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実はさあ、水泳の授業自体より、プール掃除が一番青春

プールの塩素の匂いがした。夏の午後、クーラーの効いた街中のオフィスで。
そんなわけがないからおそらく気のせいなのだけど、塩素の匂いって漂白剤でもなんでもなく、どうしてもプールの匂いだ。もう何年も行っていないプールを、一瞬で思い出させられる程度には強く刷り込まれている。


私が最後に泳いだプールは、高校2年の夏に取り壊されてしまった母校の中学校のプールだ。

私の母校に水泳部というものはなかったから、夏休みのプールは補習くらいでしか使われることはなかった。
1学期の終わりになみなみに水を張ってしまったプールは、夏の間はほとんどただ水をたたえているだけになる。

夏のプールには魔物が棲むというけれどそれはあながち間違いではなくて、実際はぬるい水が揺らめいているだけなのに、あの水のかたまりがそれはそれは涼やかに見えるのだった。


そんなこんなで、すぐそこには涼しげに見えるのに誰も泳いでいないプールがある。私たちの部活の顧問は、全員体育教師である。プールの管理管轄は、体育教官室にある。
そんな条件が相まって、私たちは夏休みの部活終わり、水着さえ持ってきて顧問が監視をしてくれれば「クールダウン」と称してプールで好きに泳げたのだった。


大して泳げない私は、別に水泳の時間は嫌いじゃないけど好きでもなかった。
スクール水着はダサいし、生理の周期が同級生にバレるのも恥ずかしいし、体育教師に生理だと申告するのも恥ずかしかった。
だけど、授業ではなく好きにプールに浮かんで潜ってができる、夏休みの部活終わりの時間は好きだった。


特に、その年の私は水のないプールの底を知っていた。
毎年、プール開き前のプール掃除は3年生の仕事だった。単純に1年生だと収拾がつかないし、3年間の感謝を込めて最後に掃除するという理由もあったのだろうけど、ある意味で3年生の特権だったと思う。

水を入れてしまえば走ったりできないプールの底を、裸足の体操服姿でぺたぺたと歩きながらデッキブラシで磨いた。
清涼飲料水のCMに出てくるような、男女が放課後に制服で水を掛け合って笑い合うなんて爽やかさはないけれど、私が中学校の卒業アルバムで一番好きな写真はプール掃除の写真だった。


カメラ目線が苦手な私が、プール掃除にはしゃいでめちゃくちゃ笑って写っていて。水色のプールの底に、体操服の白と学年カラーのタスキが映えてとても綺麗で。
写真に撮って眺めたくなんてない水泳の授業よりも、よっぽど青春の1ページだなとしみじみしたのだった。


あれから10年と少し。
あれから私は、一度もプールに入っていない。海は泳ぎにも行かなかった。最後に着た水着はスクール水着のままだ。

プールって、何をして遊ぶ場所かも忘れてしまった。近所のどこにプールがあるのかも知らない。
それでも、夏の週末の昼下がりに住宅街を通りかかると、どこかから聞こえる。


近くの庭先にビニールプールでも出しているのだろう、水がぱしゃぱしゃ跳ねる音と、じょぼじょぼ注がれる音。子どもの高い笑い声。学校のプールよりも淡いカルキの匂い。

涼やかな水色が、今年も誰かの夏の思い出に刻まれていた。






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