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フランス重戦車開発停滞史

B1 bis
User:Fat yankey - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1153468による

 フランス軍のB1 bisという戦車はご存知かと思います。
 ご存知、フランス軍の重戦車です。
 ではなんでB1 「bis」なのかはご存知ですか?
 元になったB1戦車の開発に10年以上もかかったからです。
 そのため、完成した頃には時代遅れになっていたので改良が必要だったからです。 

 どうもミリタリーサークル
 『徒華新書』です。
 @adabanasinsyo

 筆者の北条岳人です。
 @adabana_gakuto

 ドイツ軍やドイツ軍戦車を知りたくて他国戦車も調べてます。

 なぜ、フランスは1台の戦車の開発に10年以上もかけてしまったのでしょうか。
 なぜ、B1は出来上がったばかりなのにbisに改められることになったのでしょう。

 そもそも、なんでB「1」なんですか?こいつの開発名は元々Bでした。
 区別するべき対象があるからB1になったんですよね?事実としてそうなんですけれど。
 じゃあ、2はどこいったんですか?

 本日はそんな実は知らないフランス戦車B1 bisの開発史のお話をいたします。

 本日のお品書きはこちらです


1,「新型戦車」の開発の起こり
仕様書は守りましょう


 1920年後半~21年にかけて、エスティエンヌ将軍が「1921年計画」を提唱します。
 この計画では「トーチカや要塞を撃破し、敵防御線に突破口を作るための戦車」が要求されます。この要求は、第一次大戦で実戦投入されたシュナイダーCA1戦車やサン・シャモン突撃戦車を踏まえたものでした。

サン・シャモン突撃戦車の画像
サン・シャモン突撃戦車
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シュナイダーCA1戦車

そのため、この計画で求められたのは以下の4点でした。

  • 重量は15tで4人乗りであること

  • 25mm機関銃塔を設けること

  • 開発コストを削減するために主砲はケースメイト式(車体に直付け)にすること

  • 7.5cm榴弾砲の支援モデルと4.7cm砲の対戦車モデルを作ること

 また、1921年時点で3700両以上にもなるルノーFT17(第一次大戦の頃の戦車)の余剰をフランス軍は抱えていました。そのため、1921年計画も踏まえた新型戦車の開発をする機運が高まっていきます。
 この計画によって開発される戦車がChar de Bataille(シャル・ド・バタイユ。Charはフランス語で戦車、戦闘馬車チャリオットが由来。deは英語で言うとof。……概ねでは。Batailleは英語のBattleに相当するので、直訳すれば戦闘用戦車)、すなわちシャールBと呼ばれていくことになるのです。

 1921年、試作車の開発要求がルノー、シュナイダー、FAMH、FCM、ドローネ・ベルヴィルの5社に出されます。この時の開発要件は以下の通りでした。

  • 重量が13t以内であること

  • 25mmの装甲を有すること

  • 7.5cm榴弾砲または4.7cm砲のどちらかを搭載していること

  • 機銃または機銃塔を1門または2門有すること

 以上5社のうち、ドローネ・ベルヴィルだけが早期にプロジェクトから外されます。ドローネ・ベルヴィルの試作車は主砲が3.7cmであり、「4.7cmまたは7.5cmのいずれかを搭載する」という開発要求を無視したものだったからです。また、ルノーFT17を更新するための戦車なのに、そのルノーFT17を少し大きくしただけのような図体だったことも一因だと言われています。

2,「シャールB」の開発の本格化 
「開発仕様 皆で破れば 怖くない」


 こうして提出要項を守らなかったドローネ・ベルヴィルだけが脱落したあと、残った4社によって1924年5月13日までに4種類の試作車が提出されました。
ルノーとシュナイダーがタッグを組み、設計にある程度の共通性を持たせたルノー案のSRAと、

ルノーSRA(By niet toegeschreven. - Pierre Touzin, Les Engins Blindés Français, 1920-1945, SERA 1976, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7497347

シュナイダー案のSRB。

シュナイダーSRB(By Niet toegeschreven. - Pierre Touzin, Les Engins Blindés Français, 1920-1945, SERA 1976), Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7451164

FAHMによる試作車(名称不明)。

FAMHによる試作車(By niet toegeschreven - Pierre Touzin, Les Véhicules Blindés Français 1900-1944, EPA 1979, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7653268

そしてFCMによるFCM21の4両です。

FCM21(By niet toegeschreven. - Pierre Touzin, Les Engins Blindés Français, 1920-1945, SERA 1976, uit de APX-staatsarchieven, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7497354

翌25年3月までに試験を終えた4両の試作車たち。この中から採用された戦車は

ひとつもありませんでした。
各社の試作車両の主武装と重量のマトリクス
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また戦車の構造解説を目的として画像に書き込みを行った。

画像注釈:画像は「完成後」のB1 bisなので、この4両の試作車のいずれでもありません。
試作車の砲塔に搭載されているのはオチキス製8mm機関銃が1または2門です。

 個別的に見ると、4両すべての試作車にいいところがありました。例えば、ケースメイト式の主砲の配置に関しては、右側配置のSRAおよびSRBが優秀だとされました。サスペンション(車輪懸架装置)そのものの信頼性はSRAの設計が一番でした(ここの信頼性が低いと、操縦性が悪くなったり車体がすぐグワングワン揺れたりします)。ケースメイト式主砲の照準システムはSRB設計の「Neaderシステム」が最良だとされました。一番操縦手への負荷が少ないFAMHによる空気圧式サスペンションは、エスティエンヌ将軍個人としては非常にお気に入りだったと言われています。航続距離という観点ではFCMが175kmで一番長いものでした。

 にも拘わらず、決選投票でもなく全部が不採用となったのにはもちろん理由があります。
まず、金属製の履帯を装備していたのはSRBただ一両で、残り3両は木製履帯でした。……旧態依然すぎるだろ。第一次大戦の戦車を代替する計画では?
 FAMHやFCMは車体中央に主砲が配置されており、操縦手の動線をまるで考えていないんじゃないかと言われてしまいました。SRBにも、他の試作車に比べて大きく、車体の全長よりも前に突き出した主砲が地形に引っかかるのではないかとの懸念が示されました。
 そしてそもそも、重量13t以内という開発要件を守った試作車は1両たりともなかったのです。……いや1921年計画の15tだとしてもオーバーしてるけどな?

 本当はこのコンペに勝った戦車を120両発注し、それを4社で分担製造する予定でしたが、全員揃いも揃って不採用になってしまいました。仕方がないので、開発を1からやり直すことになりました。25年11月までに新しい要件に基づくモックアップ(完成予想図模型)の製作依頼がルノーに出され、これによってシャールBの概ねの基本骨子が出来上がることとなります。この時の開発要件は以下のとおりです。
・車体構造はSRA/SRBをベースとすること
・ルノー製のエンジンを用いること
・金属製の履帯を装備すること
・正面装甲40mm、側面30mm、上面20mm、底面15mmの装甲を有すること
・重量は19t~22tくらいであること
・サスペンションはFAMH案のものを使うこと
・内部機構の部品の一部(クラッチなど)はFCM案を使うこと

翌26年1月に、上記の案のモックアップに基づく試作車が3両発注されます。こうして、シャールBは「エスティエンヌ協定」とも称される、4社案のパッチワークとして始まっていくのです。


3,B1の開発の沈滞
炎上プロジェクト無限足踏み編


 ……始まっていく、はずでした。始まっていくはずのプロジェクトは、27年3月にいきなり試作車の発注し直しがかかります。原因は1926年に「今後の戦車の開発は歩兵支援を重点としたものにする」ことに決まったことでした。
こうして試作車が作り直しになった影響で、当然その完成も大きくずれこむことになりました。1929年3月、ルノーによる試作車が完成します。

・・・・・・車体だけ。
車体だけしかこの時点では完成しませんでした

翌4月にはなんとか砲塔部分が完成し、ルノー案の試作101号車として完成しました。また、この4月にはFAMHによる試作車である102号車も完成し、あとはFCMの試作車の完成を待つだけでした。
 このFCMによる103号車が29年中に完成……

しませんでした。
FCMの試作車は29年中にはついぞ完成しませんでした

 FCMによる試作車は翌30年の9月にまでずれ込みました。もはや待っていられないと見たのか、5月にはルノーの101号車が試験に臨み始めているありさまです。ちなみにこの1930年に、B戦車をベースに(まだ未完成なのに!?いや、7年もかかってるのにまだ未完成だからこそだが……)B2戦車の開発がスタートしました。ここでB2が出てくるからB戦車はB1と改められる訳です。31年10月には103号車も含めたすべての試作車が試験に供され始めましたが、それから暫く開発は沈滞気味に進行したとされ、34年4月になってようやくルノー製101号車がB1として採用の目を見ました。

 この試験前倒しや開発の沈滞には、1920年代~30年代前半にかけて「ワシントン海軍軍縮条約(1921-22)*の陸軍版を作るべきだ!」との国際的な機運の高まりも関係しているとされています。
(*実際、この海軍軍縮条約で大型艦の保有数が制限されている。)

 事実、B1の試作車が完成し試験を受けている時期と概ね同じ時期である1930~32年にかけて開かれた国連一般軍縮会議では「重戦車は攻勢兵器である」として軍備制限が決められていますし、戦車に対する質的制限事項としてイギリスは「戦車は26tまで」という案を提出しています。
 ちなみにこのイギリス案が通過すると、既に30tの大台を超過している(22tまでだったはずでは……妙だな……)B1がいきなり制限に抵触してしまうので、フランスはイギリス案に対抗して制限を32tまでとする案を提出しています。1932年7月9日付の「フランス側全権との意見交換の中で『フランスは戦車の重量32t案を提案するつもりだ』との言及があった、これに『日本の要求としては25tまでだが、もちろん(より大きい)32tで合意できるのならばなおさら結構だ』と応じた」との電報が外務省文書として残っていることから、日本を含む他国にも根回しをしていたのでしょう。

 これらを総合して推測すると、全部の試作車が出揃うのを待たずに試験を前倒ししてでも開発を急ぐことで「いやー開発完了してるんだが?」という言い訳を立てようとしたものの、案外手こずっている間にイギリスが26t案という「B1死刑案」を提出してきたので、他国を抱き込んででもB1の死守を狙ったのではないでしょうか。確かに、1921年から足掛け10年もやってきているプロジェクトが中止させられるようなことになったら、目も当てられませんからね。

 しかし、後世の完全情報から見れば、フランスの心配は杞憂に終わりました。イギリスの26t案が否決されたからでしょうか。いいえ。

何も決められずに閉会するからです。
33-34年の第二回国連一般軍縮会議も流れるからです。

 この間も、フランスでは『老朽化した』B1の改良案としてのB2戦車の開発が進められていましたが、軍縮会議がどう転ぶか分からなくなり、結局キャンセルされてしまいました。

……え?B1の『老朽化』問題どうすんの?


4,B1の完成とBisへの改良 
月産5台の期待の新型


 前述のように、34年4月になってようやくルノーによる試作車がB1として採用されます。1921年の最初の試作車開発要求から足掛け13年もの年月をかけて、ついにB1が完成したのです。

ですが。

完成したB1は完成した瞬間から既に古めかしいものになっていたのです。……まあ一回り以上も開発にかければねえ。だからB2を開発しようとしたのにその計画も流れるし。

 少し、具体例を出して説明しましょうか。1928年末にドイツで採用された対戦車砲、3.7cm Tak28/L45は、通常徹甲弾を用いた場合500m先の目標に対して傾斜角0°の場合48mm、傾斜角30°なら36mmの装甲を貫徹できます。1934年に採用された正面装甲40mmの戦車に対して、1928年に採用された貫通力48mmの対戦車砲。
40mm(1934年制式採用の戦車の正面装甲) VS 48mm(1928年製の対戦車砲の装甲貫通力)。
これがいったいぜんたいどういう意味なのか、お分かりでしょう?
「だったら改良を施せばいいだろ!」「でも今から抜本的な改修をしてる時間なんてねえよ!」というので、装甲を60mmに強化してエンジンも強化したマイナーチェンジ版とでも言うべきB1 bisという形で妥協することとなりました。

 あとは生産するだけなのですけれど。ここまでが問題続きだったってだけでいくらなんでも生産くらいはちゃんとできる……

訳がないじゃあないですか。大丈夫?フランスだよ?

 これまで述べてきた通り、B1の車体には複数の企業が参画しています。つまり、その製造の調整をとらなくてはいけないのです。足回りに限定してもFAMHのサスペンション、クラッチなど一部の部品にだけ関わっているFCM。二社の製造ペースが噛み合わないと、どちらかが遅れている間に片方がずっと待たされる訳ですからね。
 そうでなくても、ケースメイト式7.5cm砲の制御装置であるNaederシステムがめちゃくちゃ精密機械で製造が面倒くさいんです。しかもこのシステム、動かすためにはひまし油を使わなくちゃいけないのにひまし油の種類を間違えると壊れるんですよ。そのことがマニュアルに書いてないし。意味が分からん?ぼくもだが??

 まあ、まあそうは言ってもですね、B1 bisの正面装甲60mmで4.7cm砲装備というのはカタログスペック(だけ)で考えるとすごく強いんですよ、1940年時点では。
B1 bisを撃破するのは5cm砲が全然配備されてない当時のドイツ軍では難しいし、その逆にB1 bisの4.7cm砲に耐えられそうな装甲厚がある戦車も当時のドイツ軍は持っていません。
正面80mmのⅡ号戦車J型なら耐えられそうですが、II号J型の試作車一両目の完成はフランス降伏後だったはずなのでこの時点では存在しませんし、仮にフランス戦に投入されていたとしても武装はしょせん2cm機関砲なので、B1 bisの装甲を抜くのは無理ですね。
カタログスペックだけ見ればドイツ軍戦車にも余裕で勝てる!『砲塔一人乗りだからそうそううまくはいかんやろ』とかそういう話は今してないので関係ありません!!

 ……で、何両生産できたんです?総生産数そのものは369だけど36年10月8日~39年3月にかけて3社がかりで製造できたのは90両前後です……開戦までに訓練間に合いません……

単純月割換算で月産5両!?マウスの月産製造予定数の半分しかねえじゃねえか!は~~~~~バカが代~~~~~

 なんでこんなことになったんでしょうか。手短に言うと、フランスは『国庫を犠牲に戦時における生産能力を確保する』と謳った政策で、『国庫も犠牲にしたし、総力戦遂行能力も破壊した』からです。
(つまり今までの話はまだ「いい話」です。悪夢ですね。機会が許してくれれば、フランス戦間期経済史の話をすることがあるかもしれません)

 この産業の大混乱で、戦車製造も甚大なる悪影響を被りました。当然ですね。その結果が、単純月割換算で5両しか作れていないB1 bisの体たらくです。他の戦車に目を向ければ、例えばソミュアS35中戦車も36年から生産してるのですけれど、B1 bisと同じ2.5年で生産できたのは200両です。でも2.5年で200両、単純月割11両っていうのはB1 bisと比べればもちろんのこと、「フランス全体としても」多い方なんですよ?

……これで「フランスは頑張ったけどドイツ軍が強かった」だぁ?


あとがき


 おかしくないですか。ぼくはドイツ軍戦車のこと好き好きクラブなんですよ。どうしてフランス戦車なんかで原稿書いてるんですか。どういうことなんでしょう。
 まあでも、「フランス軍は頑張ったけどドイツ軍が強かっただけ!」とかいう言説はもはや通用せず、『まあ強いでしょうね、新型戦車を単純月割で月5両しか作れない国に比べればね』と批判できる事実を示せる点はよかったと思います。それに、シャールBの開発に7年もかかって、でもまだ出来ねえからB2を計画したのに、そのB2の開発計画がキャンセル!終わりだろ。

 この記事は、端的に言えば「怒り」から来ています。
高校生の頃、同人フリーゲームに触れてドイツ軍のオタクになったばかりのぼくは――今でも浅学無知でだめだめですけれど、今とは比べ物にならないほどバカだった当時のぼくは「どうしてE計画戦車とかTa183フッケバインのようなゲーム中最強ユニットがあってドイツ軍は負けたんだwwwwwwバカじゃねwwwwwwww」などと思っていたのです。
なかったから勝てないし、仮にあったとしても勝てない訳ですけれど。

 そんなことすら分からなかった高校時代は終わり、大学、そして就活に失敗したまま大学を出てから今までの時間を経て、どうにかこうにか『「数に押し切られたドイツ軍」という神話』を完全に破壊し、そんな低次元な理解度しかなかった頃の自分を否定するための知識を積み上げてきました。
だから、「怒り」の対象は、1つには高校時代の自分自身です。
もしタイムマシンがあれば資料をまとめ次第直ちに高校時代に飛び、かつての自分をひたすら資料とデータと学識とで殴り続けていることでしょう。死ぬまでね。

 もう1つ対象があるとすれば、ドイツ軍を正しく理解しない人です。
正確に言えば「ぼくはドイツ軍の無様な実像に触れて、ドイツ軍を再評価しなくちゃいけなくて、それでもドイツ軍のオタクをやめられなくてこんなに苦しんでいるというのに、今だに不正確なドイツ軍評価に基づいてああだこうだ述べる人」です。
例えば――といっても実際に見たものなのですが、「ドイツ軍がチート級に強すぎただけでフランス軍は弱くない」だの「1940年時点でドイツ軍を倒せる国があるなら出してみろや」等と述べ、フランス軍を擁護するためにドイツ軍を過大に評価するようなフランス軍のオタクです。
「1938年に開発した対戦車砲、5cm Pak38を39年中にたった2門しか製造できなかったようなドイツが、チート級に強いだぁ?!」
ドイツ軍をより複合的に理解するためにフランス軍戦車を調査したのは嘘ではありませんが、このような不正確で不誠実な言説を否定するためであったことも、また事実なのです。

 夏までには、ぼくをドイツ軍のオタクにした決定的な要因であるところのE計画について、当時のぼくが分からなかったこと全てを無限に因数分解するものを書く予定です。生きてたら、あと書けたら。その時はよろしくお願いします。

 我々ミリしらは隔週連載にてミリタリーの実は知らない話をお届けする予定です。少しでもご興味ありましたら、noteやTwitterのフォローよろしくお願いします。
 何か一つでも実は知らない話があれば幸甚です。
 引き続きミリしらを応援をよろしくお願いします。

参考文献


「War machine report Vol83 第二次大戦のフランス戦車」(アルゴノート社、2019年)
ピーター・チェンバレン・クリス・エリス著・アートボックス編集部訳編「世界の戦車1915~1945」(大日本絵画、1996年)
土屋元「第一次大戦後フランス航空機産業と政府の調達行政 : 議会資料を通して」(「経営と制度」6号、2008年)
マクシム・コロミーエツ著・小松徳仁訳「ドイツ国防軍の対戦車砲1939-1945」(大日本絵画、2009年)
Alexander Lüeke「German heavy artillery guns 1933-1945」(Pen & Sword books limited,2015年)
Ian V.Hogg「German artillery of world war two」(Frontline books,2013年)
ピーター・チェンバレン、ヒラリー・ドイル著・富岡吉勝翻訳監修「ジャーマンタンクス」(大日本絵画、1993年)
「War machine report Vol73 ドイツ対戦車自走砲-2-」(アルゴノート社、2018年)
「ミリタリー・クラシックスVol75」(イカロス出版、2021年)
山本薫「戦車サスペンション百科 再改訂版」(T.N.T.SHOW、2018年)

日本外交文書デジタルコレクション昭和期II第2部第1巻 一 国際連盟一般軍縮会議
<https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/pdfs/showaki221_02.pdf>

WW2 FRENCH CHAR DE BATAILLE Char B1 Bis<https://tanks-encyclopedia.com/ww2/france/char_b1_bis.php>

Char de Bataille FCM<https://tanks-encyclopedia.com/char-de-bataille-fcm/>

Char de Bataille FAMH<https://tanks-encyclopedia.com/char-de-bataille-famh/>

Char de Bataille SRA / Renault JZ<https://tanks-encyclopedia.com/char-de-bataille-sra-renault-jz/>

Char de Bataille SRB<https://tanks-encyclopedia.com/ww2/france/char-de-bataille-srb>

Char B1<https://tanks-encyclopedia.com/char-b1/>

1924  CHAR DE BATAILLE<http://www.chars-francais.net/2015/index.php/engins-blindes/chars?task=view&id=684>

Char B: A Difficult Beginning<http://www.tankarchives.ca/2016/12/char-b-difficult-beginning.html>

Char B: On France's Backburner<http://www.tankarchives.ca/2016/12/char-b-on-frances-backburner.html>

Char B1 bis: General Estienne's Legacy<http://www.tankarchives.ca/2017/02/char-b1-bis-general-estiennes-legacy.html>

自動車・二輪車のブレーキ・サスペンション部品<https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8433500/www.jpo.go.jp/shiryou/s_sonota/hyoujun_gijutsu/brakesuspension/mokuji.htm>

平成16年度標準技術集作成要領<https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8433500/www.jpo.go.jp/shiryou/s_sonota/hyoujun_gijutsu/brakesuspension/11-1-1.pdf#1>

An Extremely Powerful Tank... If You Can Operate It | Char B1 Bis Part 1<https://youtu.be/4_AMsaM7cYk?si=sRf_l6dFHCNzctKo>

Panzerkampfwagen II Ausführung J / VK 16.01
<https://www.armedconflicts.com/Panzerkampfwagen-II-Ausfuehrung-J-VK-16-01-t6395>

Panzerkampfwagen II Ausf.J (VK16.01)<https://tanks-encyclopedia.com/ww2/germany/panzer-ii-ausf-j/>


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