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経済インフラ開発と伝統社会のはざまで②

早川千晶さんのツアーに参加させていただいた振り返り第2弾記事。
今回は、ミリティー二地区の過去と現在・経済特区開発の中でおこることについてすこし私の思いにも触れながら書きたいと思います。

第2弾を読むにあたって、事前知識として「ミリティー二村の場所」についてまとめた記事はこちら。 


結論として私が気づいたこと・言いたいこと


自分の書く内容がぶれないように第2弾にも私の気づきを記載しておきます。笑

・大きく「ケニア」「ケニア人」 と 特定の「ミリティニ村」「ドゥルマのマテラ長老のコミュニティ」が 嬉しいこと・望むことの大きな差
・伝統的土地継承と近代的土地継承の混在によってうまれる圧倒的弱者とそ人々のの楽観的たくましさ
・本邦研修実施に関わる人々が経済インフラ開発の今・裏側をを知る必要性
・千晶さんのコミュニティ密着型ツアーの素晴らしさ
・ケニアの表立っては見えない民族多様性

今回ツアーで訪問したミリティー二村・および地区

赤〇の地域に千晶さんとリリアンさんが経営しているJumba la watotoがある。この辺りを中心とした青〇の場所などを訪れながら地域の文化や現状をご説明いただきました。

このミリティー二村の周りが昔どうだったのか、現在どうなっているのか、何が起こっているのか、説明します。

「伝統的」にはドゥルマの土地

、第一弾にも書きましたが、このあたりはマテラ長老率いるドゥルマコミュニティの人たちが伝統的に土地を所有してきました。
人々は畑をしたり、ヤシの木を植えたり、漁業をしながら生計を立ててきました。
聞いていて面白かったことは、土地自体ではなく、ヤシの木1本1本に所有者がいるということ。その土地に植わっているヤシだから〇〇さんの、ではなく、このヤシは〇〇さんのもの、この土地は△△さんのものという具合らしい。でもそうやって一つ一つじぶんたちの手で育ててきた土地であるからこそ、コミュニティの人々の関係性は強く、土地への思い入れも強い物でした。

2009年その彼らの土地がどのようであったかは、こちらのYoutubeの冒頭30秒をご覧ください。(第1弾でマテラ長老の太鼓を紹介したビデオと同様のもの)

自分でもネットで調べてみたりしましたが、畑があった(または畑しかなかった)ずっとそのようであると思っていた土地を写真や映像に収めていた方はあまりいなかったようで、私の手元には千晶さんから頂戴したこの映像しかありません。
人は何か建物なりがあると写真にとるけれど、広大な土地に見慣れてしまうと記録に残すのを忘れるし、それに価値を見出せなくなるのかもしれません。
そして昔はスマートフォンとか普及していないし写真にとるということは一大事だったと予想します。
この部分は千晶さんにお願いしてお写真などを頂戴できれば掲載、千晶さんが記事を書かれる場合は、書かれた後に追記します。

現在はいくつも経済インフラ開発が進む場所

そんな場所はいま、ドゥルマのマテラ長老のものではなく、モンバサカウンティ・クワレカウンティ・または企業の土地になり、公共インフラや経済特区の整備がなされ、モンバサカウンティの玄関として劇的な変化の時期を迎えています。
日本も開発に関わっているものもあるため、いくつか紹介します。

モンバサ港

海があること。これは大きなケニアの強み。
Kenya ports authority のHPによると、ケニアには主要港4つとInland port3つ(Inland portは貨物集積場のようなもので、海に面してはいません)、その他今は小さい港ですが開発予定であるところが5つあります。
(参照:Kenya Ports Authority (kpa.co.ke) )
インド洋に面したところだけ整理すると地図みたいな感じ。

このうち、MombasaとLamuで国際貨物輸出入が行われています。
この港を最大限活用して国として利益を得るために港の拡大工事・港からのの交通インフラ開発・および工業地帯・経済特区の整備・観光地開発が進められています。

Mombasa port は、ケニアで一番大きな港。いろんなところにケニア唯一の国際港と書かれています。
貨物船だけでなく国際クルーズ船もここに立ち寄られることが増えてきました。
外から入ってくる貨物よりモンバサ港が処理できる量が少なくなってきたとのことで需要に見合った施設・サービス提供をするため拡大工事が進んでいます、日本からは東洋建設さんや東亜建設さんがこれに関わっている模様。

拡張工事にあたっては、もちろん日本の辺野古同様、海を埋め立てて追加をするわけなので、そこの海洋環境は変わるだろうし、そこで漁業をしていた人たちの生活にも影響を与えます。

パートナーの友達で海洋多様性の保護に取り組む団体で勤めている方から、「拡張して漁業できなくなった人たちを別の漁場にごっそり移動させようと政府は考えている」と言っていました。
もしかしたらその人たちの中にミリティー二やドゥルマの人たちが含まれているかもしれません。
もちろん国としてお金を稼ぐことは大事だし、その事業によってさらに雇用が増えてモンバサに活気が出るのはいいことだし、それを望む人は圧倒的に多い。
けど、どんな犠牲があってそれがなりたったのかは博物館とかできてもいいくらいちゃんと語り継がれていかないといけないと思う。

参照:日本ODA情報
モンバサ港開発事業 | ODA見える化サイト (jica.go.jp)
モンバサ港開発事業フェーズ2 | ODA見える化サイト (jica.go.jp)
ケニア モンバサ経済特区開発計画(第一期)港湾工事を受注|プレスリリース|東亜建設工業 (toa-const.co.jp)


ちなみに
Lamu portはケニア北部・エチオピア、南スーダン間の石油や貨物輸送を円滑にするための回廊(Lamu Port-South Sudan-Ethiopia-Transport (LAPSSET) Corridor )や空港がケニア国内においてすでに整備されたところで、もしエチオピアの東アフリカ共同体(EAC)に加盟申請が受理されたら、さらにさらに活性化が予想されます。エチオピアがジブチの港ではなく、ケニアのラム港を通して輸出入するのがメジャーになることも将来あるのかもしれない。
ちなみに、このLamu港、港の設計は日本のODAで行われて、実際の建設は中国の企業に入札でとられたのだと先日お聞きしました。せちがらい。

ここも海がきれいで漁業で生きている人も多い場所。
これからモンバサ港のよう湾岸開発が進むと生物の多様性や漁師の家族の生活に悪影響がでるかもしれない。

(Lamuは世界遺産に登録されていて、車が通れない小道ばかりの古い町並みが特徴的な観光スポットです。11月のLamu Festivalが最高に楽しい! Lamu Old Town - UNESCO World Heritage Centre )

さらにちなみにちなみに
Kilifi port とMalindi portの間 あたりには原子力発電所を立てるための調査が進んでいて、2027年工事着工2034年完成予定で話が進行しているよう。
いやいや確かに電気足りてないけど最近ナイロビのどこかの工場も爆発してたし、日本の地震があった後どうなったかとかも見て決めたんですか?海に悪いものが流れたり、核廃棄物から土に悪いものが流れたりして健康被害がでても、それを賄賂なしで国民のことを一番に考えてきちんと正当に調査天判断できる人が確保できるんですか?と思う。(日本も全くできてないからまだ賄賂とコネ社会が根強いケニアでそれができるのか・・・と強く思う

参照:」
Kilifi nuclear plant: State assures residents of safety as environmentalists protest (the-star.co.ke)
Home - Nuclear Power and Energy Agency (NuPEA)

高速道路/バイパス/ツンザ橋

左奥に見えるのがムワチェ橋かツンザ高架橋
手前ん9大きな道路が新しいバイパス(下記地図青線)
Microsoft Word - 添付図面(モンバサ港周辺道路開発計画(第二期)) (mofa.go.jp)から抜粋
赤〇エリアが今回千晶さんと訪問したエリア


日本政府も手掛けているモンバサ港開発に伴う周辺道路開発計画。

参照:
モンバサ港周辺道路開発事業 | ODA見える化サイト (jica.go.jp)
モンバサ港周辺道路開発事業(第二期) | ODA見える化サイト (jica.go.jp)
Microsoft Word - 添付図面(モンバサ港周辺道路開発計画(第二期)) (mofa.go.jp)

上の地図赤〇のところが今回のツアーでまわったあたりです。
赤〇内の青線に注目。
この青のラインは大きな道路です。信号も横断歩道も歩道橋もありません。
クルマのスピードを落とすスピードストッパーもありません。
大型トラックを含めいろんな車が猛スピードで通っていきます。
この道路によってミリティー二・Jumba la watotoの子ども達の身は危険にさらされています。

ここはミリティー二またはドゥルマコミュニティの人たちが持っていた畑や土地を開発して作った道です。
もちろんこの道路ができて交通の便はとてもよくなりました。

が、ミリティー二の子どもたちが通う小学校(マムドゥドゥ小学校)は青線道路の左側、家など生活圏は青線の右側に分断されました。
毎日学校がある日はその道路を横切らないといけません。とても危ない。
道を越えられたとしても、土地がえぐられて浸食している危険な坂をのぼったり、工場地帯を一部抜けて遠回りして学校に行く必要があります。
いつ崩れ落ちるかもわからない道を滑り止めのきいていない靴やサンダルで歩いていくこどもたちをみて、もし自分のこどもがこの道を通らないと学校にいけないと考えるとものすごく心が痛みました。

子ども達の通学路。一寸先は闇状態。

次に上の地図赤〇から少し南の赤いラインにご注目
いままで船で人々が行き来していたところに橋がかかりました。
ツンザ橋です。

実は私のような観光業界の者からしても貨物を運ぶトラック運転手さんたちからしても、この橋は待望のもの。
観光業界の私たちからすると、モンバサ空港や電車の駅からDiani 、Funzi、Wasini などケニアコーストの一大観光地に行くまでの距離が大幅に短く、時間も大幅に短縮されて、お客様をさらに迎え入れやすくなります。
(今はリコニフェリーというものすごく渋滞するフェリーを使って、いったん市街地に入ってDianiなどに移動しなければいけません)

トラック運転手さんたちにとっても渋滞が緩和され、モンバサ港からタンザニアに荷物を運ぶにも断然らくになります。

しかし新しく橋を架けるにあたって選ばれた道筋はミリティー二やドゥルマの人たちが代々畑や漁業をやってきた場所。
示談金をもらえたりもらえなかったりした伝統的な土地の持主の人たち。

私はこの犠牲を千晶さんに教えていただくまでしらなかったのでこの橋が架かることに大喜びしていましたが、聞いてからは何だが複雑な気持ちです。
多くのケニア人も何かを失った人たちの上にこの便利さがあることに気づいていないかもしれません。

高速鉄道SGR

モンバサターミナル。塔のようなものが立っているところが駅・待機スペース部分

モンバサに来る際にとても便利なSGR。中国の支援で作られました。
Madaraka Express - Travel Kenya - Online Booking (krc.co.ke)
もちろん私たちはこの恩恵にあずかっています。
今まではバス(片道8時間くらい。安いけど疲れる)か飛行機(片道1時間ほど。高いけど楽)しかなかったところ、その間の電車(片道6時間値段はバスと飛行機の間)ができ、国立公園内も突っ切るので運がよければ遠くに動物がみえることも。一日3便ナイロビーモンバサを往復しているので、チケット予約さえできれば自分の都合のよい時間に移動できます。
ビジネス出張にも観光のための移動にもぴったりで、今までの電車より早いスピードで動くので重宝されています。(といっても100キロ/時間以下で私の感覚からすると日本の特急よりも遅いですが・・・)

私たちはチケット予約代行もやっているので、海外のお客様からケニアにお越しになる前に予約依頼の連絡をいただくこともありますし、ケニアの方からお願いされることもあります。

しかしこのSGRもミリティー二やドゥルマの人たちの畑や土地だったところに立てられたもの。補償は・・・みなさんのご想像通りです。

先ほど紹介したJumba la watotoの学生の多くが通うマムドゥドゥ小学校のすぐそばを通っています。
乗客を乗せた電車だけでなく、貨物列車も同じ線路を使うため、ガタンゴトンと勉強中も電車の音が聞こえているかもしれません。

そして一緒にこの千晶さんの説明をきいた地理学が御専門の大学の先生が
「これ地震とかきたらすぐに倒れるね。地盤がゆるい中州部分をつっきっているから」
とおっしゃていました。
もちろんケニアでは日本でおこるような大きな地震はいまのところありませんが、地震自体はあると聞いています。エチオピアの火山が大爆発したらケニアにも影響があるでしょう。
そんなところまでの調査はされなかったのかな・・・。

そしてこのSGRちょっと町中から離れたところにあるのですが、このSGRの駅から市街地までつながるトラム電車を現在建設中。
そのためにまたミリティー二の人たちの大きな広場・グラウンドがなくなったりもしています。

さて、これは尊厳のある開発といえるでしょうか?

工業地帯・経済特区・輸出加工特区

★Dong Kondu SEZ (Special Economic Zone)
Special Economic Zone 日本語で言うと経済特区です。

経済発展を促進するために、税制上の優遇規制緩和などの特別な措置を受けている地域。経済特区

コトバンク 経済特別区(ケイザイトクベツク)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)


下記説明するIndustrial park, EPZ, Free trade zoneを含めて3000エーカ(1215ha)の巨大経済特区でです。
東京ディズニーランドは51haらしいので、この特区はディズニーランド23,4個分の広さと言ったらなんとなく恐ろしくでかいことがお分かりいただけるでしょうか?

Dongo Kundu SEZ | sezauthority.go.ke より

ちょっと私が見た工場建設の様子・ミリティー二の位置と感覚が合わないのですが、HPではこうなっています。
この経済特区開発にはJICAおよびJICAからプロジェクトを受託した複数の開発コンサルおよび建設企業が長年関わっています。
先日も国交省の方々が日本の企業様をたくさん連れて港や経済特区の視察にお越しになりました。

正直モンバサは港があることから輸出入のビジネスは盛んですが、ナイロビに次ぐ第二の都市でありながら地域別GDP貢献率においてはモンバサを含む沿岸部を合わせても6%しかないほど経済活動が盛んであるとは言えません。

この地域経済開発を機にモンバサの経済の立て直しを狙っています。

参照:
モンバサ経済特区開発マスタープランプロジェクト | ODA見える化サイト (jica.go.jp)
モンバサ経済特区開発事業(第一期) | ODA見える化サイト (jica.go.jp)
ドンゴクンドゥ地域モンバサ経済特区におけるインフラ整備計画 | ODA見える化サイト (jica.go.jp)
Dongo Kundu SEZ | sezauthority.go.ke
KPA keen to modernize marine infrastructure to boost trade - Capital Business (capitalfm.co.ke)
パドマ多目的橋(バングラデシュ) (idi.or.jp)

★Kipevu EPZ (Export Processing Zone )
EPZ とは輸出加工特区のこと

EPZというのはこういういみ。

主に発展途上国に設置され、多国籍企業の誘致の下で輸出向けの生産が行われる工業団地輸出指向工業化政策の中核部分を形成するが、内部経済との関連が希薄な「飛び地」となっている。対外取引に便利な国際港の隣接地などに工業団地が造成され、関税や法人税の減免、外資比率の規制緩和利潤配当の本国送金の自由化などの優遇措置が採られる

コトバンク 輸出加工区(ゆしゅつかこうく)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)

ようはケニア国内または周辺国で販売する商品つくるために企業を誘致し製造してもらうのではなく、完成品は別国に輸出されると決まっているものをケニアで製造してもらう、あくまでもサプライチェーンの経由地として土地を活用してもらう場所ということ。

この特区をケニアにおいて管轄しているのはEPZA。経済産業省傘下にある国営企業です。
 EPZA Home - EPZA (epzakenya.com)
現在ケニアには4つの稼働中のEPZ、1つの建設途中のものがあり、モンバサのKipevu EPZがその1つの建設途中のEPZです。

場所自体は地図がみつからず上記のMombasa Industrial park内にあるのか、はたまたDongo Kundu SEZの中にあるのか、それともその3つの区画が分かれて存在しているのか、今のところ私自身はわかっていません。
誰か知っている人がいたら教えてほしい・・・。

こちらももちろん企業を誘致するわけなので雇用は生まれます。
モンバサの失業率のデータは見つかりませんでしたが、昼間から公園や空きスペースで座っている男性陣や仕事が得られず金銭的に貧しい生活をしている人、ナイロビに出稼ぎに出る人は多くいるので、経済的にその恩恵にあずかる人は増えるでしょう。

ナイロビにも多くの失業者がいるので、逆にナイロビからモンバサに出稼ぎに、移住しに来られる方も増えて、より便利な街になるかもしれません。

参照
EPZA FINAL BROCHURE 2023 (epzakenya.com)
EPZA Home - EPZA (epzakenya.com)

★Mombasa Industrial park

Microsoft Word - 添付図面(モンバサ港周辺道路開発計画(第二期)) (mofa.go.jp)から抜粋
i水色の〇付近にMombasa Industrial parkが広がっていく予定と思われる。

ミリティー二の人々の畑のあった場所にケニアが国として、そしてモンバサがカウンティ―として肝いりで進めている工業地帯開発。
すでにセメント会社や土木会社、製菓会社などが入っており、藤田インターナショナル㈱さんのオフィスもこの地域にある模様。
総面積は600エーカ(243ha 弱)10,000名の直接雇用創出につながることを期待されています。

SEZのホームページ上では橋を渡ったところにIndustrial parkができると描かれていましたが、実際私が千晶さんに説明してもらってみたのはミリティー二人たちが持っていたの土地、新しくできた道路沿い、SGRからナイロビに向かう道沿いの工業地帯だったので、私の感覚では上記地図青色部分がIndustial park。
もしかして2つIndustrial parkがある??と思うほどに違う場所なので、地図を見て書いている今も混乱しています。(混乱している中で本当は書くべきではないのですが、なにせ言い訳すると時間がなく。お許しください・・・)

畑・森だったところが更地になった様子。

しかしこの地域。風が吹く。工場からミリティー二の方向にも風が吹く。
工場の一つにクリンカーというセメントの材料になる粉末状の鉱物を作っているものがあり、その粉が風に乗って人々の体の中まで入り健康被害がでていると人々が感じていたり。
ミリティー二村の上の方別のセメント工場があり、そこにはミリティー二の人々が貴重な水源として利用していた井戸があったけど使えなくなった事実とか。
なぜかわからないけどミリティー二村の複数の井戸が枯渇して人々が生活に困っている事実の原因は何かなとか。

参照
Multi-million industrial park to 'rebuild' Mombasa County economy - The Standard (standardmedia.co.ke)
Mombasa Governor Abdulswamad Nassir to Create 60,000 Jobs in Deal With Moses Kuria - Kenyans.co.ke

やっぱり長くなった

本当は、もうちょっと続けて書いていたことがあるのですが、みなさん8000字強の記事なんて読んでられないでしょうから、いったん区切ります。

次は

千晶さんから聞いた範囲で、この開発を受けてミリティー二の人たちがどう動いているか、そして最終的に私が気づいたこと、言いたいことについて書きたいと思います。

ああ。つくづく自分って端的にわかりやすく物事を示す能力にかけているな・・・と思う。そしてちょうどいい地図をうまいこと作る能力がほしい・・・。



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