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『オクトーバーフール』第1話

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(※目安 約5,500字)


 第1話


 ——人は嘘をつける生き物だ。
 地下鉄の駅構内、道行く人々を目で追いながら、千秋ちあきはいつも同じことを考える。
「なんで遅くなるのかって、毎日残業続きなんだよ。あと今日は一日中外回りなんだ。だから連絡もらってもあんま返せないから」
 ミニスカートの女と腕を組みながら私服姿の男が電話で話している。電話の相手は奥さんか彼女だろうか。
 左に目をやれば、幼稚園児くらいの男の子が、ベビーカーのなかの小さな女の子から人形を取り上げる瞬間だった。泣き出す女の子の声に気が付いて振り返り叱る母親。
「ち、ちがうよっ……花ちゃんが人形を投げて……! だからぼくが拾ってあげただけだもん!」
 こんな小さな子でさえ、いとも容易たやすく嘘をついてしまう。
 別に、自らの正義を振りかざして、他人のそれを指摘したり正そうとしたりするつもりはない。そんな嘘が蔓延はびこる世の中をクソ食らえなんて思っているわけでもない。ただ——

 ——人は嘘をつける生き物だ。それは揺るぎない事実。
 自らの保身のために。そして時には、死ぬほどつらい思いを抱えていることを隠しながら「大丈夫」と笑って嘘をつく。



「千秋さんっ……! すみません、お待たせしました。女子トイレすごく混んでて……」
 仕事仲間の丸花小春まるはな こはるが、肩で息をしながら千秋の前に現れた。
 仕事仲間といっても、お互い雇用形態はアルバイトだ。千秋は高校卒業後すぐに、個人経営の小料理屋『きまま』にてフルタイムで働きはじめた。いわゆるフリーターというやつだ。小春は『きまま』の店主の孫娘で、大学の講義がないときにシフトを入れているようだった。
「別にそんなに走らなくてもよかったのに」
「いえいえ……! レディーに重い荷物を長時間預けたままにするわけにはいきませんからっ……!」
 ——レディて。
「はいっ」と人懐っこく両手を差し出してきた小春のほうが何倍も女の子らしいけれど、と思いながら軽いほうの荷物を渡し、駅の出口へ向かって歩き出す。
『きまま』の最寄り駅でもある地下鉄降和ふらわ駅には大型スーパーが直結していて、千秋と小春はそのスーパーで買い出しを済ませたところだ。
「千秋さんはトイレいいんですか? 今なら空いてますよ!」
「ん、大丈夫」
「あれ、ATM寄りたいって言ってませんでした?」
「小春さん待ってるあいだに済ませた」
「ええっ、この荷物で……! それは本当にすみません」
「気にしてないよ——」
 ふと、千秋が前方に視線を戻すと、駅構内の案内板の前で落ち着かない様子の老婆が目に入った。何度も構内案内図を見てはきょろきょろと辺りを見回しながら、何かを握りしめた両手を小刻みに震わせている。
「……あのお婆さんが、どうかしたんですか?」
 小春が千秋の視線の先を覗き込むようにして尋ねた。
「さっきATMでお金おろした時に隣のATMにあのお婆さんがいて……」
 ずいぶん分厚い札束を数えていたので気になっていた。
「ちょっと様子、おかしいですね。道がわからないのかな」
 小春はそう言うと、脇目も振らず老婆のところへ駆けていった。
「お婆さん、大丈夫ですか?」
 老婆がびくりと振り返る。
「だっ、大丈夫大丈夫、大丈夫よ。急いでいるの。構わないでちょうだい……!」
 千秋は、老婆が慌てて後ろ手に隠したものが分厚い封筒だと気が付いた。明らかに様子がおかしい。あの封筒の中身は先ほどの現金だろうか。とすると、
 ——オレオレ詐欺か。
 千秋は直感でそう思った。まだ確証はないけれど——
 小春が再度老婆に問いかける。
「あの、お急ぎならなおさら、道ご案内しますけど……」
「余計なことしないでちょうだい! 一人で行くって約束しているんだから。ああ、早く行かなくちゃ」
「失礼ですけど、オレオレ詐欺とかじゃないですか? 大丈夫ですか?」
 千秋の突拍子もない質問にいちばん驚いた顔をしたのは小春だった。一方で老婆は動転するかわりに突として語気を荒げた。
「……違うわよ! 何年も話していなくたって孫の声くらいわかるわよ! なんとか助けてくれないかって、父さんたちには言えないって、おばあちゃんしか頼れる人がいないって、泣きながら電話してきたのよ! 自分の子どももいないような若い小娘に何がわかるのよ! 上司の方が待っているの! もう私に構わないでちょうだい!」
 そう言うや否や、老婆は迷いのない足取りで行ってしまった。

 ——いや、それ明らかに詐欺でしょうよ……。
 たしかに初対面で「詐欺じゃないですか?」なんて不躾ぶしつけだったとは思う。ましてや警察でもなんでもない見知らぬ女に言われる筋合いはないだろう。
 それにしたって向こうも相当失礼な言いようじゃなかったか、と千秋は思う。ああまで言われて他人を助ける義理はないな。このあとどうなろうが知ったこっちゃない。知ったこっちゃ——

 ……ああもうっ!

「巻き添え食らわせてごめん。先店戻ってて。あたし、あのお婆さん追うわ」
 絶句したまま老婆の後ろ姿を見つめていた小春に、千秋が言った。
「えっ……でもお婆さん、もう構わないでって……」
「ん。でも実際、詐欺の可能性高いと思うし、あたしのせいで反発させて頑なにさせちゃったとこあると思うから。あの状態で冷静な判断なんてできてるわけない」
「…………じゃあ、わたしも行きます」
「え、それはいいよ。あたしが勝手にやることだから小春さんは先店戻ってて。みんな待ってると思うし」
「買い出ししたこの荷物、一人で全部は持って帰れませんから」
「そっか……わかった」


 千秋と小春は一定の距離を保った状態で老婆の後を追った。
 人通りの少ない13番出口。防犯カメラの死角。待っている位置まで指示されていたのだとしたら不審に思いそうなものだけどな、と千秋は思う。
 少し離れた柱に身を隠し、息をひそめて老婆を見守る。
 老婆の時計を見る回数が増えてきた。12時51分。約束の時間はおそらく13時なのだろう。
「千秋さん、一つ聞いていいですか」
 小春の問いに「なに?」と短く答える。
「どうしてオレオレ詐欺だってわかったんですか」
 千秋もただの直感だけでこうまでしているわけではなかった。
 平日の13時はこの駅が比較的空いている時間帯だ。今思えば12時半から13時の間は銀行の窓口が混む時間帯、それを理由に窓口ではなくATMでお金をおろすよう指示もされていたのかもしれない。
「ATMで見かけたとき、あのお婆さんずいぶん分厚い札束を数えてたの、たぶん50万くらい。そんな大金を鞄にしまわないで封筒のまま持ち歩いているということは、少なくともこの後すぐにそれが必要ってこと。それなのに行き先の場所がわからないなんて、誰かに頼まれたって考えるのが自然だよ」
「それで……」
「急いでるって言うわりには道を尋ねないから、人に行き先を知られたくないのかなって。一人で行くって約束してるとも言ってたし。その時はまだ確証はなかったけど、そのあとのお婆さんの言葉で確信したかな」
「違うって、否定してたのにですか?」
「声が違うのを悟られないよう風邪を装ったり涙声で話したり、ほかの家族には言えないのだと相談できなくさせたりすることも。考える間を与えないよう急遽の時間を指定して急かしたり、本人ではなく上司や友人が受け取りに行くと伝えたりすることも。どれもこれもオレオレ詐欺の常套手段じょうとうしゅだんだから」
 そう、常套手段なのに。それなのに、どうして騙されてしまうのだろう。もちろん悪いのは騙すほうだけど。どうして手放しで信じてしまうのだろう。

 そうこうしているうちに13時になった。出口側からスーツ姿の男が現れる。男はちらりとこちら側を確認したが、躊躇ちゅうちょする様子はなく足早に老婆に近付く。差し出された封筒に男が手を掛けた瞬間、通行人が男に声を掛けた。いや、通行人を装っていた私服警官だ。どうやら間に合ったようだった。
「すみません、降和ふらわ警察ですが、ちょっとお話伺ってもいいですか」
 男は咄嗟とっさに逃げ出したが、周囲を固めていた別の警官らにあっけなく捕まった。

「迅速な通報ありがとうございました。おかげでなんとか受け渡し時間までの到着に間に合いました」
 駆け付けた警察官のうちの若い男性警官が千秋へ礼を言った。
「あ、いえ。明らかな証拠があるわけではなかったので、どうしようかなとも思ったんですけど」
 老婆の後をこっそり追いながら、千秋は警察へ通報をしていた。
「いえいえ、助かりました。こういった特殊詐欺、特に現金受け取り型の場合は客観的な証拠が残らないことが多いんです。ですから受け渡しが起きる前に被害者や目撃者から相談、通報を頂けることで現行犯逮捕に繋がるんですよ」
 すると、離れた場所で別の警官と話をしていた老婆が千秋のもとへやってきて口を開いた。
「私だって手放しで信じたわけじゃないさ。特殊詐欺のこともよく話には聞いていたし、もしかしたらとも思ったよ」
「じゃあ、どうして」
 すかさず千秋が尋ねた。
「絶対に孫だっていう確証はなかったけど、絶対に孫じゃないっていう確証もなかったからねぇ。騙されることよりも、もし本当に孫だったとき、信じてやれなかったことのほうが後悔すると思ったのさ」
「でも————」
「そろそろ行きますよ。まだお話伺いたいことがありますからね」
 千秋がうまく言葉をまとめられずにいるうちに、中年くらいの男性警官が老婆を促した。
 千秋はまとまらないままの言葉を絞り出す。
「大事だから信じたいっていう気持ちは解ります。でも、鵜吞うのみにして信じたせいで、結果的にその大事な人を傷付けてしまうことだって——いえ、すみません、なんでもないです」
「はい、もう行くよ!」
 先ほどより強めに警官に促され、背を向け歩き出した老婆は、一瞬ぴたりと足を止め、わずかに振り返って言った。
「……あんた、さっきは小娘なんて言って悪かったね。ありがとう」



「事情聴取、よかったんですかね、わたしたち」
 駅から『きまま』へ向かう道を千秋と並んで歩きながら、小春は沈黙を破った。
「ん。後日でいいって許可もらったし」
「そうですね」
「…………」
「…………」
 先ほど老婆と話をしてから千秋の様子がおかしい、と小春は思う。
 千秋はもともと口数が多いタイプではないが、今はなんだか気難しい顔をしているように見える。
「それにしても、千秋さんがわざわざあそこまでして人を助けるなんて、ちょっと意外でした」
 努めて明るい口調で小春は言った。
「えっと。……悪口?」
「わあっ! 違います……! そういうつもりでは決してなくて! なんていうか、千秋さんって面倒ごとには首突っ込まないっていうか、触らぬ神に祟りなし! みたいなイメージだったので」
「ん、まあ。そうできるに越したことはないよね」
「構わないでって言われたら、ああそう? ってなりそうじゃないですか」
 千秋が後を追うと言わなかったら、自分はどうしていただろうかと小春は考える。

 あの時、小春は「これは本当にオレオレ詐欺なんだ」と確信していた。千秋が確信するよりももっと早い段階で、そう確信していた。
 老婆が嘘をついているのが小春にはわかったからだ。
『オレオレ詐欺とかじゃないですか?』と尋ねた千秋に対して『違うわよ』と老婆が答えた時、アレが見えていたのだ。
 老婆の胸のあたりに、赤いオーラが出現しているのが。
 小春は、ある時から、人の身体の一部に時折赤いオーラが出現するのが見えるようになった。その『赤』が人が嘘をついた時に出現することに気が付くまでに時間は掛からなかった。
『赤』はどうやらその人物の発した言葉に反応するようで、言葉が聞き取れない距離にいる人物が嘘をついたとしても『赤』は見えない。また、その発言が嘘であることを発言者が認識している場合に限り『赤』が出現するようだった。つまり同じ人物であっても嘘をついていない時には『赤』は見えない。

「嘘が嫌いなんだよね」
「え?」
 あの時の『赤』を思い出してうわの空になっていた小春は、すっとんきょうな声をあげた。
「嘘をついて人を騙そうとする奴らはもちろん、それに簡単に騙されてしまう人も嫌いなの」
 嫌い、ずいぶんとげのある言い方をするんだな、と小春は思った。
「たしかに自分勝手な保身のためとか、楽したいからとか、悪意ある嘘は困りものですよねえ。人のための嘘とか優しい嘘とか善い嘘ならいいんですけどね」
「嘘に善い嘘なんてあるかな。あたしはそっちのほうが嫌いだな。嘘をつくっていう選択をしたのは自分なのに、その理由を勝手に人に向けて『あなたのため』だなんて、すいぶん虫のいい話だなと思うよ」
 千秋は冷たく言い放つ。
「えっと……」
「優しい嘘が美化されている風潮があるけど、あたしは理解できない。まだ保身のための嘘のほうが、納得はしないけど理解はできる」
「……」
 ついに小春は言葉に詰まってしまった。
「自己防衛のための嘘も、誰かのための嘘も、騙すための言葉には変わりないじゃん」
 ——そうかもしれないけど……。
 小春が何も言えずにいると、千秋がハッとしたように小春に顔を向けて詫びた。
「あ、ごめん。あたし今やな感じだったかも」
「いえ、それは全然……」
 それはまったく気にしていない。それよりも小春は千秋に初めて出会った時から気になっていることがあった。
 その気掛かりが今、破裂しそうなほど勢いよく膨らむのを感じた。
『きまま』に辿り着き、千秋が先に扉を開け店へ入っていく。小春はその背中をじっと見つめる。
 初めて出会った時から今の今まで、千秋の全身は常に真っ赤なオーラをまとっていた。





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※この物語はフィクションです。登場する人物、団体、名称、事件等は架空であり、実在のものとは関係ありません。


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