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映画『トリとロキタ』感想 理不尽を悲劇として消費させないために

 淡々とした描写が、逆に激しい怒りを感じさせます。映画『トリとロキタ』感想です。

 アフリカから地中海を渡り、ベルギーのリエージュに来た少年トリ(パブロ・シルズ)と少女ロキタ(ジョエリー・ムブンドゥ)。2人は出身地も違う赤の他人だったが、姉弟と偽り移民生活を続けている間に、心からの絆が生まれていた。年上のロキタは幼いトリを学校に行かせてやり、しっかり者のトリは精神的に不安定なロキタをいつも支えている。
 トリのビザの申請は通っているが、ロキタのビザはなかなか通らず、正規の職に就けないため、ロキタはドラッグの売人をして稼ぐしかなかった。ある日、ロキタは偽造ビザの金を作るために、さらに危険な仕事にも手を出すことになる…という物語。

 ジャン=ピーエル・ダルデンヌとリュック・ダルデンヌの兄弟からなるベルギーの映画監督、ダルデンヌ兄弟による最新作。『ロゼッタ』『ある子供』など、受賞作は枚挙の暇がないほどの巨匠ですが、恥ずかしながら作品は観たことありませんでした。題材が、昨今ではどこの国でも問題として取り上げられている移民・難民問題ということもあり、観ておくべきではという義務感に駆られて鑑賞しました。
 
 近年、アメリカの『ブルー・バイユー』、日本の『マイスモールランド』など、移民・難民を描いた傑作が多く、その社会問題性を訴えると同時に、当事者の悲劇性をドラマとして見せて美しさを生み出していると思います。ただ、今作での描かれ方は、そういった悲劇性の美しさは微塵もなく、非常に淡々とした描かれ方で、突き放すような冷徹さを持った作品にも感じられます。
 
 つまりは、哀しくも美しい物語という消費のされ方を拒否するような作りにしている作品なんだと思うんですよね。確かに、社会問題を描いた悲劇物語で、その美しさに涙してしまう時、安全圏から観ているだけの自分に罪悪感がよぎる瞬間があります。この作品は、その罪悪感をもっと観客に与える物語になっていると思います。高畑勲監督の『火垂るの墓』、是枝裕和監督の『誰も知らない』の辛い部分を、より抽出させて出来た作品の様です。
 
 ドラマ的な要素は薄いんですけど、その僅かなドラマ部分であるトリとロキタの関係性が、結果として際立つものになっています。2人がどういう出会いをして、なぜ姉弟と偽って共に生きているか、描かれてはいないんですけど、それを省いてもなお、説得力ある絆が描かれていると思います。姉弟ではない2人が、互いを思いやる姿は、社会とはかけ離れた圧倒的な正しさがあるし、だからこそ、それを引き離そうとする世界にはびこる「現実」というものが、いかに狂っているかを見せつけるものになっています。
 
 トリの優しさも素晴らしいのですが、幼い身でありながら、とても機転が利くし、危険を恐れない勇気も持っているという、作中で唯一、希望の光となる姿も非常に救いになるものです。ロキタの元へ向かう姿は、まるでジブリアニメの大冒険のようで、もっと安心出来る心持ちで楽しみたいシーンでした。
 
 ただ、それを許さない作品になっているわけで、とても淡々と描かれる悲劇ですが、現実のものであるというのと同時に、この世界を生み出した我々人間社会そのものへの、激しい怒りにも思えます。
 もちろん、悲劇的な美しい物語としての作品も、社会にある現実を訴えかけるという意味や効果はあるので、そういった作品を否定する気はないし、この作品もそれを他の作品を貶めるものでは全くないと思います。
 
 けれども、世界のどこかで起こり続けている悲劇が、我々と無関係ではないということを激しく思い知らせてくるこの作品もまた、必要性のある芸術だと思います。
 観ている間、ずっと責められているような気持ちになる重たい作品でした。しばらく引き摺りそうですが、出会えて、知る事が出来て良かったと思います。


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