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無力感を抱き締めて生きる

日下が抜けるのはマジで痛い

こんな素敵な言葉をいただいた。
きっと、本気の言葉だ。
戦力的な部分、人間的な部分。
後者は私の願望かもしれないが、、、笑
どちらにせよ、あれは上っ面の言葉ではなく、本気の言葉だったと思う。

私は、2023年1月20日付で現職を退職する。約4年弱。インターン期間を含めると、4年以上。私は自信を持って、仕事に、会社に、仲間に、自分にコミットできたと言える。

一方で、自分の無力さを痛感した4年間でもある。そこで今回は、「なぜ退職するのか?」「どんな4年間だったのか?」「無力感とは?」などについて、4年間を簡単に振り返りながら、つらつら書いていく。

ではでは、少し長くなるかもしれないが、どうぞお付き合いください。

1年目:「仕事の目的を持ち、とにかく働く」

私は、いわゆるコロナ禍新卒世代だ。20新卒なので、入社直後の4月に緊急事態宣言が発令され、いきなりのフルリモート。右も左も分からない新入社員が家で一人で仕事をしなければならない状況になった。

想像以上に大変だった。まず4月は、営業活動の自粛ムードがあったので、社内貢献PJという謎のPJが立ち上がり、ひたすら先輩からいただくタスクをこなしていく日々。営業活動を再開した5月以降も、当時リリースした新規事業の部署に配属された。そんな状況で家で仕事をしている私はこう思った。

「俺は研修会社に入社したつもりなんだけど、、、」
「こんな訳のわからないサービスを売るなんて、、、」

スーパー他責モードだった笑
挙句の果てには、入ったばかりの新入社員がMTG中にあくびをしたり、鼻歌を歌い始める始末。我ながら、やばい奴である。

後に上司から聞くと、当時の私への評価はかなり低かったらしい。こんな状態が4月から半年ほど続いたのだが、そもそもなぜ、こんな状態になってしまったのだろうか?

理由は、外的要因と内的要因の2つに分けられる。前者は言わずもがな、コロナによる仕事環境の変化だ。仕事をしたことのない人間が、元来フルリモートの想定ではなかった会社に就職して、いきなり家で自分を律しながら、働くことは難しい。これは半分仕方ないとも言える。一方で、環境のせいにしていても仕方ない。後者は、私に働く目的がなかったことだ。

詳細は上記のnoteをご覧いただきたいのだが、私は2年間プー太郎をしてから社会人になっている。もちろん、自分なりに目的を持って、現職に入社したのだが、後から振り返ると、なんとなく成長できる環境で働きたかっただけだった。ただ、成長したいだけで常にモチベーション高く、働き続けられるほどベンチャーの環境は甘くない。その結果、ダラダラと社会人1年目の上半期を過ごしてしまった。

そこから転機がくる。1年目の10月から弊社の本丸事業である研修支援の部署に配置転換になったことだ。

「やっと、俺のやりたいことがやれる!」

と私は意気込み、たくさん働いた。その結果、1年目は年間4回ほど働きすぎで扁桃炎になった。一応言っておくが、私が望んで、そんな日々を送っていただけだ。決して、会社からの指示ではない。けれど、それだけコミットした下半期が2年目につながっていったので、後ほど紹介する。

・仕事の目的を持とう。それが君にとっての北極星になる。
・1年目はたくさん働こう。やっぱり、始めの仕事は量質転化だ。
・モチベーションに左右されるのは3流だけど、1流になるまではモチベーションに左右される前提で、自身の活躍できるフィールドを作るべき。

1年目からのまとめ

2年目:「個人の成果とチームを持つ難しさ」

1年目の積み重ねが花開いた2年目だった。
最も分かりやすい結果は、「史上最速でのMVP獲得」だ。そのくらい個人としては実りある1年になった。

また、2年目にして初めて、チームを持たせてもらう経験をした。チームと言っても、私含め、3名の小さなユニットだ。

たかが3名。されど3名。

チームを持つ難しさにぶつかった2年目だった。
難しいと感じたポイントは主に3点あった。

①売上目標未達

当時、3人で500万の売上目標が課されていた。当時、プレイヤーとして成果を出し始めていた私が責任者で、あとは入社同期メンバーが一人、後輩が一人。こんな感じの未熟なチームだった。とはいえ正直、「客単価120万なんだから、3人だったら500万くらいいけるだろう」とたかを括っていた。

結果は、326万/500万。達成率72%。仮に、3人で月の人件費が75万だとして、おおよそ6ヶ月の活動時間だったので、450万。単純計算、124万の赤字。本来は3倍の売上が必要とされるので、1350万。コストを考慮した場合、1024万の大未達だ。しかも、私たちを雇用し続けるために、人件費以外にもたくさんお金がかかっている。

つまり、惨敗だ。

3人で力を合わせて、なんとか大型案件を獲得できたが、正直達成感はあまりなかった。チームで成果を上げる難しさを、数字という分かりやすい形でまざまざと突きつけられた人生で初めての経験になった。

②同期との関係性

実は、同期との関係性の難しさも感じていた。本邦初公開だ。当時、営業としてたまたま、私が先に成果を出し始めていたため、私が責任者になった。ただ、同期メンバーと圧倒的な差があったわけではなかった。なので、「アポはなんとなく、バランス良く、いける(いきたい)方がいく」というなんとも有り得ないふわっとした体制になっていた。その結果、同期メンバーの方がアポを多く回ることになったが、同期の受注件数は半年で0件だった。たらればはナンセンスだが、「俺の方が多く回っていれば、結果は変わっていたかもしれない」とも思った。

何よりナンセンスなのは、私の本音を途中の段階で同期に対して、チームに対して、会社に対して、伝えられなかった私の心の弱さだ。彼に遠慮してしまった結果、成果から遠ざかってしまった。

申し送りとしては、アポを回るルールを作ること。成果から逆算して、成功角度の高いメンバーが多く回るルールにすること。ここはドライに実行すべきだったと思う。

③後輩のマネジメント

後輩は苦しんでいた。1年目だったので、基本的に彼の役割は、「インサイドセールス=アポ供給」だった。しかし、当時はまだまだ、ゴリゴリの営業会社だったので、ひたすらテレアポをやってもらう日々だった。

だが、やれどやれど、アポが取れない。たまたま、ニーズが顕在化している優しい担当者に当たった時にアポが取れるだけで、自身の営業力によるアポ獲得がなかなかできない。

そんな彼を当時の私は放置してしまった。なぜなら、私が1年目の時は、自ら考え、自ら上司に相談しにいったので、彼も自分から相談しに来てくれると思い込んでしまっていたからだ。自分のモノサシで彼を測っていた。

仕事における自己効力感を生み出すのは、結局成果であり、成功体験だ。私は、リーダーとして彼に成功体験を届けることができなかった。

こちらも結局は仕組みづくりだ。毎日振り返りMTGを実施して、彼のアクションをある程度、私がコントロールできる体制を築いておくべきだった。

・チームで数字にコミットする経験はとても尊い。
・本音は伝えよう。成果に近づくために。
・自分のモノサシで他人を測らない。
・そもそも、仕組みとルールで大体の問題は解決できる。

2年目からのまとめ

3年目:「チームの成果と人を育てる難しさ」

3年目は、体制が変わり、私と後輩の2人で1000万という売上目標が課された。人的リソースは減ってしまったが、販促にかけられる予算は増えたので、トントンという感じか。ただ、昨年より倍の売上目標を聞いた時、少しだけビビった。でも震えた。これが、武者震いというやつか。とてもワクワクしながら、前年と違う味わいの6ヶ月間を過ごした。

結果は、758.5万/1000万だった。キレイに1000万達成とはいかなかったが、前年より全ての数字が改善した。もちろん、予算が増えたことも大きな要因だが、確実にチームとして成長できたのも今回の結果に寄与していた。手放しに喜べる結果ではないが、少しは心地よい気分になれたかと思う。

一方で、変わらず後輩のマネジメントには苦しんだ。ルールを作れば、解決できると思い、振り返る機会を設けたにもかかわらず、後輩が準備してこない。しかも、何度も何度もフィードバックしているにもかかわらず、準備をしてこない。正確には、必要な準備をしてこない。

正直、お手上げ状態だった。「なんで、言われたことをやってこないんだろう?」という疑問に対するクリティカルな答えは今もなお、出ていない。

俺の言い方が悪いから反発している?
そもそも、やる気がない?
頑張ってやろうとしているけどできない?

全て当てはまるが、真因ではない気がした。
そして、私が編み出した答えは、自分が無力だからだった。

4年目:「最後まで解決できなかった課題」

結局、自分が無力だから彼は俺の言うことを聞かないんだ。

これは現職で最後まで解決できなかった私の課題だ。若いメンバーは、分かりやすさに惹かれる。憧れる。きっと私が伝えたことも、彼の憧れる人が言っていたら、もう少し素直に届いていたのかもしれない。

私が、もっと売上を作っていたら、、、
私が、もっと上質なマネジメントをしていたら、、、
私が、もっとカリスマだったら、、、

彼は私の言葉を素直に飲み込み、行動に移してくれたかもしれない。

最速でMVP取ったのに、、、
あれだけ時間をとって、相談に乗ったのに、、、
誰よりも会社の理想を体現する行動をしたのに、、、

こんなことを思ってしまう自分がとても矮小に思えて、笑えてくる。だが、評価は成果のみでされるビジネスの世界で、「つもり」に価値がないことを改めて痛感した。

少し話が逸れるが、日下が抜けるのがマジで痛いような組織は、脆弱な組織だということも知った。個人として嬉しいが、組織を作る人として、こんなことを言わせてしまったことが不甲斐ない。誰もが活躍できる組織をつくる。そのために、私はもっと強くなる。

これらが、私の退職理由だ。次のフィールドは、無力な私がより強くなり、最強の組織を作れる場所だ。ここからは、いずれ書くかもしれないエントリーnoteにしたためることにする。たぶん書くので、待っててください笑


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