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戦車について知ろうーー黎明期の戦車たち

 さて、皆様「戦車・毒ガス・航空機(順不同)」の並びをご存知でしょうか? 
 そう、歴史の教科書を後半までめくればたぶん必ず書いてある、第一次世界大戦に投入された新兵器たちです。
 では、戦車についてどこまで語ることができますか?

 どうもミリタリーサークル
 『徒華新書』です。
 本日のミリしら(ミリタリー実は知らない話)です。
 @adabanasinsyo

 本日は北条岳人がお送りします。
 @adabana_gakuto

 「第一次大戦における新発明としての戦車、毒ガス、航空機」というのは義務教育の歴史の教科書の後半部分で絶対出てくる……はずです。少なくともぼくはそうでした。

 しかし、ではそれらはどのような重大性があったのか、どのようなものだったのかというのを説明できますでしょうか。
 そんなのは教科書はおろか、歴史の資料集にすら書いていませんでした。よって、必然的に戦車という観点で歴史を追いかける今回の記事を思いつきました。

 ちなみに、今回の記事は『ゼロから、ちょっとだけ戦車を分かる』を目標到達点として書いていますが、一発で理解できなくても大丈夫です。
 戦車をより深く多角的に説明するために様々な側面に話の戦線を広げていますし、
 ぼくも今でも分野によっては用語を固有名詞ーー完璧に噛み砕いてではなく、『❝そう❞だから』として理解しているものもあります。
 なので、新しい知識を得た時やふと思い出した時にこの記事を読んでください。

 だからこの記事はある意味では挑戦状であり、試金石です。戦車について訳知り顔をするのなら、この程度の基礎知識は抑えておかなければいけません。
 そして、この記事は招待状としての側面も持っています。記事の内容を固有名詞としてではなく、噛み砕いて理解できる比率が一割、二割、三割……と増していくにつれて、『戦車って面白いかもしれない!』と楽しくなってくると思います。……少なくとも、ぼくの想定の中では。
 四割以上を噛み砕いて理解できたのなら、ぼくは祝辞を送りましょう。 『ようこそ、趣味のミリタリー研究という長い道へ!』と。

本日のお品書きです。



戦車登場前史

 実際に形となったイギリスの『タンク』以外にも、第一次大戦の直前〜その初期にかけて塹壕突破用の兵器が各国で構想されていました。
 
 第一次大戦の直前に起きた日露戦争(1904-5)において塹壕と機関銃が猛威を振るいまくり、しかも『普通に砲撃しただけではなかなか塹壕は沈黙させられない』という戦訓が示されたからです。
 
 この塹壕突破兵器は、1904年にホルト・トラクター社(現在のキャタピラー社)により実用化された『履帯装備のトラクター』と同じく、不整地走破性能のために履帯を装備した例が散見されます。

 例えば1911年にオーストリアで試作された『モトーアゲシュッツ』と呼ばれる試作戦車にも履帯が用いられていました(但し、この履帯はホルトに端を発するもの『ではなく』、独自設計である)。

ホルト社による履帯装備の農業用トラクター。後輪を履帯に換装したことで、農民泣かせのカリフォルニアデルタの軟弱地盤でも行動できた。


モトーアゲシュッツは『後世から見れば』かなり正解に近かったと言える

 その一方で、塹壕を超えることに着目して履帯以外に解決策を見出そうとした例もあります。俗にビッグホイール形式と呼ばれるタイプの戦車としては『ツァーリ・タンク』とか『レベデンコ戦車』、『ネトピル』と呼ばれるロシアの戦車が有名です(尤も、広く知られているのはこいつくらいではあるが)。

ツァーリ・タンクは確かに面白い試みではあったかもしれないが……。良くも悪くもガワができたから有名になってしまった

 このビッグホイール戦車はロシアだけが開発していた訳ではなく、他国でもこの形式の戦車開発はされていました。……尤も、ここまで大きかったかどうかはともかく。

 では何故、タンク以外の試作車は採用されなかったのでしょうか。

 理由は基本的には以下の3つのうち
・軍の上層部から『馬鹿じゃねえの(笑)』と言われた
・金がなくて量産できない
・その両方
のどれかです。

 特にモトーアゲシュッツに関しては、確かに設計に不明瞭な点が多く『実際に開発プロジェクトが進められたと仮定して、本当にうまくいったのか?』は分からないのですが、近代戦車のレイアウトの原型を完成させたといわれるルノーFT-17より先に提案され、「FT-17という正解」に対して途中点を取れる部分もありました(例えば、FT-17は360度全周砲塔だがモトーアゲシュッツは限定旋回である)。
 
 なので、もしかしたら近代戦車の原型をFT-17とモトーアゲシュッツに見る世界もあったのかもしれません。理解とお金のある国くんに生まれなかった点が偲ばれます。

部分的には惜しいところもあるのだけれど……

 ちなみにツァーリ・タンクは『えっ、こいつ車輪撃たれたらどうなんの?』という問題点が指摘されたり、試験中にも車輪が地面にめりこむ等の醜態を晒したために採用されませんでした。
 まあ、Sd.Kfz.181 Pz.kpfw.Ⅵティーガーよりも重い(60t。ティーガーは57tくらい)ので仕方ないっちゃ仕方ないですけれど。

 以上、特にイギリス以外の国における試作車開発の例を見ました。途中点を取れそうなものもあれば途中点すら取れなさそうなものもあり、理論の実証だけでも大変といったところです。こうして各国でも様々な試みがなされていたことを踏まえて、次章では「戦車は何故必要とされたのか」を考えてみましょう。

戦車の誕生

なぜ戦車は必要とされたのか

 ところで、なぜ戦車という新兵器が必要とされたのでしょう。
 これを第一次世界大戦開始後割とすぐに起こった1914年の第一次、及び1915年の第二次シャンパーニュ会戦(それぞれシャンパーニュ冬季・秋季戦とも)の事例で説明します。
 
 この事例は戦車が影も形もない頃に「大砲撃をすれば敵陣は突破できる!」との考えに基づいて発動された攻勢作戦の顛末であり、その失敗過程を追えば「あっ、確かに戦車必要だわ」と納得いただけるかと思います。

 『敵塹壕線をいかに突破するか?』この命題に、フランス軍は『大規模な砲撃をかけながら歩兵を突撃させればええやん!』と考えていました。
  そのため、第一次シャンパーニュ会戦でも入念な砲撃をしながら歩兵を突撃させます。ドイツ軍は一線陣地と呼ばれる形態の防御陣地を整備していましたが、防御陣地が砲撃の激しさに制圧され、増援も送れないほどの大砲撃であり、突撃してくるフランス軍を十分に拒止することができませんでした。

にも拘らず、フランス軍の攻勢は頓挫してしまいます。ドイツ軍の、特に機銃手が頑強に踏みとどまって応射をかけたことと、フランス軍の砲弾が枯渇してドイツ軍の陣地や砲兵隊を制圧しておくことができなくなったためです。

 翌15年の秋、フランス軍はまたまたシャンパーニュでの攻勢作戦を計画します。

第二次シャンパーニュ会戦前線図

 この時のフランス軍は『去年の攻勢が頓挫したのは砲撃が足りなかったからや!三日三晩にわたって徹底的な砲撃を加えれば、ドイツ軍の防御陣地は跡形もなく吹っ飛ぶから散歩にでも出かけるが如く楽チンのルンルンで敵陣突破できるんや!』
 との考えに基づいて、本当に三日三晩ぶっ通し(資料によっては4日とも)での徹底的な砲撃を加えたあとドイツ軍の防御線に突撃をかけます。

 投入した兵力はドイツ軍を大きく上回っていた上、確かにドイツ軍の防御陣地はほとんど木っ端微塵に吹き飛んでいましたから、フランス軍は攻勢開始から瞬く間にドイツ軍の陣地の一部を突破します。
 
 にも拘らずフランス軍の攻勢は最終的に失敗し、ドイツ軍のそれより遥かに多い犠牲者も出しました。
何がいけなかったのでしょうか?

 その理由のひとつは、今回もドイツ軍の機銃手が防御陣地に頑強に踏みとどまっていたためです。また、鉄条網の残骸もそこかしこに残っており、❝散歩にでも出かけるが如く❞前進したフランス軍は文字通り出鼻を挫かれる形となったのです。

ここまでが、いい情報です。

 第二に、ドイツ軍は前回の反省から数線陣地というシステムを取っていました。つまり、ひとつの防御陣地には複数の塹壕が掘られていて、一線陣地の時より粘り強い抵抗が可能でした。
 しかもその上、フランス軍が徹底砲撃をした陣地の近くに、ドイツ軍は全く別の防御陣地も作っていました。もちろん、こちらの陣地は砲撃を受けていないので、全力での抵抗が可能です。

 そもそも、三日三晩ぶっ通しで砲撃を続けるためには当然それ相応の準備が必要であり、そんな大規模な兵力移動や物資の集積を完璧に隠し通せるはずがありません。特に航空機で空から偵察できる時代なのですから。
 そのため、ドイツ軍は一月単位の時間をかけて入念に防御陣地を整備していたのです。

 そして第三に、フランス軍の徹底した砲撃はドイツ軍に『近いうちに大攻勢が来る!』と予期させました。そのため、ドイツ軍は緊急の増援を送って反撃に当たらせることに成功したのです。
この増援を含めてもなおフランス軍の方が多かったのですが、十全な兵力を蓄えての反撃より素早い反撃の方が効果的な場合があります。第二次シャンパーニュ会戦はまさにその事例でした。

第二次シャンパーニュ会戦ドイツ側概念図。そらうまくいかん

 機銃手を排除できておらず、敵防御陣地はカチカチ、無傷の別陣地からも攻撃され、攻勢開始を気取られて増援を手配されれば……まあ……そうなるな。

 以上、二度のシャンパーニュ会戦の経過からも分かるように、『塹壕と機関銃』の脅威は三日三晩砲撃を加えてもなお排除しきれないほど強固でした。
 それ故に、開戦時からどうにか敵陣を突破する手段がないか模索されており、いくつかの方法のうちのひとつが戦車でした
(毒ガスや坑道戦という方法もあるが、毒ガスは気温や風向きに左右されるし、坑道戦は敵陣の真下まで穴を掘り進めなければならないため、進撃距離∶かけた時間のレートが悪すぎる)。
 故に、「装甲化され武装した自走車両による塹壕の突破」というアイデアを誰かが思いつくのは歴史的必然だったのです。

なぜ戦車「でなければならなかったのか」

 前段では「何故戦車が必要とされたのか」について、第一次及び第二次シャンパーニュ会戦を題材に検討しました。
 では次の疑問です。なぜ塹壕突破用の兵器は戦車でなければならなかったのでしょうか。
 換言すれば、なぜ履帯を装備したものでなければならなかったのでしょうか。

四輪駆動の装甲車、オーストリア・ダイムラー装甲車だって1905年時点でこの世にあったじゃない。……採用されなかったけど。

 例えば第二次ボーア戦争(1899-1902)に際して、全面を鉄板で防護した装甲牽引車(ファウラーB5装甲牽引車)が使用されたことを皮切りに、1900年代初頭には様々な装甲車が開発されましたし、第一次大戦初期にも偵察用の車両にボイラー用の鋼鉄板を貼り付けて即席の装甲車としたことから生まれたロールス・ロイス装甲車などの例があります。

ロールス・ロイス装甲車には銃弾が効かないので偵察中にしょっちゅう出くわしたドイツ軍騎兵隊から蛇蝎のごとく嫌われ、かの「アラビアのロレンス」もこの装甲車による部隊をルビーより貴重とまで評価している。ちなみに画像は戦後に改修されたロールス・ロイス装甲車1920年型。


 それらでは駄目だったのでしょうか。

 駄目です。

『それは防御力の問題?では仮に特殊なカーボンかなにかを使って銃砲弾を寄せ付けないとすれば?』

 そういう問題ではないんですってば。

 タイヤは、舗装された道や平らな道を走るためのものです

 戦場の地面は当然不整地で(尤も舗装されてたら塹壕なんて掘れませんが)、雨が降ったり雪が積もれば軟弱地盤になって足がとられます。
 それだけではありません。地面には砲弾によるクレーターができていることもあれば、鉄条網が行く手を阻むこともあります。

 そして何より、塹壕です。塹壕は人がすれ違うことができる幅と、どんなに浅いものでも1.5m以上の深さがあります。そんなところに入ってしまえば脱輪確定です。

 ロールス・ロイス装甲車に手を焼いたドイツ軍騎兵隊は、装甲車対策としてそこかしこに溝を掘るようになりました。溝に車輪が嵌って脱輪してしまえば装甲車は行動不能になるからです。
 即席の溝でも脱輪してしまうおそれがあるのに、塹壕のような広くて深い溝など絶対に超えられる訳がないでしょう。『アクション映画のようにジャンプして超えればいい』とでも?

タイヤで走るには過酷すぎる

 だからこそ、戦車が塹壕突破用兵器として脚光を浴びました。履帯は接地圧を分散できるのでタイヤより不整地に強いのです。
 また、履帯とその質量に物をいわせて鉄条網を繋ぐ杭をなぎ倒したり、あるいは鉄条網を踏みにじるなどして道を物理的に切り開くこともできました。
 以上見てきたように第一次大戦の無人地帯は非常に過酷なフィールドであり、不整地突破能力を必要としました。塹壕突破用の兵器が、タイヤを装備した装甲車ではなく履帯を装備した戦車だったのは歴史的必然だったのです。

「戦車」、登場

そろそろタンクそのものの話をしないと反乱を起こされてしまう(第一次大戦ジョーク)ので、タンクの話をしましょう。

  世界初の実用化戦車であるMk Ⅰを「正解」だとすると、履帯装備ではないものの「装甲」「武装」「エンジン」を積んだ車両というアイデアは既に1855年に特許申請がされていました(Cowen’s Locomotive Land Battery)。しかし55年、62年の二度に渡り提出されるもいずれも却下され、次に『部分的に正解に近いアイデア』が出現したのは1911年でした(厳密に言うと、H.G.ウェルズによる短編小説「The Land Ironclads」(1903年)の中に陸上戦艦のようなものが登場しているが、これはあくまで小説である)。
 

The Land Ironclads挿絵。ちなみにこの挿絵がチャーチルに「陸上軍艦」というインスピレーションを与え、後の陸上艦委員会の設立に影響したらしい

 1911年11月14日、ジョン・アンダーソン・コリーという人物が海軍卿のチャーチルに宛てて手紙を送っており、その中で「動く砦」とか「陸上装甲艦」と説明される兵器のアイデアが提示されています(その直前には、コリーの地元の新聞で彼のアイデアについての記事が掲載された)。

 しかしこの手紙も結局のところ黙殺され、戦車開発に何らの影響を与えませんでした。確かにこの兵器案ーーCorry’s Land Ironcladは「装甲」・「武装」・「エンジン」・「履帯」といった、Mk.Ⅰに盛り込まれた要素をすべて含んでいました。

 ……いましたが、その重量は50t、最高速度30km前後、30人乗りと説明されていました。実際に出来上がったMk.Ⅰ戦車は28t前後でたった6km程度しか出せず、8人乗りだったことを鑑みれば、イギリス軍部の保守性というよりも工学的非現実性が原因と考えてよさそうです。

 こうしてタンク以前に出されたアイデアのことごとくが爆沈したあと、皆さんお待ちかね、本当の本当にタンクが産声をあげる時がやってきました。1914年10月19日、陸軍軍人アーネスト・スウィントンの下に「ホルトトラクターのような履帯を装備した車両に装甲をつければ、不整地も進めるし塹壕突破できんじゃね?」という電波が降ってきます。スウィントンは陸軍卿のキッチナー元帥にこのアイデアを伝えますが、あっけなく不採用に終わります(この決定は、元帥が忙しすぎて手を回せなかったからとする説がある)。

 しかし捨てる神あれば拾う神ありで、帝国防衛委員会書記のモーリス・ハンキーがスウィントンのアイデアに注目し、二人の連名で海軍卿のチャーチル宛に書簡を送りました(14年12月)。
この書簡に興味を持ったチャーチルの主導で、翌15年2月に陸上艦委員会が設立されます。
しかもチャーチルは海軍の人間でありながら、この「陸上艦」の開発のために7万ポンドもの大金を引っ張ってきたのです。

 1915年7月、陸上艦委員会は「8フィート(2.4m)の塹壕を渡ることができる装甲化された戦闘車両」という開発要件を出しました。農業機械を製造するウィリアム・フォスター社に試作車開発命令が出され、この時に作られた試作車「リンカーン・マシン」が後に世界初の試作戦車であるリトル・ウィリーとして結実していきます。

リンカーン・マシン。フォスター社のエンジニアの名前をとってトリットンマシンとも呼ばれた

 しかし、試験に供されたリンカーン・マシンは思ったよりも超壕性が低く、「8フィートの塹壕を超えられるようにせえ言うたやんけ!」との怒られを発生させてしまいます。そのため、イギリス海軍航空隊中尉であり機械技師でもあるウォルター・ゴードン・ウィルソンの提案に従い、車体を大型化することで問題を解決しようとします。
 大型化した試作車第2号、ビッグ・ウィリーは翌16年の試験で要求通り2.4mの塹壕を超えることに成功。
 また、車体の大型化によってより強力な武装(6ポンド≒5.7cm砲)を積むことができるようになり、これが世界初の実戦投入された戦車であるMk.Ⅰの直接のプロトタイプとなります。

 そして1916年4月、Mk.Ⅰ戦車150両が発注され、量産が開始されたのでした。

Mk.Ⅰ戦車。天板についている屋根のようなものは手榴弾よけである

 戦車というアイデアを世界で初めて形にしたイギリスにおいてすら、第一次大戦前の時点では塹壕突破兵器の開発は1ミリも進んでいませんでした。確かに戦車に含まれた要素を含む試作・計画車両は提案されてはいたものの、これらはことごとく工学的現実性を欠くものであり、実際には戦車開発に1ミリも寄与しませんでした。
 そのために戦車の本格的な開発は大戦開始後となりました。それもチャーチルが陸上艦委員会を立ち上げ、7万ポンドもの予算を「どこからか(どこから持ってきたんやろなあ……)」持ってこなければ、世界初の戦車開発国はイギリスではなかったかもしれないのです。

戦車のおしごと

 こうして「塹壕突破兵器としての戦車」である菱形戦車がついに誕生してきたところで、次の疑問です。この菱形戦車は何をするものだったのでしょうか。
ちなみに忘れてはいけないポイントが3つあります。「最高速度は7km程度で鈍足」、「機械的信頼性がうんこ」、「無線なんて上等なものを装備してないから司令部に状況報告するには基本伝書鳩」の3点です。

 まず、敵の機関銃から歩兵を守るために戦車は横列に展開します。砲兵が敵陣に支援射撃をしてくれますから、それに乗じて歩兵を引き連れ前進します。
一番最初にやらなくちゃいけない仕事は「鉄条網の破壊」です。ふつう防御陣地の手前には鉄条網が敷設されており、これは歩兵の進撃にとって大変邪魔です。そのため、戦車が先行して鉄条網を破壊しておく必要があります。

 その次は敵塹壕への射撃です。鉄条網を踏みにじっても、塹壕は当たり前ですが生きています。なので、機関銃なりケースメイト砲なりを塹壕に撃ち込んで後続歩兵のために塹壕内の敵兵を無力化・制圧しておく必要があります。

 そして、塹壕内に粗朶束(そだたば)などを投げ込み、物理的に均してやるのです。この間に後続歩兵が塹壕内に突入し、敵兵の掃討をしているはずですから、敵の掃討をし終わった後の歩兵が、あるいは戦車自身が楽に通行できるように塹壕を埋めてやる必要がある、という訳なのです。

歩兵のためでもあり、自分のためでもある。スタックしてしまうと脱出が本気で面倒くさいのだ

 以上から分かるように、この時点での菱形戦車は歩兵を支援するために存在しており、第二次大戦以降のような「陸戦主力としての戦車の姿」は影も形もありません。そもそも陸戦の主力を張れるような性能じゃないので。
この時点の技術水準から言えば、粗朶束を投げ込むフェーズの前に故障したりスタックしていてもおかしくなく、仮に故障しないとしても時速7km程度しか出せないのですから、「敵陣突破後の迅速な展開」など望むべくもありません。
 そして仮に時速20kmに迫る(当時としては)高速を出せたとしても、無線機を積んでいないのですから、各部隊や後方司令部との情報伝達手段は伝書鳩や手旗信号のようなローテク技術しかありません。これでは臨機応変な作戦行動をすることは困難です。
 その意味でも、「戦車が歩兵を支援する」という、支援兵器的な立ち位置になるのは必然でありました。

もし明日戦車と戦うことになったら

 前段では攻撃側として戦車に関わる場合の事例を示しました。では逆に戦車の攻撃を防ぐなり、敵戦車を撃破する立場になったらどうすればよいのでしょうか。
『戦車には戦車をぶつける』以外で取れる手段は3つあります。

 まずひとつが『対戦車ライフル』です。相手が装甲車であれば大型獣の狩猟に用いるでかいライフルとか、あるいは小銃用の徹甲弾でも対応できましたが、戦争後期にはそれらでは対応できなくなりました。
 そのためドイツ軍は戦車を撃つ用の銃と弾を開発して歩兵に持たせたのです。『世界初の対戦車ライフル』として知られるマウザーM1918が有名です。

 ……まあ世界初の対戦車ライフルというか、第一次大戦に投入された対戦車ライフルはこれくらいしかないのだけれど(イギリスではゴッサル1918対戦車ライフル、アメリカでもウィンチェスター・パグスリー.50口径対戦車ライフルが試作されていたが、間に合わなかった)。

イギリス軍の7.7×56mm弾と比較したとき、M1918で使用する13.2×92mm TuF弾はこんなに大きい。TuFとはTank Und Fliegerの略で、この弾薬を利用する機関銃も開発されていた。
一番下、タンクゲヴェールとも呼ばれるM1918は当時のドイツ軍の小銃と比べても明らかにでかい。反動もアホほどでかく『二度撃ち銃』ともあだ名された(反動の強さで肩の骨が折れるから三発目は両肩折れてて撃てないというジョーク)

 しかし、対戦車ライフルには歩兵部隊の中で完結できる代わりに、威力が低いという欠点がありました。
 これは単純な貫通力の問題というよりも、装甲貫徹後の挙動に問題があります。弾かれた場合はもちろん論外として、抜けたとしても砲弾を誘爆させるとかエンジンを破壊するとか、搭乗員を殺傷するとかしないと意味がありません。
 つまり極端な話、装甲を抜いても何にも当たらなかったら、ただ単に穴を開けただけになってしまいます(実際には弾殻や抜かれた部分の装甲片などが車内でダンスパーティを開催するので、よほどとんでもないところを撃たない限りは「本当の本当に穴を開けただけ」ってことにはならないだろうが)。

 ちなみに、World of Tanksでは弾かれずに貫通力さえ足りてれば大ダメージ確定の一撃必殺砲弾だったHEAT弾が、War Thunderの陸になった途端に❝輝きを失う❞のはこれと全く同じことです。

要はこんなところ(赤丸)を撃ったって効果が薄い。Red Orchestra2の工兵チュートリアルがT-34を対戦車ライフルで撃破するまでーー適当なところを撃ったって永遠に終わらないアレ

射撃実験動画。わずか50Yd(≒45m)の距離からでも、16mm相当(12mm+45度傾斜による避弾経始)の装甲をM1918は貫通できていない

https://youtu.be/EzDfUKNwfGc?si=YqvAL5OWvwSvOWxY

 また、対戦車ライフルは威力の増強も難しいという問題があります。
大口径化は確かに威力を増加してくれるかもしれませんが、当然反動も増加します。作用があればそれと釣り合うだけの反作用があるというのは中学校の理科でも習う内容ですよね。
 それに重くて長いということは取り回しがめちゃくちゃ大変になりますし、銃弾にも重量というのがあります。M1918には更なる大口径化改良の予定がありましたが、M1918の時点で17.7kg、銃弾一発につき51.5gもあります。
 ……ちなみにこの重量は装具一式とは別枠ってことはお忘れじゃないですよね?

実際の射撃動画。1分17~25秒を見れば一目瞭然だが、土嚢と二脚を使ってもなお銃身を浮き上がらせ、射手の成人女性をのけぞらせるほどの激烈な反動であることが分かる

https://youtu.be/_ovHGvT4f9k?si=z7GGisNsYXAKa2fZ

 第二の対抗手段は、砲兵隊に支援射撃を要請することです。本質的には対装甲用でない迫撃砲弾であっても、天板に直撃してくれれば無傷では済まないはずです。
 カノン砲の直撃に至っては言わずもがなです。くそ忌々しい鋼鉄の巨獣は、瞬く間にくず鉄へと姿を変えることでしょう。

 しかし、これにも問題があります。威力は言うまでもなく折り紙付きなのですが、「いま砲撃支援ができるかどうか」「何発支援砲撃してくれるか」はすべて砲兵隊の都合に左右されます。
 また、「当たれば大ダメージ」だとしてもそれは当たったら、の話です。現代のようなレーザー誘導砲弾なんて影も形もある訳がないですから、たとえ敵戦車が止まっていても一撃必中で爆発四散とはいかないことでしょう。移動していた場合は言わずもがなです。

 第一も第二もだめだったらどうするんだ?そんなの当たり前じゃないですか?第一でも第二でもない第三の手段、それは

歩兵肉薄攻撃に決まってるよなあ???

収束手榴弾(ゲバルトラドゥング)。普通の手榴弾もうまいこと車体下部に転がり込んでくれれば底面装甲を理論上抜けるかもしれない(必ず抜けるとは言ってない)が、威力を上げるためにこのような改造が盛んに行われた。……まあ対戦車ライフルの配備は1918年に入ってからだしねえ。写真はM24による収束手榴弾

 言うまでもなく、歩兵肉薄攻撃は対戦車ライフルや砲撃支援要請とは比べ物にならないほど巨大な問題があります。
 相手は機関銃や砲を装備しており、しかも装甲を備えています。Mk.Ⅰ戦車に搭載されたヴィッカース重機関銃は軍公式の射程表(1916年)には2900yd(≒2.65km)までの記載があり、最長到達記録に至っては4500yd(≒4km)とされています。尤も『届く』と『当たる』は別物なので、仮に有効射程は射程表の記載の3分の1までだったとしても、700m以上の有効射程を有していることになりますね。
 それに対して手榴弾が届くのはせいぜい30m前後です。沢村賞に名を残す戦前の大投手、沢村栄治であれば78mまで届くかもしれませんが、歩兵全員が沢村並の強肩だったとしても圧倒的に射程負けしている事実は揺らぐものではありません。
 また、敵戦車の機関銃弾を食らってしまえば歩兵は一撃で戦闘不能になることもありえますが、その逆は然りではありません。仮に手榴弾がうまいこと敵戦車の底面に転がり込んでくれた場合であっても、それでワンパンできるかは怪しいものです。
 収束手榴弾のように一度に使う炸薬を増やせばワンチャンあるかもしれませんが、同時に重くなるので敵戦車により近づかなければなりません(手榴弾本体重量を500g、弾頭重量は炸薬量170gに容器部分を仮に30gと仮定すれば推定200g。この弾頭6つを連結させれば収束手榴弾の推定重量は500+200×6で1.7kgある計算になる。遠投するには重すぎ)。

 第一次大戦における対戦車戦闘がいかに大変なのかは、Warfare1917というブラウザ上でできる第一次大戦RTSゲームがあるので、これをやっていただければ実体験としてわかります。

 というか、ぼくは「いかに対戦車肉薄攻撃が大変であり、歩兵部隊がなぜ対戦車砲を求めたのか」を「Warfare1917のドイツ軍キャンペーン7面(Metal Giants)以降」以上に雄弁かつ分かりやすく説明する言葉を知りません。千言万語を尽くしてもこの疑似体験には勝てないと思います。

 なので、できればこの記事を読む手を止めてでもプレイしていただきたいところ。Firefoxだと動きませんでしたがChromeだと動きました。……少なくともぼくのパソコンおよびスマホでは。
https://armorgames.com/play/2267/warfare-1917

https://youtu.be/a24SQP4Jm1o?si=h354S0Dss9zYjqjx&t=2465

 ぼくの環境ではChromeやスマホで動くのですが、どうしても動かない場合はこちらの動画を御覧ください(敵戦車が出てくるステージのところまでタイムシーク済み)。

 まさに砲撃での早期排除に失敗し、犠牲覚悟で歩兵肉薄攻撃を仕掛けなければならなくなっています。しかも迫撃砲支援が当たったからシュトゥルムトルッペ6個分隊の全滅程度で敵戦車を破壊できていますが、もしこれが一発も当たらなかったら?あるいは、敵戦車が一度に二両出てきたら?いやはや、考えたくないですねえ。

早くも完成した❝戦後❞スタンダード

 ここまでの戦車開発史のお話は戦車を初めて実用化して量産し、戦場にも投入したイギリスをメインにしてきました。
 
 しかし、イギリス以外にもうひとつ、しかもイギリスとかなり近い時期から戦車開発を始めていた国があることをお忘れではありませんか?それはフランスです。
 
 フランスでは砲兵将校のエスティエンヌ大佐が、イギリスのスウィントンと同様に「ホルトトラクターみたいなのに装甲つけたら強くね?」と考えました。彼は陸軍のジョッフル大将に掛け合い、戦車開発計画をスタートさせます。
 この時に開発されたのはシュナイダーCA-1という戦車なのですが、エスティエンヌはこれとは別の戦車およびその運用も構想しました。曰く、シュナイダーCA-1のような大きな戦車1台の価格で数両作れるくらいの小さく、軽い戦車を蜂のように群がらせ、その数の暴力で敵の防御を圧倒するというのです。
 この「軽戦車」の開発は、フランスが世界に誇るインダストリアル・ジャイアントであるルノーのボス、ルイ・ルノーとエスティエンヌが強力なタッグを組んで進めました。
エスティエンヌ=ルノー同盟とも言うべき体制で軽戦車の開発は進展し、しかもこの戦車の採用を渋ったーーエスティエンヌから見て「政敵」が失敗の責任を問われるなどして次々と失脚していくという、なにか運命が働いたとしか思えない謎の現象によって、
この戦車は時の元帥ペタンの目にも留まりました(但し、ペタンは戦車の性能や運用構想を評価したのではなく、「歩兵の士気を上げる手段としての戦車」としてこれを評価したとも言われる)。

 こうして完成したルノーFTはまさに革命的な特徴を持っていました。「全周砲塔」と「エンジンルーム」です。

 全周砲塔それそのものはリトル・ウィリーの時点でもテストされていましたが、テストの時に搭載予定だったのは機関銃でした。ルノーFTは3.7cm砲と同軸7.92mm機銃であり、リトル・ウィリーと比べて火力において圧倒的に優勢であります。
 
 また、エンジンを隔壁で区切ったことは真に革新的発想でした。イギリスの菱形戦車にしろ、あるいはドイツで後に開発されるA7Vにしろ、戦闘室の中にエンジンがむき出しで入っていました。
 そのため、乗員はエンジンからの排気、振動、ヨーロッパ戦線においてすら、車内温度が時として50度を超えたとも言われる排熱にひどく苦しめられていました(砂漠地帯に送られた場合は……まあ、そうなるな)。
 それを鑑みれば、ルノーFTがエンジンを隔壁で区切った一室に押し込んだことは、空間の有効利用であるのみならず、乗員たちからしても諸手を挙げて喜ぶ事柄だったのです。

 しかも、ルノーFTは実に3800両以上が製造されたという意味においても革命的でした。尤も菱形戦車に比べて超壕性では劣るので陣地突破というのは難しいかもしれませんが、その数と小型ゆえの機動力を活かして「歩兵に随伴して行動できる戦車」というスタイルを確立させたのです。

 こうして第一次大戦中にイギリスによって生み出された戦車は、第一次大戦の最中にフランスによってレイアウトの決定版が生み出されるという事態を迎えました。現代の我々が「戦車」というワードでグーグル画像検索して、菱形戦車に影響を受けた戦車とルノーFTに影響を受けた戦車のどちらが多く出てくるかを鑑みれば、後世に与えた影響は絶大だったという他にないことでしょう。

第一次大戦型戦車の実情

 しかし実のところ、戦車が第一次大戦に与えた影響はさほど大きなものではありませんでした。

 たとえばJ.F.C.フラーのような軍事理論家やリデル・ハートのような戦史研究者が『この作戦には戦車が大量投入された、よってこの戦闘は戦車台頭の嚆矢となった』としてきたカンブレーの戦いにしても、その実戦車はすぐ故障したり、他部隊との連携が必ずしもとれなかったりであまり役に立っていませんでした。

 また、ドイツ軍は1918年春季攻勢『カイザーシュラハト』で注目された浸透戦術という歩兵新戦術、イギリス軍は移動弾幕射撃や予測射撃と呼ばれる砲兵新戦術を編み出してました。
 ドイツの方は戦車開発に遅れを取ったからそもそも戦車を活用しようがないことを差し引いても、必ずしも「戦車を投入した→だから勝利した」という構図が常に成り立つ訳ではありません。

つまり、第一次大戦における戦車は
・敵の機関銃から歩兵を守り、塹壕への突撃発起点まで歩兵を先導する
・鉄条網を踏みにじったり、塹壕に粗朶束を投げ込んで物理的に進撃ルートを開啓する
といった、歩兵支援の文脈にフォーカスして開発された戦車が多かったのです。

しかし、その戦車は
・超壕性の高い大型の戦車は値段も高く生産数が少ないという問題
・機械的信頼性が低く、すぐ故障するという問題
・速度が遅いから敵防御線を突破してもすぐに別の防御線にぶつかってしまうという問題
を抱えており、第一次大戦の間は「支援兵器としての地位」に甘んじるしかありませんでした

 この戦車が「陸戦の王者」の地位を確立するには、もう少し時代を下る必要がありました。


戦間期における戦車開発

 第一次大戦終了から第二次大戦までの間の戦間期と呼ばれる時代、各国ではどのような戦車が開発されていたのか……
 という各国の戦間期戦車開発史もめちゃくちゃ面白いんですが、戦車とは何?という話題で絶対に抑えておかなければならないセンテンスといえば『豆戦車』と『多砲塔戦車』です。

 これを知らないで戦車好きを名乗ることは許されませんし、もし知らないで戦車好きを騙る奴がいたらそいつはボコボコにしていいです。ぼくが許します。

戦間期前半部(20年代〜30年代冒頭)における戦車開発

 1920年代〜30年代前半頃は、なにかと短期決戦論が持て囃された時代でした。
 空に『戦略爆撃や!戦略爆撃で敵国民の意思を挫くんや!大都市に無差別爆撃・焼夷弾・毒ガス弾をいい感じに使って大量の死者を出して国民士気を下げれば、戦争はすぐ終わって結果的に犠牲者は少なく済むんや!』と説くイタリア軍人兼理論家のジュリオ・ドゥーエありとすれば、

 陸には『機動戦や!敵の防御線に穴をブチ開けた後、そこに快速部隊をどばーっと流し込んで速度に任せて一気に進撃させれば、敵の司令部機能は麻痺して敵軍は立ち往生するから一気にケリがつくんや!』と説いたイギリス軍人兼理論家のJ.F.C.フラーありです。

 フラー学派は祖国イギリスでは多数派ではなかったとか、むしろ敵国ドイツで大ウケしたとか色々言われてはいますが、そのイギリス軍で機動戦闘に主眼を置いた中戦車開発計画がそこそこ進展しており、その進展は3ポンド砲搭載、時速40km、無線装備などを求められたヴィッカースMk.Ⅲ中戦車という形になっている訳で、『少なくとも戦車開発の系統が巡航戦車派と歩兵戦車派に二分された1930代前期以降と比べれば』30年代初頭までは機動戦理論の影響が強いと言っていいでしょう(但し、大恐慌の影響でMkⅢ中戦車も試験やフィードバックまで済ませながらも結局採用されず終いにはなった)。


ヴィッカースMkⅢ中戦車は、最高速度40kmで当時としてはかなり高速であった。但し正面装甲は薄い。 

 その中戦車を主力として、偵察や補助任務に使う豆戦車、敵防御線に穴をブチ開ける重戦車としての多砲塔戦車の開発が25〜6年頃に行われ、各国は多大なる影響を受けることになるのです。

豆戦車ブーム

 1920年代半ば頃、『豆戦車』と呼ばれる戦車がイギリスで脚光を浴びます。
 機械化の進展の流れの一環だとか、多砲塔戦車とのハイローミックスで用いるためとか、大量生産して植民地の警備で使うためとか、色々な理由が挙げられていますが、まあとにかく1925年に複数の豆戦車が試作され、1928年にはザ・豆戦車というべきカーデン・ロイド豆戦車のMk.Ⅵが登場したのは事実です。

そのカーデン・ロイド豆戦車、実は当初一人乗りとしてスタートした
途中から二人乗りとなる。この二人乗り試作車は「ハネムーン・タンク」とあだ名された
これらの段階を経て「カーデンロイド豆戦車」でググると出てくる、このMk,Ⅵが完成する

 こうして生まれた豆戦車は世界的な大ブームを巻き起こしました。一人または二人乗りで武装はせいぜい機関銃、速度はこの時代にしてはある方ですが装甲はもちろん紙っぺらと、戦車が恐竜的進化を遂げた第二次大戦を基準にすれば豆戦車の戦闘力はうんこ以外の何物でもないのですが、いついかなる時でも『最強鬼戦車だから全世界でバカ売れ!』っていう構図が成り立つ訳ではないのです。

 イギリスやフランスといった、世界各地に植民地を抱える国は安くて多用途に使えることを重宝がりましたし、中小国からは引く手数多のベストセラー商品でした。

 第一次大戦で戦車という新兵器が出たらしい、ということは世界に知れ渡りました。しかし悲しいかな、中小国の国力には限界があります。
『戦車は欲しいけど我が国の経済・工業力では高くて買えないし、ましてや自国で開発製造なんてできないよーーー!!」という国は少なくありません。

 そういう中小国にとって豆戦車はイカした最新兵器となり、また研究開発のための貴重な材料にもなりました(ドイツで後にⅠ号戦車と呼ばれることになる試作車の開発の際にも、カーデン・ロイド豆戦車が参考用に輸入されている)。

 企業にとっても、この豆戦車を買ってくれた各国軍(おきゃくさん)にはセールストークがかけやすいのです。

『どうすか、豆戦車よかったっしょ?ところで弊社ぁ……もう少しだけ重い軽戦車、ってのも取り扱ってるんすけど……試してみません?」とね。

例えばボリビアはカーデン・ロイド豆戦車だけでなくヴィッカース6t戦車も購入。両車はパラグアイとのチャコ戦争(1933~38)に投入された

 大国、中小国、企業で三方よし。豆戦車は戦間期にあって時代の最先端を行くナウい新兵器だったのです。

豆戦車の問題

 では、そこまで一大ムーブメントを巻き起こした豆戦車は何故廃れたのでしょうか。その理由は、どこまでいっても『強くないから』に尽きます。
豆戦車は『安さ』に全振りした戦車であり、『まともな対戦車火力や戦術を持ってない相手をしばき倒すには適した』戦車だったことは間違いありません。
 逆に言えば「まともな対戦車火力や戦術を持ってない相手をしばき倒すことしかできない」のであって、相手がまともな対戦車火力や装甲を備えた瞬間、豆戦車は二人乗り棺桶と化すのです。

 また、車体の小ささも、よく言えば完成されてますが悪く言えば改良の余地が少ないということです。
 金と手間に糸目をつけなければ多少はなんとかなるのかもしれませんが、そうまでして豆戦車を改良するより軽戦車を導入した方が早いし伸びしろも大きいと思うが?
 
 
そして、いくら小さくて速度が40km出るといっても、それは「オープントップかつ小銃弾を防げる程度の装甲しかなくて」のものです。流れ弾も防げない戦車で偵察に出たいですか?ぼくは御免被りたいですけどねえ。

 つまり「豆戦車は安くて便利である」と言っても、後世から見た実情としては「第一次大戦の状況に豆戦車があったら便利ね」という程度でしかなく、
対戦車砲の開発が始まる1920年代及び『対戦車砲がこの世にあるものとして考えられる戦況』に対応できているかと言われると疑問符をつけざるを得ません。
戦車として極めて限定的な性能しか持てなかったが故に、『……いや軽戦車の戦闘力を向上させればよくね?』の波に飲まれて消えていきました。

衝撃!多砲塔戦車

 1926年10月、イギリスがA1E1インディペンデント重戦車の試作車を完成させました。

 尤もこいつは結局のところ採用されなかったのですが(なんじゃそりゃ!)
 
これがめちゃくちゃ強そうということで、各国こぞって多砲塔戦車の研究に走ります。

 これは第一次大戦時点で戦車開発推進派が掲げていた「陸上戦艦や!陸上戦艦で敵塹壕線を突破するんや!」を、より近代的なーーひし形のような「時代遅れでダセえ」形ではないーーデザインで実現したものだと言ってよく、敵戦車を撃破するための3ポンド(=4.7cm)砲と歩兵を薙ぎ払うための.303インチ(=7.7mm)ヴィッカース機関銃を4門装備しています。

イギリス軍の考えとしては
・「機銃のみを装備した、偵察や対歩兵攻撃に用いる豆戦車」
・「機銃だけでなく戦車砲を装備し、敵戦車潰しや敵陣突破後の主力を担う軽・中戦車」
・「更に敵の対戦車砲にも耐えられるくらいの装甲を持ち、敵塹壕線に突破口をこじ開ける重戦車」
の三本立てで戦車を運用するつもりであり、このうちインディペンデントは勿論重戦車にあたります。

多砲塔戦車の問題

 これが廃れた理由は複合的です。直接的に止めを刺したのは『大恐慌によってお金がなくなったので、高価な多砲塔戦車の開発を継続できなくなった』からです(但し、大恐慌の影響をあまり受けなかったソ連では30年代になっても多砲塔戦車の新規開発が続いた)。

 しかし、生産のコストや手間がかかるとしても本当によいものであれば、多砲塔戦車は戦中に復活してもおかしくないではありませんか。結局そうならなかったということはつまりそういうことなのですが、何がいけなかったのでしょうか。

 『高いけど、本当にいいもの』で許される次元じゃないからです。

 元凶たるA1E1インディペンデントを例に取ると、26年の試作車完成時点で7万7500ポンド、試験や改良に使った金額を含めると合計15万ポンドです。
 参考までにイギリス軍の他の値段も挙げると、1925年に開発されたヴィッカースMk.Ⅱ中戦車が1両8500ポンド
 せっかく試験とフィードバックまで終わらせたのに機械的信頼性と値段の高さを理由に量産計画が中止されたMk.Ⅲ中戦車が一両16000ポンド、
 
1936年から始まったA12マチルダⅡ開発プロジェクトの予算がマチルダⅡの開発と試作車2両の製造で3万ポンド
 イギリス海軍のH級駆逐艦「ヒーロー」と「ハンター」の艦体部分(兵装を含まない)の建造費は概ね25万ポンド前後くらいだとされています。駆逐艦の半分くらいとは、いやァ❝陸上戦艦❞だねぇ!
 しかも最初に述べた通りインディペンデントは結局採用されませんでしたから、MkⅡ中戦車であればちょっとした戦車隊を組めそうなくらいの大金を、たった1両の試作車に食われたことになります。

 そして仮に値段が「ちょっと高い」くらいになったとしても、多砲塔戦車はいくつもの問題を抱えています。

 まず第一に『理論上の火力は強いんだけど、その理論値火力が出せないから』です。

 簡単に言えば、『砲塔の数だけ都合がある』、ということです。例えばこのように3つの砲塔から「x方向に動け」「射撃開始(=今動くな)」「y方向に動け」と相互に矛盾する要求が飛んできた時、一人しかいない車長であるあなたはどう決心しますか?

車体は1つ、砲塔はnつ。どの砲塔の意見を選ぶ?

 また、砲塔を複数積むためには車体をある程度大型化しなければなりませんが、これはコストが高くなるというだけでなく重量も車体の大型化に正比例して増加することを意味します。

 重装甲であればあるほど重量は重くなる。それはもちろんそうなのですが、車体の大型化の方が重量の増え方は大きいです。
 車体が大きくなるということは装甲で防御しなければならない空間が増えるということで、その分より多くの装甲を抱えなければならないからです。

(事実、Sd.Kfz.171パンターの重量増加問題は計画段階での正面装甲の60mmから80mmへの増加ばかりが指摘されてきたが、試算によれば正面装甲増加による重量増加はそこまで大きくない。
https://x.com/FHSWman/status/1574353282671120384?s=20

 重量が増加するということは足回りに大きな負荷がかかるために速度や信頼性が下がるということです。特に戦間期はそもそも技術水準があまり高くないですから、なおさらです。
 ちなみに砲塔もそこそこに重量物であることをお忘れなく。

 すると、必然としてなにかを選び、なにかを諦めなければなりません。
 砲塔の数を諦めるようならそもそも多砲塔戦車なんて開発してないので論外として、コストの削減や機動性を優先して装甲を諦めますか?それとも防御力を優先してコストの増大や機動性の低下を諦めますか?
 あるいは、防御力も機動力も諦めたくないから、重装甲と大出力エンジンを積み、コストと信頼性、運用面での負担を見なかったことにしますか?
(例えば燃費。試験に供されたインディペンデントはこの図体で最高速度32kmを達成したが、その対価として1kmにつき2.4Lほどの燃料を食っている)

 まあ、尤もインディペンデントは一番厚いところでも28mmしかないので、本格的な対戦車砲が開発されると普通にブチ抜かれるのだけれど……

 なので、多砲塔戦車は『なんか強そう』『理論上強い』のでしょうけど、それを現実のものにできませんでした。
 
 ただ『なんか強そう』はそこかしこで遺憾なく発揮されており、軍事パレードや展示会に登場する多砲塔戦車の写真は結構残っています。現代語で言う『映え』ってやつですかね。

#多砲塔戦車 #強そう #無敵


戦間期(1920年代~30年代初頭)における戦車の立ち位置

 以上、豆戦車と多砲塔戦車という「絶対に抑えなければならないストリーム」に着目して戦間期前半部の戦車開発史を振り返ってきました。

 結論から言えば、このどちらも第二次大戦が始まる前から陳腐化する訳ですが、何故豆戦車と多砲塔戦車が陳腐化したのかと言えば「強くないから」でした。
 
 なぜ強くないのかと言えば、この当時の技術水準ではエンジンの出せる馬力がまだ低く、「兵器として実用に足る程度の機械的信頼性を持ち合わせること」と「性能を突き詰めること」の両立が難しかったからです。

 例えばこの時期に登場したインディペンデントと、第二次大戦後半に登場したパンターのカタログスペックを比較してみましょう。

 インディペンデントは12気筒370馬力エンジンを搭載し、重量は34t、最大装甲圧は28mm、路上最高速度32kmです。
 それに対してパンターは気筒数こそ同じ12気筒ですがエンジンは700馬力(最初期ロットの250両のみ650馬力)、重量は最終量産型のG型で45.5t、正面装甲80mm、路上最高速度46kmです。

 17年差もあるふたつの戦車を単純同列比較すれば歴然たる差が出るのは当たり前ですが、インディペンデントというでかい図体の戦車に32kmという(当時としては)破格の高速を出させるエンジンも、第二次大戦を基準にすると決して大出力のエンジンではないのです。
 逆に言えば、第二次大戦を通じて戦車の恐竜的進化を可能にしたのは技術水準の向上、特にエンジン出力の向上がそれを可能にしたのだと考えることができます。

何故豆戦車は廃れたのか?
 →強くないから
  何故強くないのか?
   →軽くて安くて多用途ということにフォーカスしており、戦闘能力マシマシで設計された戦車ではないから

何故多砲塔戦車は廃れたのか?
 →高いから
 →強くないから
  何故強くないのか?
   →エンジン出力がまだ低く、多砲塔と十分な戦闘力の両立は難しいから

以上の構図を見て取ることができます。

 しかしながら、この戦間期に示された「中核戦車と、それと一緒に使う支援戦車」という二本立ての構図は1930年代の戦車開発のスタンダードとなるので、その点では歴史の連続性というものを感じさせます。

あとがき

 最初に述べたように、この記事は一発で理解する必要はありません。戦車を深く立体的に解析することを目的としているので話の戦線をそこかしこに広げていますから、ふと思い出した時にこの記事を読んでください。
 PVとかは本気でどうでもいいので、それこそ返し読みするにしてもページを印刷してPdfにしてもらってもいいんですけど、
とにかく今回の記事で戦車に対する立体的・多角的・包括的な視野をもてたとか、『戦車は面白いかもしれない』、と思っていただけたら幸いです。

 そしてなによりそれ以上に、戦車のことをろくに知りもしない分際で戦車不要論を唱えて賢ぶってる下劣な存在を生み出したくないのです。
それ故に、後半の記事では第二次大戦〜戦後戦車を扱ったあと、今回のレベルの包括性で戦車不要論に対する徹底的な反駁を行う予定です。

 本来なら今回の記事は一本で仕上げる予定だったのですけれど、突然「うわあ!トーテム作戦の経過って面白いのよ!!!!!!」になって、オブイェークト279「なんか」ほうっておいて核実験に投入されたセンチュリオンについて調べてたら話に収拾がつけられなくなり、
 やむを得ず1930年代初頭まで・それ以降で分けることになりました。

ちなみに、冒頭で「戦車・毒ガス・航空機」の並びをあげましたが、毒ガスに関する記事の執筆予定は現状ありません。その理由は

内容が高度に専門的である。
毒ガスをきちんと理解するためには組成式、それがどのように人体に作用してどういう害毒をもたらすのか、
『どうしてこの毒ガスは防護服だけでは防げないのか』を理解しなければならず、書く我々の側だけでなく読む皆様にもかなりの気合が必要となる。

・戦車や航空機はアニメやゲーム(擬人化や美少女化などを含む)で触れる機会がそれなりにある……はず。なので、想像するための取っ掛かりはある。
一方、毒ガス『単体』を前面に押し出したアニメやゲームはない。仮に存在するとしても、例えばガルパンやWarthunderほどメジャーではない。
『ああ、あれか』という想像するための取っ掛かりが何もないものを納得して理解するのは難しい。

第一次大戦以降、対峙した両軍が双方ともに毒ガスを使って……という意味での使用事例が少ない。
もちろんイタリアがエチオピアで、日本が中国で毒ガスをバンバン使ってはいるものの、第一次大戦のような激烈な毒ガス戦がそこかしこで展開された訳ではない。
また、国際法でもBC兵器の使用は禁止されるため、その意味でも毒ガスの発展過程を通じて歴史を追いかけることは難しい。

おそらくエグい表現のオンパレードとなる。ぼくは中学の歴史の授業で『いわゆる悪魔の飽食』について触れた時にクラスで唯一嘔吐したのを皮切りに、
『戦争映画の金字塔と名高いプライベート・ライアンを全編、目を開けて完走したことがない』『Red Orchestra2のようなリアル系FPSもゴア表現をオフにしないとできない』
『メイドインアビスの劇場版を見に行かされて、劇場内で本気で気分が悪くなる』など、グロい表現が本気で駄目なので抵抗がある。

 なので、ぼくは毒ガスに関する記事を書く自信もなければその意志もありません。書けって言われた瞬間サークルに三行半を叩きつけます。ぼくは本気です。
仮に書くとすればぼく以外の誰かか、あるいはぼくが自由意志で毒ガスに関する資料を読んでるうちに楽しくなってきて『毒ガスの歴史って面白いのよ!』モードになって以降か、になります。少なくとも当面の予定ではないですね。

参考文献

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