【日記】走ったから、食べてもいい?
「久しぶりに一緒に走らない?」
これは、同棲中の彼にむけて放ったひとこと。
言ったそばからすぐに、(ああ、言ってしまった、、、。)と後悔した。
始まりは衣替えだった。
この頃ずいぶん暖かくなってきたので、夏物の服を出して着てみた。
「…きついかも」
去年の夏は、念願の沖縄に行くために、珍しく筋トレや食事制限をおこなっていた。
それもあってか、去年は着れていたはずの服が今年はきつく感じた。
ついに、太り始めたか。
それもそのはず。確かに食事量が増えている。
一方で同棲中の彼はというと、
友人と定期的にマラソン大会に出ていることもあり、
ときどきランニングをしている。
それもあってか、以前よりスマートになってきた。
これはまずい。
そろそろ運動を始めるか。
そんな思いから冒頭のひとことを発したのだった。
恐るべき食欲
いざランニングをはじめると、案外気持ちがいい。
何事も始める前はハードルが高く感じても、いざスタートしてみるとスムーズに進められたりするものである。
全身で風をあびて、血の巡りがよくなっていることを感じながら、近所の道をひたすら彼と走った。
走りながら目に映るのは、光に照らされた飲食店の看板の数々。
「こんなところに、こんなお店あったんだー!」
「ここのお店、おいしそう!」
気付けば食べることばかり考えている。
(こんなんだから太るんだよ…)
と自分自身にあきれながら。
何を隠そう、暇なときは大抵Instagramでカフェを探しているし、YouTubeで登録しているチャンネルは、誰かがごはんを食べるものばかりだ。
走り終わると、
「こんだけ走ったし、おいしくごはんが食べれそうだねー!」
などと言っている。
あきれずに「そうだね~」と笑顔の彼は、もしかすると仏様なのかもしれない。
マラソンの意義
そんな私も、運動が嫌いなわけではない。
小さいころから、サッカーやテニス、バスケなど球技と言われるものはたいてい、器用にこなしていた。
球技が好きな私にとって、マラソンという走るだけ(に見えていた、本当にごめんなさい)のスポーツの楽しさが分からなかったのだ。
ずっとボールを追いかけていた身として、ボールが無いなか、何を考えながら走ればいいのかも分からないし、どんなペースで走るのかも検討がつかない。
そんなある日、バスケで靭帯を切る大けがをした。
しばらく走ることができなくなり、体育の授業に参加することもできなかった。
体育が好きな自分としては、これはかなりもどかしかった。
治療が終わり、初めて参加できた体育の授業がマラソンだった。
あんなに嫌いだったマラソンだったが、このときばかりは走れることが嬉しかった。
人は禁止されると、やりたくなるのかも。
そうだとすると、
「食べちゃダメだ」と思っているから、余計に食べたくなるのかな?
それならもういっそのこと、「なんでも食べていい!」と思うことにしようかな?
…危ないにおいがする。
走ることの継続
今ではもうすっかり、【走ること=辛いこと】と脳内変換されている。
走ることが出来る人の、その理由を知りたくて、検索してみた。
つまり、ランニングを【健康】を目的に始めて、
そのうちに大会出場とか記録更新とかの【達成欲】を満たすために継続しているということか。
なんだかこれって、私がnoteを始めて、続けている理由と似ている気がする。
心の健康のために、気持ちを書きだしたくて始めたnote。
「前回よりいい記事が書けた」と、少しずつ楽しくなってきて。
「もっといい記事を書きたい!」と意欲が出ている。
気付けば毎日noteを開いていて。
記事を書くことも続いている。
もしかして私、ランニング向いているかも?
「マラソン大会、私とも一緒に出場しようよ」
言ってしまった。
半分こにしたモンブランを食べながら、
「いいね!」と答えてくれる彼は、やっぱり優しい。
なんだか少しだけ、楽しみになってきた。
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