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アニメ映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』感想 「Nintendo」王国の始まり

 子どもの時に楽しんだゲームの記憶が、こんなにも鮮明によみがえることに驚きました。アニメ映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』感想です。

 ニューヨークで配管工として暮らす双子の兄弟、マリオ(声:クリス・プラット)とルイージ(声:チャーリー・デイ)。2人で独立したばかりの仕事はうまく軌道に乗らず、頭を悩ませていたところ、ブルックリンの市街地で配管の破損が原因で洪水が発生していることを知る。ここが腕の見せ所と、マリオとルイージは地下の配管修理へ向かうが、謎の土管に吸い込まれ、別世界へワープしてしまう。
 マリオが着いた世界は、巨大なキノコが生えるキノコ王国。出会ったキノピオ(声:キーガン=マイケル・キー)から、この国の女王であるピーチ姫(声:アニャ・テイラー=ジョイ)を狙って、ダークランドの大魔王クッパ(声:ジャック・ブラック)が攻め込もうとしていることを知る。一方、マリオとはぐれたルイージは、ダークランドへ迷い込み、大魔王クッパに囚われの身となっていた…という物語。

 「ファミコン」の代表的ゲームであり、ハードが変わった現在でも様々な種類の新作ゲームが創られている任天堂のソフト、『スーパーマリオブラザーズ』を、3Dアニメで映画化した作品。監督はアーロン・ホーバスとマイケル・イェレニックが務め、配給はユニバーサル・ピクチャーズによるものという、任天堂の協力はあるものの、実質的にはアメリカ製作のアニメ映画になっています。そして、これが驚くほどのメガヒットで世界を駆け巡っている最中の作品になっています。集客だけなら2023年1位は間違いないかもしれません。
 
 日本産のコンテンツの中でも最も有名な作品である『マリオ』なんだから、日本が創れなかったのは痛恨なのでは、と考えたりもしたんですけど、実際に観た感想としては、「こりゃ日本じゃ創れないわ」というものでした。エンタメに対する本気度が1ケタも2ケタも違うもので、ハリウッドとの差を見せつけられた感じがあります。
 
 現在の自分はゲームをしなくなってしまいましたが、ファミコン世代ではあるし、『マリオブラザーズ』『マリオカート』などはもちろん持っていたので、劇場のデカいスクリーンでファミコン画面のマリオが飛び跳ねるオープニング、そこから映画音楽としてアレンジされた聞き覚えのあるマリオ音楽に、グッと来てしまいました。ノスタルジアというよりは、小さいTV画面で自分の脳内で補完していた冒険活劇が、デカい画面で具現化された映像を観ているという快感があるんですよね。
 
 実際、この映画作品としての『マリオ』は、かなりゲーム世界を忠実に再現したアニメ映像になっています。けれども、なぜニューヨークの地下が別世界に繋がっているのか、マリオとルイージが迷い込んだ世界はどういう仕組みなのかは、ほぼ説明せずに話が進んでいきます。映画版にするならば、もう少し説明があっても良さそうなものなんですけど、それがファミコンで初めて『マリオ』を体験したときの、説明書の設定部分はほぼ気にせず、キャラの操作を楽しんでいた子供の頃の気持ちとシンクロするように感じられました。
 
 物語は、マリオたちがゲームでプレイしていたステージと同じような異世界で大冒険を繰り広げる、至極シンプルなものになっています。近年のアニメ作品が、子どもが楽しめる冒険活劇の裏に、大人が理解できるかぐらいの深読みさせるメッセージ性を持たせている中では、異常とも思えるほどドストレートなエンタメに振り切っています。
 ただ、ポリコレ的に正しいものが求められている映画作品が当たり前になっている中で、こんなにも楽しさだけに全ベットした作りは、結果として他作品よりも際立つものになっています。正しさについて考えさせられる作品に観客が疲れ始めているタイミングだったからこそ、その結果がメガヒットに繋がっているのかもしれません。
 
 もちろん、正しくない表現をしている作品では全くないので、不快になる部分が無いのも隙の無さとして評価できると思います。唯一、現代作品ならではの部分がピーチ姫のキャラクターですね。ゲームでは毎回クッパに攫われる、か弱い女性だったのが、今作ではクッパと渡り合い、はっきりとNOを突き付け、マリオにもキノコやフラワーといったおなじみのアイテムのレクチャーをする、自立した強い女性として描かれています。
 その代わりとして、ルイージが守られる弱い役を担うという、ちょっと損な部分はありました。クライマックスで、その弱さから飛び出す見せ場はありますが、ここは流石に取って付けた感がありますね。『ルイージマンション』的な場面も序盤にあったので、その辺りで見せ場を作ってあげて、伏線にしても良いのではとも思いました。
 
 メッセージ性を盛り込んでいないのというのは、結構意識して狙っている感じもします。ピーチ姫の描き方もそうですが、マリオとルイージが、両親だけでなく親族と思われる大所帯で暮らしているのも、イタリア系移民という設定を活かしたものだと思います。いくらでもメッセージ性を盛り込めそうな背景だけを、きっちり描いておきながら、それを前面に出さないというのが、ファミコンゲームの物語を脳内補完する楽しみ方に通じるものがあります。
 
 ゲーム世界の再現だけでなく、『マリオカート』的な場面での『マッドマックス』オマージュや、バイクを駆るピーチ姫による『AKIRA』オマージュ、BGMにAC/DCやa-haを入れてみるなど、全方位に楽しませる要素を入れているのも、ハリウッドだから出来る派手さですね。ここまでくると、日本で小さいものを創らなくて良かったかもと思わせられます。
 
 世界観の詳しい説明や、それこそメッセージ性の要素は、今後続くであろうシリーズ作品の種として取ってある感じもします。他のゲームを映画化することもあり得るし、ピクサー、ディズニー映画級のビッグコンテンツに育つ可能性がありますね。「Nintendo」が、まだまだ古びることなく更新し続けることを証明する作品だと思います。


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