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雨雲のタイプライター|ベッシー・ヘッドの言葉たち

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南アフリカ出身でボツワナに亡命した作家ベッシー・アメリア・ヘッド(1937-1986)が綴った言葉たちを、その作品やエッセイ、書簡から一つずつ紹介していきます。 Rain Clo…
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記事一覧

#037『もし人間がお互いに神聖にして侵すべからざるものとして尊敬し合えば、戦争や数…

今回は、昨年わたしが初めて手に入れた日本の雑誌に掲載されたベッシー・ヘッドの手紙のほぼ全…

#036『その恋は夏に始まった』|ベッシー・ヘッドの言葉 | Short Story

ベッシーの描いた短編「The Lovers(恋人たち)」は、ボツワナに古くから伝わる恋人たちの伝説…

#035『世界には夢があった。悪を無意味にする夢が』|ベッシー・ヘッドの言葉|Short …

短編「A Power Struggle(権力争い)」の冒頭部分。初出は1980年8月22日号の英国の文芸雑誌"Ba…

#034『彼もまた鳥たちと同じように家族を持ち、子どもたちのために住処をつくるのだっ…

この短編では、傲慢な伝統的首長による村人たちへの搾取の歴史が、小さな物語で描かれている。…

#033『作家であるためには黒人でなければならないという言葉は、いつも浴びせられてい…

アメリカの研究者Jane Grantに宛てて書かれた手紙の一節である。ベッシーの大量の書簡はカーマ…

#032『ブラック・ドッグは裏口からしか入れない。やつらは下僕で、我々は永久に神なの…

1968年「When Rain Clouds Gather」(『雨雲のあつまるとき』)の一節。南アフリカでアパルト…

#031『すぐ近くで耳を澄ませている「良き神」』|ベッシー・ヘッドの言葉|Novel

この作品にさりげなく登場してくる「神」という存在は、雲の上であがめられている尊き存在ではなく、村の中でぼろをまとって裸足で歩き回っているような、とても身近な存在なのだ。これが、この作品の重要なところでもある。人々は神の存在を身近に感じている。それは、雨の匂いをかぐことであり、畑を耕すことであり、牛を放牧することにつながってくる。 英国人の農業ボランティアのギルバートは、このことをいつも感じていた。 というシーンです。でも、さりげなく書いてあるので「神」についてはぜんぜん深

#030『雲多く霧がかった気候に暮らす人々は太陽を敬い、半砂漠地帯の人々は雨を敬った…

この作品のタイトル・キーワードが出てくるもっとも美しい下りのほんの一部だけ。翻訳出版がで…

#029『死は空気をつかむようなもの』|ベッシー・ヘッドの言葉|Novel

再び最初に出版された長編小説"When Rain Clouds Gather"(1968)『雨雲のあつまるとき』のシー…

#028『太陽が夜明けから夕暮れまで、溶けたような熱を脈打たせ降り注いでいる』|ベッ…

1960年代ボツワナ。 恐るべき干ばつの年に、家畜は大量に死に至り、放牧地は死んだ家畜に群が…

#027『彼女の手は柔らかく、慈しむようにほとんど一糸乱れず、不思議な力を持っていた…

短編集『The Collector of Treasures』の表題作。 これはもちろん、村の女たちの長閑な風景で…

#026 『白人がアジア人を見下しても、彼らは微笑むー少なくともアフリカ人ではないか…

『MARU』という作品はベッシー・ヘッドが発表した二作目の長編小説だ。1971年アパルトヘイト時…

#025 『何故、屈辱の生ける屍として生きるより撃ち殺されることを望まない?』|ベッシ…

南アフリカからボツワナへ亡命し農村にたどり着いた元ジャーナリスト青年の深い心の内が独白の…

#024 『女たちが劣っているふりをしている限り物事は順調に進むのだった』|ベッシー・ヘッドの言葉|Novel

再び、1968年When Rain Clouds Gather『雨雲のあつまるとき』の一節。若き未亡人のポリーナは、村に来てまだ1年半でシングルマザー。人一倍気が強くリーダーシップを握るタイプの強い女性だ。保守的な村の女性たちは、そんな彼女を妬んでいる様子が見て取れる。村の生活の中で男を立てることで生活を保ってきた彼女たちにとって、嘘をつかないストレートで強気なポリーナは、疎ましくも妬ましくもある存在なのだろう。 そして男たちにとっても、ポリーナのような強いタイプは脅威でもあ