ピカミィ卒業について、真実から目を背けるファンたち。結局君らの「好き」ってそういうことなんだね。

かなりの数のファンやバーチャルブッダのようなVtuber評論?業者までもが天野ピカミィの卒業に関して、ホグワーツレガシーに関するポリコレ勢からの攻撃が原因ではないと述べている。(それどころか「ポリコレによるハラスメント原因説」をデマ扱いまでして火消に躍起になっている。)
何を寝ぼけたことを、というのが私の率直な感想だ。

ピカミィの卒業について、既に予定されていたもので前向きなものだというVOMS運営の発言を根拠にして、そこで思考停止しているらしい。
では尋ねたい。

今回の卒業発表後にピカミィと直接話したK-son総長が、配信で彼女の卒業と結びつけて「また起きてはいけないことが起きてしまった」と発言し、そこから延々とネットリテラシーの話をしたり、Vtuberの世界に現実を持ち込むなと苦言を呈したりしていたことと、どう考えれば辻褄が合うのか。

また、炎上後の長期休止明けのピカミィ本人の配信で、前向きな卒業のはずなのに本人が今後の将来のビジョンなどについて一切配信中で話題にしないのは何故か?
そして、ご心配をおかけしましたと言いながら、卒業と例のハラスメントの関係について「例の件が別に原因じゃないよ。心配しないでね」とピカミィ本人が言えばそれでファンの心配を取り除くことができるのにそういう話も一切無かったこと、その理由は?
配信中で本人が言っていたことだが、何故ピカミィは休止中、実家に帰って、ほぼ一か月間ネットもゲームにも一切触れない生活していたのか?
前向きな卒業で、何か今後やりたいこと、やっていくことがあるなら情報収集や新しい関係先への連絡とか、絶対ネットに触れるはず。ゲームも好きだったのに何故やらなかったのか?
こういう部分について、希望的観測を単に信じてるファンたちは気にならないのか。

おまけに直近のk-son総長の配信で「何で誰も、k-sonもピカミィを助けてくれなかったんだ」というリスナーからの(逆恨み的な)コメントがあったのに対し、k-son本人が「ピカミィのためならなんだってするが、それは彼女自身が望む時だけだ」という回答すらなされている。
これもホグワーツレガシーを理由にしたハラスメントがピカミィ卒業の原因でないのなら辻褄の合わない発言だ。
あの件が関係ないなら「そもそも助けを要したりするような状態ではない。ただの誤解だ」と言うはず。

こうした状況証拠から考えれば、VOMS運営の発言の方がむしろピカミィ本人の「これ以上騒ぎに巻き込まれたくない」という意向を受けた忖度である可能性が高い。端的に言えば泣き寝入りだ。泣き寝入りである以上、真相を本人や事務所が表に出そうとするわけもない。ポリコレ勢力の攻撃性などを考慮に入れれば当然ありうる可能性だと考えてしかるべきことだろう。
しかしそういった現実に目を向けることを断固拒否する自称「ファン」もいる。

揉め事がとにかく大嫌いな日本のVのファンたちは、事務所の出した「都合のいい宣言」を鵜呑みにしてさえいれば、すべての疑念に目をつむって「美しい思い出」に浸ることだけで済ませられる状態にむしろ順応しているのだろう。頭を働かせなければ安楽な気分に浸っていられる。
もう少し好意的な表現をすれば、ピカミィ本人が選んだ「泣き寝入り」という選択を支持します、という義理立てのつもりなのかもしれない。

心得違いも甚だしい。
ピカミィ本人に「いや、お前はポリコレ勢と戦うべきだ!」と押し付けることと、この事件の真相がどうであり、誰に責任があったのかを社会的に糾弾することとは、その意味も機能も全く異なる。
こういう切り分けができないから泣き寝入りが社会の中で横行し、それを改善していくこともできない。
被害者本人が抵抗できない場合は他者が社会的問題として扱って責任追及をしなければ理不尽は永久に社会の中で放置されそのままになる。
この件をデマ扱いしているバーチャルブッダのような連中はそうした社会の中のハラスメントや準犯罪行為の片棒を担いでいる自覚を持つべきだろう。


ピカミィを理不尽に傷つけた揉め事は実際に発生し、それは放置されている。これが現実。
そう言わないのなら少なくとも真実はまだ明らかにはなっていない、と言うにとどめるべきだ。
Vのファンたちの精神性については最近BBCによって報道されたジャニーズの社長、故ジャニー喜田川の性加害疑惑について長年見て見ぬふりをし続けたジャニオタと似た感じを受ける。
日本の文化自体は価値があるが、日本の「ファンの風習、ファンの文化」は多分に有害な側面を持つ歪なものだ。
ファン本人の快楽・安楽を優先して、自分たちが「消費」している対象を事実上人間扱いしていない場合さえみられる。

ピカミィについてVshoujoなどの他所の箱(事務所)に転生するかもよ、などと気楽な消費者としての期待を平然と述べているファンを見たとき胸糞が悪くて仕方なかった。
運営とのトラブルが何もなく、理不尽なネットリンチが原因で引退に追い込まれた人間が箱を変えて復活?
あるわけないだろ、ボケが。

Vtuberが我々にとってかけがえのないものであるのは、目に見えない、定量化できない価値を我々がそこに見出すからだ。それは「バーチャル友達」だと言ってもいい。
Vtuberをただの消費物のように扱い、そこに人間の心を見出さない連中にはこの文化に入ってくる資格はない。

【追記】
タイトルに関して、偏った判断をし過ぎたためにいささか挑発的すぎるものになっていると反省しました。なぜならファンの中には、あまりにもピカミィのことが好きすぎるために、実際に起きていることを事実だと認めたくない(臨床心理系の用語では「否認」と言いますが)という人もいるはずだからです。その点言及できず、公正な判断から逸脱していたことをお詫びいたします。

関連記事:Vtuber・天野ピカミィの「卒業」が意味するもの―ポリコレ勢力の過ち


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?