【知らないと自由になれない】自分のために人の期待を裏切ってもいい
他人に優しさを求めることは、他人の課題への介入になります。
あなたを思いやるのか思いやらないのかは、他人が決める他人の課題だからです。
自分の人生を自由に、幸せに生きる為には自分の課題に他者を介入させることなく、自分からも他者の課題に介入しないようにすることが必要です。
アドラー心理学の課題の分離の考え方ですね。
他人と自分の課題を分離して、お互いの課題には介入しないということです。
課題の分離は色々と誤解されやすいのですが、早い話が最終的に誰がその責任を負うことになるのかどうかという視点で区別することが可能です。
たとえばの話ですが、自分の進路については親が決めることではなく本人が決めることです。
親は子供の人生の最終的な責任を負うことができないからです。
もちろん、進路についてアドバイスをしたり、親としてはこうしてもらいたいと思っていると伝えることはいいことです。
親が子供にあれこれとアドバイスをすることは、時に子供からすると鬱陶しいと感じるものではありますがそれは親からの価値観の押し付けではなく「愛情」だからです。
しかし、いくら愛情でも子供が自分の人生について考えていることを妨害してしまうようではいけません。
そして、子供からも親に対して過度な要求をしないことが必要です。
もちろん、親という人生の協力者に支援を求めることは大切なことではありますし、親もそれにはできるだけ応えてあげるようにはするべきです。
しかし、親子とは言えども、特別な関係ではあっても他人は他人です。
近い関係だからこそ、課題の分離が大切になってくるとも言えます。
課題の分離という表現を曖昧に捉えてしまう人も、アドラー心理学の初心者には非常に多く見られます。
そういう人は、課題というよりは権利という考え方をしてみることをおすすめしています。
つまり、他人の権利を侵害しさえしなければ、どんな生き方をしてもいいということ。
そして、自分の権利は自分だけのものですので、他人に侵害させなくていいということです。
自分の権利を他人のために妥協する必要もなければ、他人の権利を自分から侵害するべきでもないということです。
他人からどう思われようと、何を言われようと、それは自分の価値とは無関係なことです。
自分が何をどう思うのかがすべてであり、他人にそれを決めさせる必要はありません。
なぜなら、正解は常に自分の中にしかないからです。
さて、本題に戻りますが、他人に気遣いや優しさを求めて、その通りにしてくれないと不満を持つことは他人の権利の侵害であり、他人の課題への介入になってしまいます。
なぜなら、あなたを思いやるのかどうかは、相手が決める他人の課題だからです。
加えて、あなたからも他者からの期待や要求に応えようとし過ぎなくていいのです。
なぜなら、相手を思いやるかどうかは、あなたが決めるあなたの課題だからです。
他人に振り回されがちな人にとって、この記事はとっても生きやすくなるヒントがギッシリと詰まっています。
ぜひ、何度も読み返してみてくださいね!
最後までお読み頂きありがとうございました!
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