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経済インフラ開発と伝統社会のはざまで①

おひさしぶりです。
昨年6月ケニア・モンバサに引っ越しました。
最近は毎日湿気ありの30度越えで、外にでた次の日は自分の身体が使い物になりません。
1日1予定が限界。(完全なる体力不足)

そんな中、アフリカ・ケニア界隈の人で知らない人はいない早川千晶さんにお声がけいただき、千晶さんとリリアンさんが共同経営している「jumba la watoto 」というチルドレンホームのあるミリティニ村のコミュニティをフィールド調査する京大大学生への事前説明ツアーに同行させていただきました。

そこで思うことがあったので、久々に文章に書いて残しておこうと思った次第。

長くなりそうなので下記のよう記事を分けて書いてみようと思います。
①今回の同行ツアーの概要・Jumba la watoto ・ミリティー二地区の位置
②ミリティー二地区の過去と現在・経済特区開発の中でおこること
③千晶さんが作るコミュニティ密着型ツアーのすばらしさ

早川千晶さんご自身および活動については、3本目の記事でも触れようと思いますが、いち早く「千晶さんって誰?」を知りたい方は、ご本人のnoteやSNS、著書をぜひぜひ読んでいただき、毎年数回日本に帰国される際に実施される講演会にぜひ参加してみていただきたい。

早川千晶🇰🇪ケニア (@chiakihayakawa0) / X (twitter.com)
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結論として私が気づいたこと・言いたいこと


文章をだらだらと書いちゃったり話が飛んだりしてしまう癖があるので先にまとめておきます。

・大きく「ケニア」「ケニア人」 と 特定の「ミリティニ村」「ドゥルマのマテラ長老のコミュニティ」が 嬉しいこと・望むことの大きな差
・伝統的土地継承と近代的土地継承の混在によってうまれる圧倒的弱者とそ人々のの楽観的たくましさ
・本邦研修実施に関わる人々が経済インフラ開発の今・裏側をを知る必要性
・千晶さんのコミュニティ密着型ツアーの素晴らしさ
・ケニアの表立っては見えない民族多様性

私が参加したツアーの概要

私が書くより千晶さんの文章を見たほうがわかりやすいかもしれない。
投稿をまず添付します。

私の場合はミリティー二・Jumba la watotoを中心とした地域の現状について2カ月のフィールド調査を行う(現在Jumba la watotoに滞在しながら調査中)の地理学専攻の大学院生がおり、その彼のための事前レクチャーとして千晶さんが構成された1日半のツアーに参加させていただきました。

本当は8月に実施されたミリティー二村・ガテ村の2つのドゥルマコミュニティを巡るツアーに参加する予定でお金も振り込んでいたのですが私情で叶わなかったので、優しい千晶さんがそのことを覚えていてくださってお声がけくださいました。
数々の人々から参加申し込みや要望・お問い合わせがある中で私個人のことを認識してくださって連絡までわざわざ下さったことに感謝しかありません。

参加者はその大学院生の担当教授・大学院生・千晶さん・私でした。

地理学というと私の頭の中は地図とか、地質・地形調査とか、GISとかいうイメージだったのですが、この先生や院生の方が向かい合われている課題は私のイメージでは社会学・文化人類学にとても近く、驚きました。

私の参加目的は、
「モンバサ」「ミリティー二」という地域について、「ドゥルマ」というコミュニティについて、その地域・人々の変遷について知ること。

なぜなら私は昨年6月にモンバサにすみ始めたばかり。
パートナーの観光業をモンバサベースで手伝っているにも関わらず自分が済んでいる地域・カウンティについての知識が不足していると感じており、千晶さんの説明を聞きながら少しでも理解したいと思ったからです。

ミリティー二村の位置

ケニア全体地図・モンバサカウンティ

まずは位置の確認から。

ケニア海岸部モンバサ(Mombasa)カウンティ。
ケニア最初の首都。港があることの恩恵を受けて発展しているケニア第2の都市。
モンバサ港から内陸のウガンダ・ルワンダ・南スーダンなど内陸国へ運ばれていくものも。
年中20度~30度強の気温でインド洋に面しており、ケニア内陸部とは違った歴史・文化・気候を持つことから、ケニア内外からたくさんの観光客が訪れる場所となっている。

モンバサカウンティ拡大地図

モンバサカウンティ拡大地図。
モンバサの中心地は島になっている真ん中部分。
ここに歴史的に重要な遺産などが集中しています。
赤□のあたりが今回訪問させていただいたMiritini 地区。
(千晶さんは「村」と説明されていましたが、後ほど私が個人的に「地区」と表現した理由を説明します)
青い〇は私が済んでいる地域。
私の居住地から中心地までは車で20分程度。
ミリティー二地区までは渋滞がなくても私の居住区から車で45分くらい。
モンバサおよびその周辺海岸部はアラブ系・インド/パキスタン系・欧州系の人々も移り住んだ歴史があり、さらに港があり交易が盛んなことからいろんな出自の血が混ざりあっているが、もともとはミジケンダ(9つの民族)の人々が住んでいる地域。

今回訪問したミリティー二村・および地区

赤〇の地域に千晶さんとリリアンさんが経営しているJumba la watotoがある。この辺りを中心とした青〇の場所などを訪れながら地域の文化や現状をご説明いただきました。

なぜミリティー二村?Jumba la watoto とは?

ケビン先生と子ども達

このミリティー二というところで千晶さんがJumba la watotoという子どもの家を経営している理由。
直近でいうとこの千晶さんの下記Noteの中に書かれております。

【子どもの家と伝統呪術師カブンビの慰霊祭の訪問。ミリティーニ村に来たい人、ご連絡ください】|早川千晶 (note.com)

私なりの理解としては下記。

ミリティー二村は千晶さんが長年関係を築き、支援し、ツアーを組んできた現在マテラ長老率いるドゥルマコミュニティが代々移動しながら拡大し引き継いできた広大な土地の中の1つの村。
千晶さんと一緒に日本でのキャラバンもやっている大西まさやさんがドゥルマの太鼓の修業を8年行ったのもここ。
(まさやさんのインスタはこちらから。ライブほんとに震えます。)

歴史的にはドゥルマの人々が長年住んできたが、今は経済インフラ開発の影響を受けていろいろな民族・国の人が入ってきている。
(開発については次の記事で詳しく触れます)

千晶さんはリリアンさんと出会い、1998年からキベラスラムでマゴソスクールというこどもの家を共同経営し、多くの身寄りのないこどもや生活環境の厳しい家族の子どもにご飯や寝床、教育を提供してきた。
その延長線上で2005年よりマテラ長老のご厚意で土地を頂戴し、「Jumba la watoto」という新しい子どもの家を建設。
マゴソの子どもたちの一部をミリティー二村に受け入れていただき、一部モンバサカウンティ・ミリティー二村出身の貧しい家庭の子どもも受け入れながら、ここで3歳~Grade 8(日本でいう中学校卒業あたりの学年)までの28名の子どもたちとマゴソOBのケビン先生が共同生活をしている。

ちなみにドゥルマとは?

Mombasa cultural village で見たミジケンダの人達の伝統家屋
その家屋の中

文章の中にちらちら出てきていて、「ん?」と思われていたかたもあるかもしれませんので、ここに少しだけ書いておきます。

ケニアには40以上の民族グループがあると言われています。

一番大きいのはキクユ。私の配偶者もその民族で、彼の実家のある村のほとんどの村人がキクユで日常第一言語はキクユ語です。
(私はまだ話せないので基本英語+頑張ってスワヒリ語を混ぜます。ママは私がわかろうとわからなかろうと最初はスワヒリ語では話してきます。笑)

ここケニア海岸部はミジケンダというグループでくくられる9つの民族が伝統的に住んできた土地です。
9つの民族の名前は、ディゴ(Digo)、チョニ(Chonyi)、カンベ(Kambe)、ドゥルマ(Duruma)、カウマ(Kauma)、リベ(Ribe)、ラバイ(Rabai)、ジバナ(Jibana)、ギリアマ(Giriama)。

私の家にたまにくるシェフはギリアマ。
配偶者の会社の専属ドライバーはカウマです。(お父さんがカウマでお母さんがカンベだから自分はカウマだよと言っていました。民族継承は父系性らしいことがうかがえます。)

そしてミリティー二の人々は伝統的にはその9つの民族のうちの1つ「ドゥルマ」の人たち。呪術師、科学を超えた精神世界と繋がり、音楽を通して人をいやしたり、言葉をつたえたりできる人が多い民族だと言われています。(もちろん全員がその能力を備えているわけではありません)
千晶さんやまさやさんが行動を共にするマテラ長老も、薬草を混ぜてお薬を作ったり、音楽やお祈りを通して人をいやしたり治療したりする力をお持ちだそうですし、その家族の一部もまた違った力を持ちつつあると伺いました。
(マテラ長老に直接質問出来る時間をツアー中に千晶さんが設けてくださり、薬草・精神世界やその他宗教との混じり合いについてたくさんお答えいただきました。感動しました、、、!まだまだ聞きたいことがたくさんあった、、、!)

Mombasa bombalulu workshop 内に展示されているミジケンダの神聖な森や領域(カヤ)にはお面がたくさんだそう
伝統儀礼・呪術などを施す場所のイミテーション。私は本物を見たことはないのであくまでイミテーションと記載します。

また本来は移動しながら自分たちの土地を広げていく民族だそうで、モンバサから900キロほど内陸にあるサンブル(Samburu)地域にもマテラ長老は伝統的に土地を所有しており、ドゥルマランドと呼ばれているところだと千晶さんが教えてくれました。
ミリティー二村はその広大な面積のうちの一部、一つの村ということで、ミリティー二村の近くにはツンザ村というところもあります。(この村も次の記事でおそらく触れます)

彼らの伝統的な踊りや太鼓は、下記youtubeで見ることができます。
(白い服を着て笑顔で太鼓をたたいているのがマテラ長老)

また、以前千晶さんにオンライン配信に参加していただいた時にその世界観についてもお話していただきましたので、気になる方は聞いてみてください。(2年半も前だった・・・衝撃)
https://fb.watch/pZOPxin65n/

ちなみに

まさやさんがたたくンゴマというドゥルマの伝統太鼓の音色はこんな感じです。私はこの会場にいたので今でも体が揺れます・・・!

小学館の図鑑「音楽」でもにもンゴマが載っています!
音楽 | 小学館の図鑑NEOシリーズ | 小学館 (shogakukan.co.jp)

次の記事では、そのミリティー二村(地区)で今起こっている変化について詳しく触れ、私の思い・意見についても話していきたいと思います。

出来るだけ早く次の記事が書き終わるよう祈ってください。笑

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