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サウナで感じる臨死体験

臨死体験は気持ち良い。
だからバンジージャンプや絶叫系のアトラクションが人気な理由も頷ける。

臨死体験は気持ち良い。
自分が生きていることを再認識出来るから。

私はもれなく昨今のサウナブームに乗っかり、
レトロな銭湯サウナから、小洒落た個室サウナまで幅広に楽しんでいる。飽き性なADHDの私には珍しく、サウナブームは自分の中で一年以上は続いている。その理由は、やっぱり臨死体験が心を掴んで離さない。

サウナは熱いサウナ室と冷たい水風呂の温度差が激しければ激しいほど"ととのう"。低音のミストサウナが主流だった女風呂も、最近では100度越えの、もしくはロウリュ付きのサウナが登場してきたものだから楽しまずにはいられない。
ロウリュはアロマ水が入った桶からすくって、熱々の石にじゃーっと浴びせること。これが熱いんだ。一気に熱が蒸発して、ジュワワと音を立てて熱気が突風のように押し寄せてくる。ロウリュは、自分で、もしくはスタッフの方が行う人型と、何分かに1回勝手にロウリュをしてくれる機械型の2通りある。機械型はオートロウリュと呼ばれていて、熱さは人型と変わらないんだけど、時間間隔が決まってるから「来るぞ、来るぞ」とドキドキする。全身蒸されるとはこういうことか。骨の髄までアチアチになる。
熱波というのもある、これは拷問に近い。ヒラリと布を巧みに操って裸のサウナーめがけてバチンバチンと風を当ててくる。優しい風じゃない。熱球だ。うちわは煽ぐと涼しいだろう。熱波も煽ぐと熱くなる。ただその熱さが尋常じゃない。熱波を受けてその洗礼に打ち砕かれ、そそくさと退散する人もいる。私もたまに、すぐ退散する。熱さに耐えきれないのだ。

私は音のない、もしくは歌声のないメロディーだけのサウナ室が好き。何故なら瞑想できるから。ただ「熱い」と感じるだけで、仕事からも、ストレスからも解放される。サウナ室にいる時は感覚さえ感じていればそれでいい。自分の体から汗がツーと流れるのが気持ち良い。私はサウナハットは被らないけど、熱くて息が苦しいから顔をタオルでぐるぐる巻きのミイラにしている。だからそろそろ出ようかと思った時にタオルを外し、腕や足に玉のような汗が吹き出ていると、我慢した痕跡が目に見える様で嬉しい気持ちになる。

体の芯まで熱さが染み込んだら水風呂に入る。最初の時は足先しか触れなくて、熱いと寒いの拷問の繰り返しに悶々としてた。徐々に足、腰、首まで浸かれるようになり、今は水シャワーがあれば頭もバシャっと冷やしてる。これが気持ち良いんだ。徐々に入れる様になったのは、漫画「サ道」がきっかけだ。著者も最初は水風呂に入れず苦戦したという。しかし思い切って入ってみるとなんとまあ、じっと我慢してると膜が張るのだ。あたたかい羽衣ができる。だから冷たくない。いや、冷たいんだけど気持ち良い。体が「ホッ」と言ってる気がする。助かった、これで死なずに済むとでも言ってる気がする。マグロのせりを思い出す。水揚げされたマグロはカチカチの体をすべるように流れていく。私もそのマグロみたいに体がカチカチになって、どこまででも滑って行けそうな程体が軽い。そうこうしてると体が持たない。水風呂は慣れるといくらでも入れるので、時間を見計らって出る。その時は忘れないで。全身をタオルでザザザっと拭く。絶対拭かなきゃいけないルールは無いけれど、体がびちゃびちゃのまま外気浴を迎えるのは苦手なのだ。この方が集中出来る気がする。

ここからが本番だ、サウナーの皆さんもそうでしょう?サウナの究極の醍醐味は、サウナ室に入ることでも水風呂に浸かることでもない、外気浴を存分に楽しむことだ。銭湯だと特に女性の場合露天風呂が無いこともあるから、そんな時はもちろん内気浴でも良い。ととのい椅子は格段に普及してきている。露天風呂に椅子あるな、と思えばそれは「ととのう」ためのととのい椅子だ。そうそう、全身をくまなく吹いたら椅子にじゃっと温泉をかけて前の人の汗を流す。で、座る。どうせ同じ体だもん、私は目を閉じて大胆に体をタオルで隠すことなく座る。頭を後ろに少し傾ける。本当は横になれるベンチやインフィニティチェアがあれば最高なんだけど、残念ながら女湯の普及率はまだまだ低い。椅子でも十分ととのえる。
目を閉じる。水風呂に入りすぎると、頭が頭上に持ち上げられそうになってグワングワンに世界が揺れて目が開けられなくなる。最初はこれをととのいと思ってたんだけど、目眩らしい。恥ずかし。気を付けとこ。丁度いい水風呂の時間を私はずっと模索してる。今のところ12分サウナなら水風呂2分、6分サウナなら水風呂1分という具合だ。と、水風呂の話に逸れちゃったけど、ととのう時は本当に気持ち良い。全身の毛細血管がドクドクして、「はあ、生きながらえた」と心底思う。やがてドクドクからじわんじわんと柔らかい鼓動に変わっていく。そうすると、自然の音が鮮明に聞こえてくるのだ。温泉から湧き出る水の音、風が葉っぱを擦る音、風呂場に響く桶の音。それ以外は何も考えないし、考えなくていい。ただ感覚だけに耳を済ませて集中する。臨死体験だ。デジタルデトックスだ。瞑想だ。全部どうだって良くなる。私がここに存在していて、サウナで得た快感にただ集中すればいい。頭が空っぽになる。月曜から金曜までのストレスがうなじから背中にかけて水のように滴り落ちる。

これでサウナの話は終わり。
どう?入りたくなってきたでしょう?
いやあ、私が入りたくなってきた。

よし、今日もサウナに出かけよう。

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