映画『スパークス・ブラザーズ』感想 音楽への誠実・真面目さという狂気
スパークスというアーティストが、より一層わからなくなり、魅力的に感じられます。ドキュメンタリー映画『スパークス・ブラザーズ』感想です。
『ベイビー・ドライバー』『ラストナイト・イン・ソーホー』で知られるエドガー・ライトが監督のスパークスのドキュメンタリー! あのスパークスを! その情報を目にした瞬間に、観に行くことを決めておりました。
スパークスは、2008年のフジロックに出演した際に、初めてその音を体験していました。全く予備知識なく、何かベテランバンドらしいというだけで見てみたんですけど、この時の体験が衝撃的過ぎて、ひっくり返った記憶が鮮明に残っています。
音楽的にはクイーンのようなオペラチックなロックが印象的で、割と高度な音楽技術やセンスを感じさせるものでしたが、何よりも兄のロンのルックスと立ち居振る舞いから生まれるユーモアが爆笑もので、本当に腹抱えて笑っていたんですよね。無表情で鍵盤を奏で続けたかと思えば、ステージ中央まで出てきて、狂気の笑みを浮かべながらダンスする姿など、お笑い番組でもなく、音楽のライブであんなに笑った体験は後にも先にもあれだけでした。
ただ、あまりにもアルバム作品が多いので、改めてキャリアを追うような聴き方は出来ていませんでした。そこにこのドキュメンタリーが公開される、しかも音楽センスには定評あるエドガー・ライト! ということで、ベストな組み合わせだと思います。
スパークスの活動履歴を振り返ると共に、関係者の証言が語られるスタンダードなドキュメンタリーの作りなんですけど、証言をするミュージシャンの豪華さに驚かされますね。ベックにトッド・ラングレン、レッチリのフリーにソニック・ユースのサーストン・ムーアなどなど、スパークスの影響がいかに様々な音楽ジャンルの栄養となっているかが解る面子です。
半世紀にも及ぶ活動年数では、当然浮き沈みが激しくなるわけで、ヒット曲を出す時期もあれば、低迷期となる時期もあったようですが、驚くべきは一切、酒やドラッグに溺れることもなく、メイル兄弟が不仲になることも無かったようなんですよね。オアシスのギャラガー兄弟とは真逆のバンドヒストリーとなっています。
最も驚嘆したのが、90年代前半に、作品を発表していない数年間も、兄弟でひたすらに発表する宛てもなく、毎日出勤するように朝からスタジオに出向いて音楽を作り続けていたという点ですね。ものすごく音楽に対してストイックで誠実であるのがわかるエピソードです。
なおかつ、その生活を続けられたのが「それまできちんと貯金をしていた(と思われる)から」という点も、凄まじいインパクトがありました。一応本人ではなく、関係者の証言という形なので実際のところはわかりませんが、ロックバンドのドキュメンタリーで、「貯金を崩してコツコツ生活する」という証言が語られるのがスゴクないですか? 破産して無一文になるよりも、よっぽどパンクに感じられました。
今作で、スパークスの活動が時系列に並べられたことにより、自身の音楽性に固執しないという姿勢が、より明らかになったと思います。一発当てると、そのヒット曲の空気を求められて、自己模倣を繰り返してしまうというアーティストの批判はよく言われることですが、そうでないアーティストでも、自身のスタイルを確立させて、その範囲の中での新しい音楽性を模索するタイプも多いと思うんですよね。それが悪いわけではなく、そのやり方で傑作を連発しているミュージシャンも多いと思います。
ただ、スパークスはそのスタイルの確立から、二転三転させて新しいスタイルに変化し続けているのが、他に類を見ない音楽となっているんですよね。そして、どれほどスタイルを変えてもスパークス以外の何者でもないポップセンスが揺るがないという点も重要です。
「これからアルバムは何枚作る?」という問いにラッセルが「医療技術が発達すれば、200枚でも300枚でも」と答えていますが、もちろんユーモアだとは思うんですけど、意外と本気というか、スパークスの本質を現した答えのようにも感じられます。
レッチリ・フリーの証言で、「スパークスが世界を獲れないのは、ポップスがユーモアセンスを受容しにくいから。彼らは面白過ぎた」と評していました。これが非常に卓見だと思います。スパークスは音楽性とかポップセンスが芸術として美しい魅力を放っているのに、狂っているとしか思えないユーモアセンスのインパクトによって、爆笑した印象が勝ってしまうんですよね。
企画段階で頓挫したという、池上遼一の漫画作品『舞』の実写映画化を、監督がティム・バートンでスパークスが音楽担当予定だったというのも、すごいセンスですよね。この組み合わせ、「何か変な夢見たな」みたいなシュールさがあります。こういう点も、スパークスの笑ってしまう部分ですね。このエピソードの時に、画面上に池上遼一作画風のロンメル兄弟が登場するのも、流石の演出でした。
ただ、そのユーモアのセンスがどこから来たものなのか、何の影響により生まれたのかは、このドキュメンタリーを観ても全くわからないんですよね。生い立ちも、割とアートに触れる育て方をされていたようなので、音楽面、アート面での見識が広いというのはわかるんですけど、あの狂気のような笑いのセンスについては、一切語られていないように思えます。
兄弟2人のインタビューについても、もう少しふざけて答えるのかと思いきや、意外と誠実に答えているんですよね。確かにユーモラスなスパークスらしい顔もあるんですけど、どちらかというと監督のエドガー・ライトの演出に応えているような部分のみです。
ただ、その部分が韜晦しているというのも、スパークスらしいかもと思えば、結構腑に落ちるんですよね。コツコツとルーティンワークの如く音楽を創るのと同じように、ユーモア部分のアイデアも理知的に生み出しているとしたらと想像すると、それが一番狂気に感じられてゾッとすると共に、「これぞスパークス!」という感動もあるんですよね。
これまでのキャリアを総括する感動ドキュメンタリーであると同時に、紹介される各アルバムのジャケットで爆笑取れるコメディでもあります。鑑賞中、何度も声に出さずに抱腹絶倒していました。
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