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日本海軍軍人伝

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2023年6月の記事一覧

聯合艦隊司令長官伝 (20)栃内曽次郎

聯合艦隊司令長官伝 (20)栃内曽次郎

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は栃内曽次郎です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

海軍省副官 栃内曽次郎は慶応2(1866)年6月7日に盛岡南部藩士の家に生まれた。山屋他人や米内光政と同郷になる。栃内は一時札幌で学んだりしたが結局上京して築地の海軍兵学校に入校した。明治20(1887)年2月2

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聯合艦隊司令長官伝 (19)山屋他人

聯合艦隊司令長官伝 (19)山屋他人

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は山屋他人です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

海軍大学校教官 山屋他人は慶応2(1866)年3月4日に盛岡南部藩士の家に生まれた。山屋が生まれたとき父は42歳の厄年で、この年に生まれた子供はいったん捨て子にして他人に拾ってもらわないと育たないという俗信があった

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聯合艦隊司令長官伝 (18)山下源太郎

聯合艦隊司令長官伝 (18)山下源太郎

 歴代の聯合艦隊司令長官にについて書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は山下源太郎です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

海軍軍令部第一班長 山下源太郎は文久3(1863)年7月30日に米沢藩士の家に生まれた。米沢藩は戊辰戦争で当初幕府側だったが途中で新政府に恭順している。西南戦争のあとに海軍兵学校に入校して海軍将校をめざした。生

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聯合艦隊司令長官伝 (17)吉松茂太郎

聯合艦隊司令長官伝 (17)吉松茂太郎

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は吉松茂太郎です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

常磐艦長 吉松茂太郎は安政6(1859)年1月7日に土佐藩の支藩である中村藩士の家に生まれた。維新後上京し海軍兵学寮に入寮する。明治13(1880)年4月から10月にかけてコルベット筑波で北米大陸西海岸まで往復し

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聯合艦隊司令長官伝 (16)藤井較一

聯合艦隊司令長官伝 (16)藤井較一

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は藤井較一です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

吾妻艦長 藤井較一は安政5(1858)年8月18日に岡山藩士の家に生まれた。維新後は東京で学んだが海軍兵学寮に入寮する。加藤友三郎や島村速雄、吉松茂太郎らと同期になる。第7期は30名の同期生から4人の海軍大将を輩出

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聯合艦隊司令長官伝 (15)出羽重遠

聯合艦隊司令長官伝 (15)出羽重遠

 歴代の聯合艦隊司令長官について書いていますが、前身の常備艦隊や聯合艦隊常設化以前の第一艦隊司令長官もとりあげます。今回は出羽重遠です。
 総説の記事と、前回の記事は以下になります。

常磐回航委員長 出羽重遠は安政2(1855)年12月17日に会津藩士の家に生まれた。幼名は房吉といった。戊辰戦争では白虎隊にも参加していたとも伝わる。戦後、父親は高田藩にお預けになり家族は離ればなれとなる。赦免され

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海軍大臣伝 (6)八代六郎

海軍大臣伝 (6)八代六郎

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は八代六郎です。
 前回の記事は以下になります。

海軍士官として 八代六郎は安政7(1860)年1月3日、尾張藩領犬山の庄屋の家に生まれた。10歳にも満たないうちに兄に従って戊辰戦争に従軍したが実際に戦闘に加わったわけではないだろう。兄の同僚であった水戸藩浪士から養子に請われて後を継ぐことになり八代姓を名乗った。維新後は海軍士官を志し海軍兵学校を受験して

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海軍大臣伝 (7)加藤友三郎

海軍大臣伝 (7)加藤友三郎

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は加藤友三郎です。
 前回の記事は以下になります。

海軍士官として 加藤友三郎は文久元(1861)年2月2日、広島藩士の家に生まれた。父は下級藩士ではあるが藩校の教授をつとめる学者でもあった。明治6(1873)年に海軍兵学寮に予科生徒として入寮した。当時はまだ生徒教育を海軍兵学校で完結させず、学校でも教育と実艦での実習を織り交ぜていた。明治13(1880

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海軍大臣伝 (8)財部彪

海軍大臣伝 (8)財部彪

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は財部彪です。
 前回の記事は以下になります。

日露戦争まで 財部彪は慶応3(1867)年4月7日、日向国都城で生まれた。都城藩士の家系といわれるが、都城島津家は将軍の直臣ではなく鹿児島薩摩藩島津家の一門で、4万石を知行し並の大名よりよほど大身であったがそれでも将軍から見ると陪臣になる。財部は明治18(1885)年に築地の海軍兵学校に入校、在校中に学校は

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海軍大臣伝 (9)村上格一

海軍大臣伝 (9)村上格一

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は村上格一です。
 前回の記事は以下になります。

日露戦争まで 村上格一は文久2(1862)年11月1日、佐賀藩士の家系に生まれた。数え19歳で海軍兵学校に入校し、明治16(1883)年12月22日に海軍少尉補を命じられる。海兵11期生26名中2位の成績だった。明治19(1886)年9月1日に海軍少尉に任官する。
 初級士官としての村上は水雷畑を歩いたら

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海軍大臣伝 (10)岡田啓介

海軍大臣伝 (10)岡田啓介

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は岡田啓介です。
 前回の記事は以下になります。

大佐まで 岡田啓介は慶応4(1868)年1月21日、福井藩士の家に生まれた。福井藩からは海軍軍人を多く出しており岡田も海軍兵学校に進んだ。海軍兵学校が江田島に移ってはじめて卒業した第15期生であり、卒業成績は80名中7位だった。首席は財部彪である。明治22(1889)年4月20日に海軍少尉候補生を命じられ

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海軍大臣伝 (11)安保清種

海軍大臣伝 (11)安保清種

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は安保清種です。
 前回の記事は以下になります。

佐官まで 安保清種は明治3(1870)年10月15日に佐賀藩士出身でのちに海軍大佐になる沢野種鉄の三男として生まれた。初名は沢野庚三郎(ウィキペディアには「康三郎」とあるが誤り)。明治15(1882)年予科生徒として海軍兵学校に入校。父沢野中佐はこの年10月16日には兵学校次長として着任した。その後年末ま

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海軍大臣伝 (12)大角岑生

海軍大臣伝 (12)大角岑生

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は大角岑生です。
 前回の記事は以下になります。

佐官まで 大角岑生は明治9(1876)年5月1日、いまの愛知県稲沢市に生まれた。初名は親一。家は農業だが、愛知一中に進学できたので貧しくはなかったようだ。功玉社を経て広島県江田島の海軍兵学校に入校したのは明治26(1893)年のことだった。在校中に日清戦争があったが生徒には直接関係がなかった。明治30(1

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海軍大臣伝 (13)永野修身

海軍大臣伝 (13)永野修身

 歴代の海軍大臣について書いています。今回は永野修身です。
 前回の記事は以下になります。

佐官まで 永野修身は明治13(1880)年6月15日に高知県でもと土佐藩士族の家に生まれた。海南中学を経て明治31(1898)年に海軍兵学校に入校、明治33(1900)年12月13日に卒業して海軍少尉候補生を命じられた。卒業成績は第28期生105名中2位。首席の波多野貞夫が技術方面に進んだ(のち火薬廠長)

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