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#031『すぐ近くで耳を澄ませている「良き神」』|ベッシー・ヘッドの言葉|Novel

At the most bitter times of Gilbert's stay in Golema Mmidi, Dinorego had always said: 'I think the Good God don't like it.'
But he said it as though the ‘Good God’ was quite nearby, listening, observing, and Dinorego, his screwed-up face listening to the ‘Good God', was what had made Gilbert stay and stay.
And he mixed it all up with a thousand and one things: the way he smelled the summer rain on the far, flat horizon, four or five months before the first, fat globs of raindrops fell two by two, three by three on the parched earth.
Enormous thunderstorms brewed and boiled on these far-off horizons, but it never rained and people never ploughed, until one unsuspecting day it rained in sheets and so hard that the roar of the rain drowned out the volcanic thunderclaps.

When Rain Clouds Gather 1968

ギルバートのホレマ・ミディでの滞在で最も苦しい時期に、ディノレゴはいつも言っていた。「良き神は気に入らないことだと思うぞ」ディノレゴは、その「良き神」がすぐ近くにいて耳を澄ませ観察しているかのように語り、ディノレゴの「良き神」に耳を澄ませる困惑したような顔が、ギルバートを何度でもこの地にとどまらせたのだった。
そしてディノレゴは、これを万事に織り込んでいった。最初の大きな雨粒が二つずつ三つずつ乾いた大地に落ちる四、五か月前に、遥か平坦な地平線に降る夏の雨の匂いを嗅ぐときも。
遥か地平線彼方に巨大な雷雲が湧きあがり沸騰していても雨は降らず、人々はいつになるかわからない土砂降りの雨が、火山のような雷鳴を雨音で掻き消すほど降る日までまったく畑を耕さなかった。

この作品にさりげなく登場してくる「神」という存在は、雲の上であがめられている尊き存在ではなく、村の中でぼろをまとって裸足で歩き回っているような、とても身近な存在なのだ。これが、この作品の重要なところでもある。人々は神の存在を身近に感じている。それは、雨の匂いをかぐことであり、畑を耕すことであり、牛を放牧することにつながってくる。

英国人の農業ボランティアのギルバートは、このことをいつも感じていた。

というシーンです。でも、さりげなく書いてあるので「神」についてはぜんぜん深堀されていない。読者に解釈が任されている。

作家ベッシー・ヘッドについてはこちらのマガジンをご参照

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