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(約)20年前の広告業界から働き方を思い起こす連載小説 -8- 飛び込み営業とお好み焼き

本格的に営業活動に出るまでに、約30名程の先輩営業全てに同行研修をした。

それは基本的に見て盗むやり方だった。そして営業同行を終えたあとは、私の入社した会社ではそのまま野に放たれ新規開拓営業、つまり飛び込み営業を行い仕事を取ってくることになるのだ。

同行した多くの先輩が印象に残っている。

仕事よりもサッカーが好きで、毎日サッカーウェアで通勤し、スーツを別に持ってくる高田さん。彼はサッカーのために体力をつける目的で約50kmの距離を毎日自転車で通勤していた。雨の日もだ。

全身緑色系統や(もちろん濃淡はある)のシャツ、ネクタイ、スラックスで出社する港さん。

小林旭に憧れがあり、彼と同じような髪型、服装をしている市川さん。彼にはよくスナックに連れて行かれた。行きつけのスナックが何件かあるが、どこも品の良く物静かな店で居心地がよく、同期の荻窪と2人で行ってみたことがあったが、とても良く、いや、優しくしてくれた。

市川さんの一番お気に入りは鉄板もあり、お好み焼きも出してくれる店だ。

お好み焼きは関西式で、しっかりと火は通っているがあえてふわっとというか柔らかさを残している。そうした固めきらないお好み焼きはよくとられた鰹出汁の風味が残る。それが旨味を引き出し、お好み焼きソースによく合い、ビールがよく進む。この店は冷蔵庫に入った瓶ビールを自分で出してお会計の際に本数を数えてもらうのだが、市川さんと二人で5−6本は飲むこともよくあった。

この店に市川さんと一緒に行くと、必ず市川さんだけのサービスとして、冷やしトマトをお皿いっぱいに出してくれる。マヨネーズもあったが、塩も一緒に出してくれる。

恥ずかしい話であるが、実は私は生トマトがこの時分まで苦手であった。ただ最初は親切に冷やしトマトを出してくれるお店の方の手前、いやいや食べていたのだが、そのうち冷たいトマトの味わいが、焼きたてのお好み焼きと、よく合うことに気が付き、今まで食べなかった分を取り返すようによく食べるようになった。

そして、確か5月の下旬ごろだったと思うが、実際に営業を開始することになった。

この私が入社した広告代理店は少しづつ仕事を振って慣れさせることは無く、新卒も先輩同様に飛び込み営業で仕事を取ってくることになる。もちろん別の会社の仲間と話す限り、できる仕事から与えていくやり方の会社も多い。

同期の荻窪は結果的に1年持たず辞めることになる(その間の受注は3件程度だった記憶がある)が、新卒とはいえ数字を作れない者は不要という雰囲気だった。これは本社や別支社には無いやり方だったようで、名古屋支社で最も力を持つ常務のやり方なのだろう。

この時は毎日のように「自分は使い捨てなのだろうか」ということを考え、またこの日々が永遠に続くかと思うと、何というか宇宙に置き去りにされている気分になった。

同期の荻窪ともよく話をしたが、彼も同様で、耐えきれなくなり辞めたのだ。

考えてみてほしい。新卒で経験知識ともに乏しい営業が飛び込み訪問に来て、数十万円の広告、いや数万円でもいいにお金を出すだろうか。私が担当者であれば、かなり厳しいと思う。

私からすると名古屋の全ての土地がわからないという点も厳しかった。

当時はスマートフォンも無いため、PCからGoogle Mapの結果を紙で印刷し訪問を決めた企業への道筋を確認していた。

また社用車はあったが、新卒は3年目くらいまで乗ってはいけないというルールが暗に出来ており、借りることはできない。社用車も当時しっかりと普及していたカーナビは付いていないのだが。

最初は新聞広告の資料やフリーペーパーの安価な商品の企画書を適当に見繕って鞄に入れ営業に出ていった記憶がある。

初日は前日に約30件ほど飛び込み営業をする先を調べ、Google MAPを印刷し、ホワイトボードに帰社日と行き先を記載し社を出た。

一番最初に困ったことは、飛び込んだはいいが、受付の人に対して何と言っていいのかわからないことだった。

例えば訪問すると、まず受付の人がいる。
ただ目的はまず広告関連担当に会わなくては達成されない。そこで何と言えば広告関連担当に取り次いでもらいやすいか。

最初は「広告エージェンシーと申しますが、広告担当の方はいらっしゃいますか?」

だったが、これでは「忙しい」など言われ、そもそも取り次いでもらえない。そうして作成した訪問先リストが無残に減っていくのだ。

はじめはずっとこんな感じだった。

課題解決型でないと本来的にはダメなのだが、その時は経験が浅すぎて気が付かない。

その後、電話での事前約束取り付けも試したが、電話の方が断りやすく、また素性もわからないため、訪問よりさらにアポイントが取れないことに気が付き、足を使うスタイルに戻っていった。

そうしたなか、初めて担当者と会えたのは事務員が3名ほどの小さい英会話塾だった。

記憶では午前に飛び込み訪問して「弊社は教育関係に知見があります。少しお時間頂けませんか」と言ったところ「夕方なら時間取れます」とのことだったので、断り口上かと思ったのだが、夕方行ってみたら会えたのだった。

ただ本当に何をしていいかわからなかった。まず会社の説明をして、今思うとあり得ないのだが新聞の100万円くらいの枠物を提案し、これは当然のように難しいが、それをきっかけにして現在困っていることや、何かしたいことはないか、という話をしばらくしていると折込チラシの話になった。

チラシについて詳しい話を聞きたいと言われたが、その当時は当然全くわからなかったため後日返答することにし、会社でチラシについて教わることとなった。

私にとってこの時期は仕事を見つけてくるということが、どれだけ大変かを身を以て理解していく時期であったと思う。

つづく


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