noteの語尾、「ですます」と「だである」どちらが良いのか問題
これまで、noteを「だである調」で書いてきました。「ですます調」は少し気恥ずかしいと感じていました。
ところが最近、他の人のnoteもよく読むようになり、ほとんどの人が「ですます調」で書いていることに気づきました。
肌感覚としては、8割が「ですます調」で、2割が「だである調」。実際には「だである調」はもっと少ないかも。
今まで「だである調」を使ってきたのは、自分の思考を文章にする時にしっくり来るからです。
頭の中で「ですます調」で物事を考えている人はいないはず。
また、「だである調」は威厳があって孤高なイメージもあります。
ライターとして書いていた時には、媒体ごとに語尾が決まっていましたが、ほとんどの媒体は「だである調」でした。
一部の媒体で「ですます調」を書くこともありましたが、少し気恥ずかしさがありました。どこか自分の文章じゃないような。
「ですます調」は文章が柔らかくなり、親しみやすさが出てくると思います。
一方で、読者に迎合しているような偏ったイメージも持っていました。
今回、「ですます調」と「だである調」の違いが気になって、Kindleでいくつかのエッセイを読み返してみました。
すると、あの五木寛之も「ですます調」。
結論的には、「ですます調」でも「だである調」でも、自分が好きな方を使えばいいだけです。
「ですます調」でも自分の思考していることを書くことは可能だと思いました。
個人的には、一人の読者として、「ですます調」であろうと「だである調」であろうと、あまり気にしたことはありませんでした。
しかし、一般的な読者がどう感じるか、本当に「ですます調」の方が親しみやすさを感じるかというのは分からないところです。
ところで、この文章も音声入力で書いています。
音声入力は人に話すように書いていくものなので、「ですます調」で書いた方が自然かもしれません。
家族や友達には「ですます調」では話さないと思いますが。
結論としては「ですます調」でも「だである調」でも、自分の好きな方を選べばいいだけです。
今回は実験的に「ですます調」で書いてみました。これがしっくりくれば、今後も「ですます調」で書いていくかもしれません。
↓そんな一曲
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