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『オクトーバーフール』第3話

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(※目安 約2,900字)


 第3話


『嘘が嫌いなんだよね』
 オレオレ詐欺の一件があり長引いた買い出しから戻ってきて、自分の部屋へ入った小春こはるは、千秋ちあきの言葉を思い出していた。
 嘘にもいろいろな嘘がある。保身、見栄、悪意、楽をしたいとか、自分本位なものだけではなくて、誰かのための、相手のための優しい嘘。
 それさえも、いやむしろ、そんな嘘のほうが嫌いだと千秋は言う。
『自己防衛のための嘘も、誰かのための嘘も、騙すための言葉には変わりないじゃん』
 そんなふうに言う千秋の全身は真っ赤なオーラをまとっている。
 どういうことだろう、と小春は考える。

 そもそも、小春の能力は「嘘をついた人物が発した言葉に反応」して「その人物の身体からだの一部に赤いオーラが出現」するものだ。
 全身に『赤』をまとう人を小春は今まで見たことがなかった。
 しかも千秋の場合は、言葉を発していないときも常時『赤』が見えているのだ。初めて千秋に出会った時は目を疑った。



『小春、ちょっと来なさい』
 祖父である丸花まるはなに呼ばれ、客間の座敷の扉を開けた瞬間、小春はぎょっとした。
 今まで見たこともない真っ赤なオーラがそこには居た。
『来週から一緒に働くことになった千秋さんだ。小春と同い年らしい。仲良くやりなさい』
『千秋です、よろしくお願いします』
『あの……祖父、丸花の孫で、丸花小春です。えっと、千秋さん……ご苗字は?』
『あ、千秋が苗字で。下の名前あまり好きじゃないので、苗字で呼んでいただけると。丸花さんにもそうお願いしていて』
『はっは、千秋ちゃん、ワタシのことは『まるさん』でいいよ』
『えっでも……』
『おじいちゃん、そう呼ばないと拗ねるんです、呼んでやってください』
『……じゃあ、丸さん。小春さん、よろしくお願いします』

 千秋が店を出てから、小春は丸花に千秋のことを尋ねた。
 どういう人なのか、なぜうちで働きたいと言ってきたのか、下の名前はなんというのか、なぜ雇うことに決めたのか、本当に信用できる人なのか。
 丸花は『悪い人じゃないよ。嘘がつけない人なんだろうね』と答えた。
 ——嘘がつけない人? あんなに真っ赤なオーラを全身にまとっているのに?
 小春はまったく意味がわからなかったが、そう言う丸花に赤いオーラは見えなかった。丸花は小春の特殊能力のことを知っている。これだけ執拗に『本当に信用できる人なのか』と聞く小春の様子から、千秋の身体に『赤』が見えているということは、丸花も想像に難くないはずだ。しかし結局、丸花はいずれの質問にも答えることはなかった。
『小春。どういう人なのか、信用できる人なのか。それは人から聞いて確認するものじゃない。その人とじかに接して話をして、自分で感じるものじゃないかい?』



 ——たしかに、おじいちゃんの言うとおりだ。
 と、小春は思った。
 どういう人なのか、信用できる人なのか。それは相手と接したり話したりするなかで、自分の目で相手をしっかり見て感じるものだ。
 今までもそうしてきた。『赤』の有無で人の中身を判断したことは一度だってない。
 3月に千秋が『きまま』にやってきてから、半年とちょっと。小春は千秋の『赤』ではなく、千秋の言葉や行動を見て接してきた。
 どのみち、千秋の場合は常時『赤』が見えているために、千秋の発する言葉が嘘なのか本当なのか、小春は能力で判断することができなかったのだ。
 実際、小春が目の前で見てきた千秋は印象よりもずっと真っすぐな人に感じた。クールで少し冷たい印象。自分からコミュニケーションを積極的に取るタイプではないけれど、こちらが差し出したものにはきちんと応えてくれる。面倒くさがりなくせに、意外と面倒見が良くて、小春の仕事もよく手伝ってくれる。千秋の発する言葉が嘘だと感じたことはなかった。
 だからこそ『嘘が嫌いなんだよね』という言葉はきっと紛れもなく千秋の本音で、その言葉に信憑性があるぶんだけ、千秋に見える『赤』が今は恐ろしく感じる。今までの全部、くつがえされてしまったらと思うと、

 ——怖い。



「バスタオルと着替え、これ使ってください」
「ありがとう。ごめんね」
「なんで千秋さんが謝るんですかっ」
「……なんとなく」
「ふふっ。なんですかそれっ」
 珍しく口ごもる千秋がおかしくて思わず笑ってしまう。
 千秋に浴室を案内したあと、小春は皐月さつきとぼやき終えた鈴木に少しのあいだ店のことを託して、コンビニへと走った。
 ——さすがに他人の下着は嫌だよね。コンビニにパンツはあるけど、ブラとかあったかな。っていうか、千秋さんって何カップだろ? 結構大きいよね……Dくらい?
 考えながら、小春は自分の貧相な胸に両手を当てる。
「……なんか悲しくなってきた」
 悲しくなってきたといえば、先ほどの千秋の様子が少し不自然だったなと小春は思った。実際なぜ千秋が謝るのだろうと不思議な感じがしたのだ。思い返してみても千秋が理由もなく謝るということは今までになかった。そんなふうに謝られるとなんだか無性に不安になる。急にいなくなってしまいそうな……
 ——ちょっと待って。
 その時、一つの考えが小春の脳裏をかすめた。

 ——存在自体が、嘘……?

 いやいや、そんなバカな、アニメや漫画じゃあるまいし、と小春は自分に言い聞かせる。
 ——でも、もし本当にそうだとしたら……?
 たとえば。熱いシャワーを浴びることで、冷たい千秋の心は雪のように溶け、バスタオルだけを残し姿を消したのであった——いや、雪女か! 千秋さんの心は冷たくないしっ……!
 はたまた。実は千秋は幽霊で、生前お風呂が大好きだった彼女は、最後の晩餐ならぬ最後のバスタブに未練があり、今回お風呂に入ったことでようやく成仏し、着ていた衣類だけを残し姿を消したのであって——いや、どんな! というか、今までもお風呂は何度も入ってるでしょっ……!
 小春は混乱する思考のなかで、兎にも角にも早く戻ろうとコンビニからの道を『きまま』へ急いだ。



 脱衣所の前に辿り着いた小春は、ドライヤーの音を聞いて安堵した。自覚していた以上に心配していたのだと気付く。千秋が突然消えるわけなんてないのに。
 ——新しい下着のほうが気持ちいいよね。早く渡してあげよう。
 髪を乾かしているということはもう着替えは済んだのだろうと疑わなかった小春は、迂闊うかつにも声を掛けながら相手の返事を待たずして扉を開けた。
「千秋さーん! 下着買ってきたので良かったら——」


「「!!?!?」」


「キャーッ!!!」
 今まさに開けたばかりの扉を思わずそのまま閉める。小春の目に飛び込んできたのは、見知らぬ男の姿だったのだ。いや、正確には、顔だけはよく見知っている人物だ。
 ——ど、どういうこと!?
 小春が困惑していると、脱衣所の扉が開き、下半身にバスタオルを巻いた千秋が顔を出した。
「小春さん。ちょっと。驚かせて悪いんだけど、話させてくれないかな」





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※この物語はフィクションです。登場する人物、団体、名称、事件等は架空であり、実在のものとは関係ありません。


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