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【長編小説】 異端児ヴィンス 9

 その生粋きっすいのケベコワーズの少女は、モントリオール近郊に住んでいた。モントリオール近郊といっても、正確にどこだかは知らない。ただ彼女が市内のダウンタウンで週に一回行われる日本語とフランス語のエクスチェンジ会に頻繁に参加していたことと、家を訪ねた時に車で走った距離感からして、そう遠くはない、モントリオール市周辺に位置するいずれかの町だろうと推測できるのみだった。
 モントリオールの周囲には、ラヴァル、ロングイユ、ブロッサール、テルボンヌと呼ばれる小規模な市がある。ラヴァルは不動産価格が安いことから、結婚すると皆が家やフラットなどを買って移り住む場所、ロングイユは夏によくraveレイヴと呼ばれる大音量で音楽を流して大勢の若者が集まるフェスティバルが開催される場所というイメージが強かった。ロングイユには島があり、そこには人工のビーチがあって夏にはテオとよく行った。ブロッサール、テルボンヌは天気予報で見て覚えた地名で、テルボンヌは〝北〟、ブロッサールは〝南〟の〝知らない土地〟だった。
 地図上で見るだけの〝知らない土地〟のひとつにブーシャーヴィルという町があり、エクスチェンジ会に来る仲間の内の誰かがマチルドの住んでいる町はそこだと言っていたような記憶がある。
 彼女の腰まで届くほどの長い髪は、癖の強い縮れっ毛で、色白の丸顔をふんわりと包み込んでいた。人情味のある丸い緑の目をしていて、鼻は小さくてつんと尖っていた。ふっくらした頬の上部がのぼせたようにいつも赤く、それが極端に上下するケベコワ特有のフランス語のイントネーションと彼女独特の冗長な喋り方と相まって、何とも言えない田舎臭さを感じさせていた。
 けれど朗らかな性格で、全体的に感じのいい子だったので、エクスチェンジに来る日本人たちの間では人気があるようだった。
 マチルドは誰か日本人が誘って連れてきたみたいだったし、いつもその友達や他の日本人に囲まれていたので、私はあまり親しくなる機会がなかった。その他の理由には、テオがあまり積極的に彼女と関わらなかったということもあった。
 思うに、彼は割とスノッブな理由から、ブーシャーヴィル辺りの出身の彼女に重きを置いていないというか、少し見下しているようなところがあるようだった。本人にその自覚があるかどうかはわからないけれど、彼女に対する彼の態度や言動ゆえに、自然と私がマチルドに距離を置くようになっていたのは事実だった。
 
 ある日、私達はマチルドからパーティーに誘われた。パーティーといっても、親しい友人を呼んで自宅で行う、ケベコワがよくやるホームパーティーだ。
 そしてそれは、マチルドの誕生日パーティーだった。
 テオはあからさまに〝気が進まない〟といった態度を示した。そんな遠いところまで、それほど親しくもない友達かどうかもわからない関係の人の為にパーティーに行く気がしない、というのである。自分の気の乗らない催しには、はっきりと参加を渋るという、傲慢なところが彼にはあった。
 確かに私も彼女とそこまで親しい間柄であったわけではないので、多分人数合わせのために呼ばれただけなのだろうと少し戸惑ったが、マチルドが是非にと言っており、そして、他の日本人たちも皆行くということで、何となく招待に応じる形になってしまった。
 
 地下鉄ロングイユ駅で待ち合わせして、サミュエルというケベコワの男の子の車に乗せてもらって、何人かでマチルドの家を目指した。パーティーの始まりは何時だったか、とにかく夜のパーティーだったので、七時かそこらだったのではないかと思う。
 私たちは、時間より少し早くマチルドの家に着いた。日はもう暮れていて、ある家の前の路肩にサミュエルが車を停めた。暗くてよくわからなかったが、そこは多分、ブーシャーヴィルだった。
「パーティーの時にね、時間より早く行くのは、本当はとっても失礼」
 と、苦笑しながらテオが言った。対外的な場面になると、いつも急にマナーや常識にうるさくなって、説教臭くなる、そんなところが彼にはあった。けれどともかく、カナダでの(それとも彼らコミュニティの?)日本とは異なるマナーを、その日私は初めて学んだのだった。
 日本では基本的に人が集まる時には〝五分前行動〟などと言われるように、少し早めに行くことを推奨される。早めに到着すれば、ホスト側の準備を手伝ったりして助けになることができる、と考えられているからだ。また交通網の乱れや忘れ物を取りに帰るなど、途中で何か起こった場合に対処できる予備時間を確保しておくことは懸命だ。
 けれど、彼らはそう考えない。彼らは自分がホスト側の立場にある時、完璧に準備を整えた上で迎えることに重きを置くらしい。ゲストに早く来て手伝ってもらう気などさらさらなく、もしそのような状況になれば恥に思うくらいなのだろう。そして完璧な準備を整えようとすれば、念を入れるあまりパーティーの開始時刻に間に合わないということもあるだろう(間に合うように時間に余裕を持って段取りよくやればいいのではないか、という言葉は呑み込んで)。だからゲスト側は逆に〝気をつかって〟わざと少し遅れて行くぐらいがマナーになるのだそうだ。非常に面白いカルチャーギャップだ、とその時私は思った。
 
 ともあれ、招待された全員が、無事マチルドの家に着いた。そこは小さなアパートで、彼女の住居は二階にあり、私達は狭い内階段を上がって中に入った。
 季節は冬だったので、カナダの日はとうに暮れて、すっかり夜のとばりが下りていた。
 室内は薄暗かった。私達は、ホームパーティーではいつもそうするように、寝室のひとつに通されて、それぞれ重いコートを脱ぎ、ベッドの上に重ねていった。
「Welcome, welcome! 」
 と言ったか、
「Bienvenue! 」
 と言ったか、今では定かではないが、マチルドは満面の笑顔で皆を迎えた。私たちも皆、Bonsoir, とか、今日はお招きありがとう、とか、にこやかに挨拶して、マチルドに案内されるままに食堂の方へ移動した。
 コートを置いた寝室と食堂の間には台所があって、移動する為に私達はそこを通り抜けなければならなかった。そこにはマチルドのお母さんがいた。テーブルに座って、ナイフを使ってひとりで大量のじゃがいもの皮を剥いていた。
 娘の誕生日パーティーの招待客がもう到着しているというのに、まだそんなことをしているなんて……と、ちょっとそれは異様な光景に映った。けれど、彼女が我々がかける挨拶の声に応える仕草が何となくぞんざいでぶっきらぼうであったのと(極力感じよくしよう努力しているようではあったが)、人々が目の前を通り過ぎているのにもかかわらず、〝ああ、神様!〟とでも言うように天を仰ぎ目を上に向けて呆れ返ったような所作をするのを見て、母親が我々をあまり歓迎しておらず、今日のこのパーティーを成功させるために積極的に娘の手助けをしようとはしていないということが見てとれた。そしてそのことにマチルドは少し気まずそうで、母と娘の間には不穏な空気が漂っているようにすら見えた。
 
 食堂に入ると、細長いテーブルに約十人分の席がしつらえられており、皿、ナイフ、フォークやスプーンなどが、本格ディナーさながらにセットされていた。そして真っ先に我々を唸らせ、感嘆の声を上げさせたのは、ナイフとフォークに挟まれて燦然さんぜんと輝く、特大のシュリンプカクテルだった。
 それはパーティーを始めるにあたって気分を上げるのにふさわしい、なかなか豪華な前菜で、ひとつのカクテルグラスにつき大きな海老が少なくとも八匹は当てられており、それぞれが尻尾を下にして、グラスの縁をぐるりと囲むように綺麗に並んでぶら下がっていた。この光景を作り出すために、マチルドの払った経費と労力は並大抵のものではないと思われた。或いは先だっての母親の不機嫌の原因はここにあるのかもしれなかった。
 食堂には、この他にも驚かされることがあった。何と、椅子とテーブル以外の間隙を、大量の青い風船が埋め尽くしていたのだ。紐のついたその風船にはヘリウムガスが充填されていて、浮かんで天井にくっついていた。
「ブルーナイトパーティー!」
 と、弾けるような声でマチルドは叫び、はしゃぐように青い風船をぽんと叩いた。
「……すごいな……。カナダの人って、自分の誕生日パーティーにここまでするの?」
 やや圧倒された私は、囁き声でテオに聞いた。彼は冷笑しながらただひと言、
「友達が祝ってくれない人は」
 と言った。そのひと言に私は鼻白んでしまった。テオの言葉の冷淡さと、マチルドの健気な努力のかなしさが、一度に押し寄せてきたような気がした。
 私たちはテーブルにつき、賑やかに会食をした。マチルドのお母さんがさっき台所で大量に皮を剥いていたじゃがいもも料理になって供されたが、彼女が食堂に入ってくることはなかった。今日の娘のこの催しを、とんだ浪費だと憤っているのではないだろうか、と、私は心配になった。
 見たところ、アパートの中にマチルドの父親の気配はなかった。もしかすると両親は離婚して母子家庭だったのかもしれない。ケベックで離婚は珍しいことではないし、立ち入ったことを聞けるような間柄でもなかったので特にそのことを確かめるわけにはいかなかったが、母と娘の慎ましい生活の中でこのようなパーティーを開くことは、マチルドのお母さんにとっては想定外の出費であったのかもしれなかった。
 私たちは行儀よく、なごやかにパーティーを楽しんだ。テオもその間は感じよくしていたし、むしろ積極的に気の利いた話題を振ってその場を盛り上げもした。彼の話はジョークをまじえてウィットにも富み、聞いていて面白かった。
 宴もたけなわとなった頃、誰かがどこかから可愛らしい毛糸編みのルームソックスを出してきた。それはカラフルなポリエステルの糸を使って編まれたもので、編み目も美しく揃っていてとても小洒落て見えた。私たち招待客の日本人はそれらを見ると、一気に色めき立った。
 聞けば、それはマチルドやケベコワの友人達が自らの手で編んだものだという。
「えーっ? すごい!」
「コレ、欲しい~!」
 日本語で、どこかから声が上がった。そのような複数の声がいつしかひとつになり、唱和のようになっていった。
 そのハーモニーがあまりにも美しすぎたのか、マチルドたちの心が段々緩くなっていくのがわかったような気がした。確かに、自分の作ったものを心から欲してもらうというのは、誰にとっても嬉しいことだ。そして、これは日本でも往々にしてあることだけれど、遠い外国からはるばる訪れている人に対しては、彼/彼女を喜ばせるためには人は通常以上の奉仕をしてしまう。このときにもその作用が生じた。
 当初、見せるだけでプレゼントするつもりはなかったのかもしれないのに、私たち日本人の盛り上がりを勢いに押されて、結局マチルドたちはその手編みのルームソックスを全て譲ってくれた。私もひと組いただいた。
 繰り返して言うが、異国のゲストを迎えた時、ホスト側の人間は得てして甘々・・になるものだ。普段同国人に対してならまずしないであろう、やりすぎなほどのサービスを、思わず提供してしまったりする。日本人は特にその傾向がある。テオは日本に滞在したことがあるが、彼がいた間、私はそういう場面を幾つも見た。彼らはテオを誘って日本食を御馳走し、自慢の庭や家を見せるために自宅へ招いた。そうやってもてなした時、ゲスト側が発する感動や熱狂は、ホスト側にとって何にも勝る報酬なのである。
 その夜も、見事にそれが作用していた。パーティーが終わってオテル・ド・ヴィルのアパートに辿り着いた時、バッグからもらってきたルームソックスを出して見た。その時もまだ、軽く興奮した気持ちが残っていた。ルームソックスは軽くて、可愛くて、これから先冬の間足を暖めてくれ、確実に重宝しそうだった。
 けれど私はなぜか、うっすらと強奪者のような気分を味わっていた。
 

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