映画『落下の解剖学』感想 真実を「明かす」のではなく、「選択する」物語
ミステリを隠れ蓑にして、家族が持つ役割(犬含む)について考えさせられるドラマ。映画『落下の解剖学』感想です。
フランスのジュスティーヌ・トリエ監督による映画作品で、脚本はトリエ監督とそのパートナーでもあるアルチュール・アラリの共同脚本となっています。カンヌ国際映画祭ではパルム・ドールに輝き、フランス本国では記録的な大ヒット、先日のアカデミー賞でも、脚本賞に輝いた話題作です。
物語の出だしは、夫の死が事故によるものか、事件なのかというミステリー的なものではありますが、決して事の真相がメインとなる作品ではないんですよね。宣伝ではいかにもミステリー作品のようになっているので、期待した観客にとっては予告詐欺に思えたかもしれません。
個人的には、カンヌのパルム・ドール作品でフランス映画ならば、真相をメインとしない作品なのだろうとは予想しておりました。逆に、序盤はきっちりと法廷劇となっているので、意外性を感じてしまうほどでした。ただ、それがミスリード的な効果になっていて、後半になると明らかになるのは真相ではなく、人間ドラマや感情の物語であるということを際立たせているように思えます。
物語が進むにつれて、サンドラとサミュエルの夫婦仲がクローズアップされていくわけですけど、ここがただ単に不仲だったということだけでなく、その関係性に色々な要素を持たせています。妻であるサンドラが名のある作家であり、夫のサミュエルも作家志望であるものの、まだ芽が出ていない状況で家事の多くを担っていることを不満に感じていたというのは、前時代的な男女関係が逆転しているものになっています。その状況が、サンドラの印象を悪くするという、ジェンダー観への皮肉のような脚本に感じられます。また、サンドラがバイセクシャルで、女性との浮気経験を暴露されるのもそうですね。
ただ、この夫婦の関係が本当に破綻していたのかというと、必ずしもそうではないものとして描いていると思います。頻繁に登場する回想シーンは、全て裁判で語られる形のもので、つまりはこの場面は証言などを聞いた裁判に参加している人々、傍聴している人々の脳内再生されている映像として描かれています。つまり、真実を映像として描いてはいないんですよね。これにより、観客は様々なバイアスをかけられつつも、真実がわからなくなっていく戸惑いを与えられます。
『落下の解剖学』という原題をそのまま翻訳したタイトルも巧みなものだと思います。事件の真相を解剖して解き明かそうとして、夫婦間の関係性、それぞれの心に秘めていたものを「解剖」して解き明かす物語になっているんですよね。余計なこと考えて、テーマと関係ない邦題を付けたりしなくて、本当に良かったと思います。
中盤までは、この夫婦の関係と、サンドラが本当に殺していないのかどうか、という点にどうしても目が行ってしまうのですけど、後半からは息子のダニエルが葛藤する姿が中心に変わっていきます。無関係の第三者たち(我々映画の観客)は、どうしてもセンセーショナルな事件の真相を期待してしまいますが、夫婦の関係性が露わになるのを目の当たりにするダニエル君のストレスたるや、半端なものじゃあないと思うんですよね。
その葛藤に耐えながらも、自分なりに事件を「解剖」して、自分なりの真実に辿り着くダニエル君の姿に熱いものがこみ上げてきてしまいます。何といっても愛犬スヌープの、迫真の演技、本当に驚かされるし、犬好きの方には要注意のアナウンスをした方がいいレベルの場面になっています。
その真実は、クライマックスでダニエル君が証言することで語られるのですが、それもまた、回想シーンではなく、あくまで「証言」を映像化したものでしかないんですよね。本当の真実は韜晦させていて、ダニエル君がその真実を「選択」したというものとして描かれています。真相を選択する役目という責務を、視覚障害者の人物に負わせるというのも、前回鑑賞した『梟-フクロウ-』に近いシビアさを感じさせます。
ある事件について、裁判が終わるまでをこの物語が描くことで、どう変化したのかと考えた時、大きい変化があったのは、やはりダニエル君の心だったんじゃないかと思うんですよね。ダニエルが不本意ながらも大きな決断をして、成長していく姿が印象に残ります。母親との関係性も、変化しているのを感じさせるラストを観ていると、親離れ・子離れの始まりを描いているようにも思えます。
ミステリーを導入として、複雑な心理描写とメッセージ性を持たせた質の高い作品でした。さすがはパルム・ドール作品といったところでしょうか。
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