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映画『やがて海へと届く』感想 波が美しいのは、そこに誰かが居るから

 

 震災の大きな喪失と個人の喪失を重ねる作品。映画『やがて海へと届く』感想です。

 湖谷真奈(岸井ゆきの)は、大学時代からの親友・卯月すみれ(浜辺美波)の彼氏だった遠野敦(杉野遥亮)に呼び出される。「引っ越すから、すみれの荷物をまとめたい。」
 すみれは5年前の「あの日」以来、旅先で行方不明となっていた。すみれの不在が信じられない真奈にとっては、前に進もうとする遠野や、すみれの母・志都香(鶴田真由)らの言動は納得が出来ないものだった。
 そんな真奈に遠野は、すみれが撮影していたハンディカメラを託す。大学で出会った、引っ込み思案の真奈と、器用に立ち回るがミステリアスな雰囲気をまとったすみれ。カメラの映像には、お互いが知り得なかった想いが収められていた…という物語。

 彩瀬まるの同名小説を原作として、中川龍太郎監督により実写化された映画作品。静謐なアート作品のような雰囲気に、主演が『愛がなんだ』や、その他、話題作に多数出演している実力派の岸井ゆきのさんということでチェックしようと観てまいりました。

 真奈とすみれという2人の主人公の、双生児のような関係性がメインの物語なんですけど、真奈役の岸井ゆきのさんはもちろんのこと、すみれ役の浜辺美波さんも、配役としてピッタリのキャスティングだったと思います。
 ドラマにCMに引っ張りだこな浜辺さんは、現代トップクラスの美人俳優なわけですが、正直、笑顔がどこかウソっぽいんですよね。何か心の底からは笑っていないというか。得てして美人顔はそういうものかもしれませんが、今作のすみれという心の底を見せない女性という役には、それがジャストにハマっているように思えました。

 芸術系の邦画らしいつくりで、台詞が少な目なんですけど、その分「津波」という言葉が口にされた瞬間に、何を描いた物語か一発でわかるインパクトがありました。日本で生活している我々にとって、こんなにも震災が改めて重たいものだったのかということを実感させられます。ここで、真奈が感じているすみれの喪失が、個人的なものから東日本大震災での喪失感に繋がるという意図を感じました。

 ただ、それがあまり繋がらないというか、フィクション的なすみれの不在と、震災での犠牲者の話が平行線を辿っているような印象を受けてしまったんですよね。真奈が赴くすみれが行方不明となった町で、震災の遺族の話を聞く場面がありますが、ここでの撮影が役者ではなく、実際の当事者の方々にドキュメンタリー記録撮影という体で語ってもらうというものになっています。これを観てしまうと、やはり物語として描かれている喪失とは全く違う切実さを感じてしまうんですよね(物語の方が劣っているという話ではなくて)。

 この震災関連部分の撮影が素晴らし過ぎて、ちょっと物語部分と乖離してしまっているようにも感じられました。ただ、ここで登場する羽純という少女を演じている新谷ゆづみさんが、てっきり当事者の子なのかと思うほど、自然な演技だったので驚きました。ここには物語と事実の融合が成されていたと思います。

 自然を美しくおさめた映像は芸術的で素晴らしいものだったと思います。ただ、物語部分で編集的にはあまり巧みとは言い難い部分もあります。過去の回想的部分と現代が交互に進むという脚本ですが、各パートが長すぎて、どちらの部分でも話が進んでいる感じがしなかったんですよね。もちろんエンタメ作品ではないので、テンポ良く話が進むのを期待するべきではないんですけど、それでも正直、冗長に感じられました。

 終盤では誰もが知り得なかった、すみれ視点での過去が描かれるんですけど、ここもちょっと長くて情報量が多く感じられました。もちろん、ミステリアスなすみれが何を想っていたのかを明かすというのは大事だと思いますが、それにしても台詞ではないとはいえ、あそこまで事細かにすみれの動向を描くと、ちょっと説明過多に感じられてしまいました。もう少し匂わす程度で充分だったと思うんですよね。

 海を美しく撮影して、決して恐ろしいものとしては映していないというのは、すみれを含めてそこで散ってしまった数多の命を想ってのことだと思います。誰かを喪うという哀しみには対処のしようがないもので、災害や事故など、突然の喪失はなおさら、そうなのでしょう。
 鎮魂としての映像美は印象的でしたが、「百合」を取り入れた物語性の強いクライマックスは、ちょっと現実の哀しみを癒すものから離れているように感じられてしまいました。ただ、この作品を創ろうとした意義は評価したいと思います。


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