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映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』感想 突拍子もない物語に込めた、普遍的な善なるメッセージ

 やらせ過ぎとは思うものの、祝・アカデミー賞受賞! 映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』感想です。

 アメリカでコインランドリーを営む中国出身のエブリン(ミシェル・ヨー)は、今日も余裕のない日々を送っている。国税局への税金申告に頭を悩ませ、祖国から引き取った父親のゴンゴン(ジェームズ・ホン)の世話もせねばならず、夫のウェイモンド(キー・ホイ・クァン)に話があると言われても、耳を傾ける暇はないし、ましてや娘のジョイ(ステファニー・スー)が連れてくるガールフレンドのベッキー(タリー・メデル)を、ゴンゴンに紹介する余裕もない。家族の心がバラバラになっていくのを、エブリンは気付かない振りをしていた。
 税金申告に来た国税局で、普段は頼りないウェイモンドの態度が急変、自分は夫ではなく別の宇宙から来た「アルファ・ウェイモンド」であるとエブリンに語る。あらゆる並行世界の宇宙が危機に瀕している状況を救えるのは、この世界の自分だけと頼まれたエブリンは、わけもわからないまま巻き込まれ、マルチバースに飛び込み、平行世界に存在するあらゆる自分の力を獲得していく。だが、宇宙を脅威に晒している張本人「ジョブ・トゥパキ」とは、この世界における娘のジョイだった…という物語。

 『スイス・アーミー・マン』で知られる映画監督ユニットのダニエルズ(ダニエル・クワン&ダニエル・シャイナート)が手掛けた作品。さらに製作会社は、今世界で最もセンスのある作品を輩出し続けている「A24」。SFでカンフーアクションという事前情報の時点で、しっちゃかめっちゃかなものになっていましたが、観終えた時点でも「しっちゃかめっちゃか」を見事に映像作品としてまとめ上げたものになっています。
 
 正直、かなりの「おバカ映画」の部類になっていると思います。整合性を取ることはハナから諦めているSF設定だし、別世界の自分とシンクロする方法が「とにかく突拍子もない行為をする」というのも、高尚とは程遠いマヌケなコメディシークエンスですね。
 
 物語の基本コンセプトは、日本のライトノベル小説、アニメみたいな話ですね。うだつの上がらない人生を送っている中年が、異世界や転生をして凄い能力を身につける痛快劇みたいな話と、設定は通じるものがあります。ここにマーベルヒーロー映画によって広まった「マルチバース」という概念、いわゆるパラレルワールド的なSF設定を加えたものになっています。
 
 ただ、それらと通じるものがあるというだけで、物語の本質的には全く似ていない、違う次元のものになっていると思います。ラノベ系のものでは、現実が不幸である状態で、そこから遠く離れた世界では全くの逆転の状態になるというのが常です。今作での主人公エブリンも、それに近い展開が導入部分ではありますが、他の世界でのカンフー映画スターとなったエブリンも、料理パフォーマンスで脚光を浴びるエブリンも、全て何かしらの不足を抱えていて、満たされているわけではないという描き方をされています。つまりは、この世界の不幸に見えるエブリンも、飛びぬけて不幸なわけではないという事なんだと感じました(別宇宙のウェイモンドからは最低辺と断じられていましたが)。
 
 マヌケなおバカ映画ではあるんですけど、とにかく人種問題、フェミニズム、同性愛についてのメッセージ描写はきっちりと善なるものになっているんですよね。下ネタも多くはありますが、その緩さがまた、行き過ぎたポリティカル・コレクトネスにならない絶妙な匙加減になっていると思います。
 娘のジョイが同性愛者であることを受け入れているという態度を取りながら、認められていない態度がダダ漏れしているというエブリンが変化していく物語ではあるんですけど、その価値観を受け入れるという変化というよりも、認められていない自分自身にきちんと気付いて向き合うという変化なんですよね。この描き方がすごく真っ当で現実的なものに感じられました。これだけメチャクチャな脚本の物語で、きちんとこういうメッセージ性を込められるというのは、尋常じゃない技だと思います。
 
 主演のミシェル・ヨー、夫役のキー・ホイ・クアンも名演だと思いますが、個人的には、ジョイとジョブ・トゥパキを演じ分けたステファニー・スーが断トツでした。プラスサイズモデル的なジョブ・トゥパキの見た目の華やかさもインパクトあるし、等身大の娘の演技も素晴らしいものがあります。そして、その2面性を表現しながら、本質的にはちゃんと同一人物であるというのがわかるようにもなっているんですよね。エブリンに対して説教する場面は、姿形は似ていないけど、社会的メッセージを伝えるビリー・アイリッシュの姿を彷彿とさせます。
 
 壮大な宇宙SF、カンフーアクションというエンタメ要素の強い本作ですが、結局のところ、一つの小さな家族を描いた物語であるというのが、とても良いですね。最も印象的なシーンが、エブリンがマルチバースの危機的状況を、この世界のウェイモンドとジョイに説明しようと試みる場面です。母親の説明することがあまりにもバカバカしすぎて、ウェイモンドもジョイも爆笑してしまうというコメディ展開ですけど、この笑い方が家族だから起こる爆笑という感じで、凄く好きなんですよね。関係性が壊れかけてバラバラになり始めている家族なんだけど、本当はこの笑い方が出来る家族だということが描かれていると思います。
 
 終盤でウェイモンドが発する言葉も、非常に感動的です。「他者に親切にする」という言葉だけなら、何とも陳腐に思えるものですが、何故だかこれまでの物語を通してだと、凄く心に刺さるメッセージになっているんですね。子役上がりから苦労していたキー・ホイ・クァンが語るという+αもあるとは思いますが、やはり物語というのは、手を変え品を変え、昔から同じ普遍的なメッセージを伝えていく作品が強いのかもしれません。『ドライブ・マイ・カー』のメッセージに似た感動を思い出しました。
 
 そして、ここからの終盤にかけて、ミシェル・ヨーのみならず、登場人物の顔立ちがとても美しく感じられるんですよね。正直、失礼ながら見目麗しい役者さんは出て来ていないのに、内面性の魅力が外に出てくる撮影になっているんだと思います。ルッキズムに対しても、きっちりとした効果となっています。
 
 終盤、あらゆる全ての世界でのエブリンが選択を迫られていくという展開になりますが、どの選択にしても、「間違ったもの」として描いていないんですよね。コインランドリーで暴れて夫と別れる選択も、家族から離れようとする娘を望み通り行かせてやるという選択も、別にバッドエンド的な可能性というわけでもなく、それも人生の形、マルチバースの1つであるという描かれ方になっています。その上で、エブリンは作中の結末に至る選択をしたというだけなんですよね。この描き方が非常に優しいものに感じられました。
 
 まあ、脚本的に完璧かと言えばそうではなくて、結構な穴も大きいと思います。エピローグで描かれている世界は、物語の出だしとは違う世界と思われますが、あれだけメチャクチャな事件が起こったエブリンの世界がどうなったかはどうしても気になってしまいます(パラレルものはそういうところを全シカトしないと進まないのでしょうが)。
 
 アカデミー賞の主要部門をほぼ制覇したのは、快挙だし喜ばしい事ではありますが、かなりおバカ映画要素もあるので、正直な気持ちとしては、そこまで取らせなくとも、という気もあります。逆に政治的判断という要素を感じてしまいました(『イニシェリン島の精霊』も良かったので)。
 ただ、だからといってこの作品の面白さと感動が損なわれるわけではないので、記録と記憶に刻まれる作品になったのは良い結果だったと思います。バカバカしさも、感動も、まさしく映画でしか出来ない事を成し遂げた作品でした。


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