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#028『太陽が夜明けから夕暮れまで、溶けたような熱を脈打たせ降り注いでいる』|ベッシー・ヘッドの言葉|Novel

It was just as though everything was about to die. The small brown birds had deserted the bush, and the bush itself no longer supplied the coverage and protection for the secret activities of the scarlet and golden birds. Here and there, faint patches of green clung to the topmost branches of tall thorn trees, but not a green thing survived near the sunbaked earth. The sky had lost that dense blue look of the winter days and spread itself out into a whitish film, through which the sun poured out molten heat in pulsating waves from dawn to dusk.
In this desolation the vultures reigned supreme. They gathered on the ground in huge flocks of sixty to a hundred and held important discussions in hoarse, rough voices and flapped their long, sloppy brown feathers in imperious indignation. They could afford to be imperious, indignant and important, for they were to be a burial society for over six hundred thousand cattle.
When Rain CLouds Gather, 1968
まるで何もかもが死にゆくかのようだった。褐色の小鳥たちはブッシュを離れ、ブッシュはもはや緋色や金色の鳥たちの秘密の活動を隠し、保護するものではなくなってしまったのだ。ところどころに、背の高い棘のある木の枝にかすかな緑が残っているが、太陽が照りつける大地の近くには、緑のものは何ひとつなかった。空は冬の濃密な青さを失い、白い膜に覆われ、その中から太陽が、夜明けから夕暮れまで溶けたような熱を脈打たせ降り注いでいる。
荒廃しきった土地で、君臨しているのはハゲワシだった。六十から百の大群が地上に集まり、嗄れた荒々しい声で重要な議論を交わし、長くだらりと伸びた茶色の羽をはためかせて威圧的な憤りをあらわにするのである。六十万頭以上の牛の埋葬を行うのだから、威圧的で、憤り、尊大な態度をとる余裕もあった。

1960年代ボツワナ。
恐るべき干ばつの年に、家畜は大量に死に至り、放牧地は死んだ家畜に群がるハゲワシやジャッカルの支配する世界になり果てていた。
牛飼いたちは生き残った牛を連れて村へ帰り、多くの牛が死んで途方に暮れている中、主人公の一行は逆に放牧地へ向かっていく。

物語のクライマックスへ向かうシーン。
ここから先はボツワナの乾いた大地と、どこまでも広い荒廃した土地に響くそれぞれの思いが交差する心象風景と現実世界との境界があいまいになっていく。(もちろん、ファンタジー作品ではなくて、ある意味哲学的な場面)

ボツワナの風景を描かせたら、本当にシャープで美しいベッシー・ヘッドの文章。干ばつのときはこういう景色だったのだろうなというのが、熱く白い焼けつくような太陽の感触とともに、読んでいるひとの肌に降り注ぐ。

作家ベッシー・ヘッドについてはこちらのマガジンをご参照

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