった。頭が固いらしい。もっと柔らかい目線で物事を見るべきだそうだ。

もし、そうあれたら誰かにとっては「幸せ」に見えるんだろうけれど、わたしが守りたいものはその類じゃない。好きとか嫌いとか、そんなレベルじゃない。自分よりも、他人よりも、生きていて欲しい人がいる。わたしの愛は、恋愛にもう働かない気がする。

なんて。

本当にそうか問いかけるのはずっと怖いから。
恋愛と向き合うと怖いから。
逃げてきたんだろう。

正義だとか悪だとか、どうでもいい。この世界に生きている生物の数だけ、「正解」があっていい。わたしの感情だって、誰かにとっては悪で、はたまた誰かにとっては正で、もうそれでいい。わたしは、わたしのために動いていく。それが誰かのためになるって、声になるって、もう充分わかったから。自分がやることに対して、罪を背負って生きていく。

その代わり。わたしのために、叫ぶ。わたしみたいな人のために、代わりに叫ぶ。その覚悟を持って、書いていくよ。
拝啓、わたしに復讐心を植え付けてくれた人へ。
それがどんな醜い種でも、きっと咲く花は美しいから。目立たづとも。
感謝をしているよ。お幸せに。わたしの目につかないところで、どうぞ。
一生お互いの人生が交じり合うことがありませんように。

すべての責任を捨てて、誰かに思いっきり甘えてみたくなる時がある。怖いとか、悲しいとか、必要だった何かを捨ててきてしまった自分を振り返ると、そんなことしないで済む人生をきちんと自分で歩めたらいいのにって。
最近、思ってしまったりもする。

結婚がしたいわけではない。まともな人に見られたいわけではない。
ただ、思いっきり。くすぶっている心の底のこの気持ちを。
ぶつけてしまうかもしれないけど、愛せる人に出会ってみたいと思ってしまう。こう思うのがずっと間違いだと自分で否定してきてしまった。
結婚が、家族が、育った環境もあって怖いというのはあるけれど。
そういうのじゃなくて、そういうことじゃなくて。
たったひとりを好きになれたら。たったひとりに、愛を注げたら。

少しだけ、見える景色が広がる気がしている。


頼っていいよって、甘えて良いよって、優しい振りしたあの人も。
お前には俺しかいないって言ったあの人も。
甘さだけ残してそっけなくなったあの人も。
治らないほどの傷と、思い出を重ねたあの人も。

ぜんぶ、点にすぎなかった。

その点の先で出会える誰かがいるのなら、
今度こそ自分を殺さないで向き合いたいって思う。

いつか王子様が。

ディズニープリンセスに憧れたりもする。もしもこの先、好きな人から素敵なお花をもらえたりなんてしたら、きっと泣いてしまうんだろう。お花を買ったり飾るのが怖いのは、いつか枯れてしまうから。それでも咲いているひとつを贈り物に選んでくれたら、自分が枯れてしまうほど泣いてしまうかもしれない。憧れの未来だ。物語のひとつでいい。
訪れるはずのない未来を想像して絶望する。だから作品を創造するって決めた。そのはずなのに、なんなのだろう。

シンデレラでいれたらいいな。シンデレラになりたい。
気持ちはずっとシンデレラのはずなのにな、なんて。
わたしの足は22.5。ビールは好きだけれど、ピンヒールはちょっと苦手。覚えておいてね王子様。

孤独におぼれている今のわたしがあるのは、来世の自分のため。
いつかの自分に、おめでとうと先にいっておく。
愛し愛される喜びを味わえる日がきたら、思いっきり笑ってね。
そのために今は、今を。この孤独の海を精一杯泳ぐと決めた。

だけど、もしも。もしも王子様がいるのなら。
出会えたとしたら。

わたしは今よりも少しだけ、かかとが高くなる気がするのだ。
多分きっと、その時には。
ご報告をせずにこっそりと、幸せを噛み締めているから、よろしくね。

いつも応援ありがとうございます。