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死んだ(自殺した)人=弱い人ではない

テラスハウスの事件を受けて、何人かの著名人がコメントをしている。

それらをまとめたものが

このサイトである。

このコメントを見ながら、どんどんモヤモヤが溜まっていった。

木村さんのことはよく知らないし、テラスハウスも見ていなかったが、木村さんは弱いから亡くなったのだろうか?

いや、弱いからでは無いと思う。

ここで私(俺)は強いから大丈夫だけど・・・というような発言をしている人が数名いる。木村さんを見下し、差別化し、自分は彼女のように弱くないから大丈夫、と過信しているのだ。

それはとても危険だと思う。

自分は強い人間だと思っていても、精神的に不安定になる時があるし、死にたくなるほど辛くなる時だってある。

誰しも人間は脆弱性を持っている。

その弱さに気づいていない、目を背けている、見ようとしていないだけなのかもしれない。

自身の弱さを知らない人は、意外と脆かったりする。しんどい状況にあっても、自分は大丈夫、と思い込み、弱音を吐かない。人を頼ろうとしない。

そうすると、どんどん自分の中に黒いもやもやが溜まっていく。それは気づかないうちにどんどん大きくなっていく。それがある日、爆発してしまうかもしれない。そのまま抱えたまま何とか生きていくことができるかもしれない。

それは誰にもわからないのだ。

弱い人間、強い人間という見方で、人の死を捉えるのではなく、私たちはみんな脆弱性を抱えており、傷ついたり、落ち込んだり、最悪の場合は死に至ってしまう。

たまたま表面化したのが今回の事件であり、対応が遅かったために一人の人間を死に追いやってしまったのだ。

今回の事件は「特別」なことではなく、「誰にでも起こりうる」事象であるのだ。

ただ、誹謗中傷を無くしていくこと自体は難しい。加害者側にも人を傷つけてしまう何らかの理由があるからだ。もしかしたら、自分もリアルではいじめられたり、からかわれたり、ひどいことを言われてきたのかもしれない。どこかでまた課題を抱えた人である可能性が高い。

いじめも似たような構造がある。本人に悪気がない可能性もある。

誹謗中傷を無くすことではなく、ある事は前提でその後の対応を考えていかないといけないだろう。

予防的にそもそも人を傷つけるコメントは本人に届かないようにしたり、もし、届いてしまった場合にもその人に対する心のケアが必要かもしれない。ネットを監視する人、ネットで心のケアをする専門家を配置するのもいいかもしれない。

現実的には難しいかもしれないが・・・

1人でも誹謗中傷で傷つく人が減ること、傷つきがあったとしても、緩和するようなシステムを考えていかなければならないだろう。

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