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ヌエバ行きのフェリーの上で

 アカバ湾の満点の空の下、ヌエバ行きのフェリーのデッキで、拓郎は東京のJUNから届いたメールを読んでいた。ヨルダン唯一の海岸の町アカバは、政府の後押しもあり、リゾート化された街だった。免税店に洋酒が並んでいるのはいいが、他の地域に比べ物価が高かった。このメールをインターネットカフェで、一枚プリントアウトするのに1ディナールは、ふざけてやがると思いつつ、丁寧に四つ折にしてこの紙を手帳に挟んでおいた。

入国を拒否されたイスラエル側の町エイラットの明かりを眺めていると、フェリー乗り場で出会った芸術家志望の学生が話しかけてきた。

「タバコ吸うかい?」
「ごめん、タバコは1年前にやめたんだ。」
「そうかい」

彼はタバコに火をつけ、アカデミー賞男優並みの仕種でゆっくりと煙を吐いた。
彼もまた短い人生の貴重な一瞬を楽しんでいるようだった。

2,3分の沈黙の後、

「ヌエバに着いたらどこに向かうんだい?」
「俺はヒッチハイクでカイロに向かうよ。」
「エジプトでヒッチハイク? 危なくないのかい?」
「たぶん、危なくないだろ。 危なそうだったら断ればいいさ。いざとなれば逃げればいいし。お前はどこへ行くんだ?カイロか?」
「俺はダハブに行くよ。」
「ダハブ?」
「ああ、ヌエバから車で1時間くらいのところにある安いビーチリゾートさ。たくさんのバックパッカーがそこでダイビングやスノーケリングをしながら、旅の疲れを癒しているよ。」
「そうか。Sounds good. でも俺は泳げないから興味ないな。」
「それは残念だな。あんなに美しいビーチはそんなにあるもんじゃないぞ。」
「俺は海よりも砂漠の方が好きなんだ。アレキサンドリアからバスで15,6時間のところにシーワというオアシスがあるんだよ。そこは本当に小さな村で静かで観光客があんまりいなくて、すごく気持ちが落ち着く場所なんだ。一度、彼女と一緒にそこを訪れて忘れられない時間を過ごしたよ。」

彼もまた拓郎と同じく傷心の時なのかと思い、拓郎はこう言った。

「そして今は彼女と別れてしまったので、その思い出の地に一人で行こうとしているんじゃないの?」
「ははは、残念ながら彼女とはまだ続いているよ。今回は1ヶ月の短い旅行だから、一ヵ月後にはプラハにある俺のアパートのベット上でブンブンしているよ。」
「なんだよ。」
「そういうお前は彼女はいるのかい?」
「俺かい? つい2週間ほど前に別れたよ。」
「二週間前?ってことはヨルダンで別れたのかい?」
「いや、エジプトで。11月中旬に日本からカイロにきて一ヶ月くらい彼女と一緒に旅行して、俺はイスラエルへ彼女は日本へと向かってしまったんだよ。そしてなぜかイスラエルに入国を拒否されて、仕方なしにまたエジプトに戻るとこさ。」
「なんでお前がイスラエルに入れないんだ?」
「さあな。理由を教えてくれなかったからわからないけど、たぶん、2年前に、イラン、パキスタンに行った記録がパスポートに残っていたのが良くなかったのかもしれない。」
「んー、でもいまいち納得がいかないな。テロリストにでも見えたのかな?」
「俺がテロリストに見えるかい?」
「まあ見ようによっちゃな。」
「俺はお前の方がよっぽどテロリストっぽく見えてならんけどな。」
「ああ、俺もそう思うよ。」

 初めて会うにしては妙に会話の続く奴だったな、拓郎はそう感じた。それは歳が近いからか、旅行好きだからか、わからない。まあその理由はとりわけ重要なことでもない。拓郎は彼の名前を忘れてしまった。そしてまた、エジプトで再会することもなかった。

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