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同じ部屋、同じテーブル、別のマグ 時々そんな朝でいいのに

「私、恋愛感情がうまく息してないからなぁ」
ふとした時にそう呟くたび、付き合っているひとは「それを言われると刺さるな」と零す。
ただ「あなたと同じ熱量で盛り上がることはできなくて、ごめんね」と言いたいだけなのに、傷付けたり謝らせたりしてしまう。そのたびに、気持ちが冷めるというより何かが削れていく感覚を覚える。


表面上は噛み合っているのに、根っこのところで噛み合っていない。そんな感じがする。
一見何ら問題なく『男女交際』を続けられているけれど、私の方が『恋愛関係』の必要条件を満たせていないからどうしようもない。

一緒に街を歩いている時は、たぶん噛み合っている。見たい服のブランドも入れそうだと思えるカフェも似ているし、特にどちらかが我慢するわけでもなく、行きたいところやしたいことを話すし乗っかる。
だけど、彼が将来のことを語る時には噛み合わなくなる。『交際』の先に『結婚』や『妊娠』『出産』や『子育て』を描けたことがない私は、どこか遠い世界のおとぎ話でも聞いているような気持ちになる。
理想の結婚式を語る彼に対して、自分が新婦席に座っている図を全く思い描けない私は、彼の話のあいだじゅう脳内にスペースキャットのGIFが表示され続ける。



たぶん、恋愛感情の所在がグレーな私と、恋愛をしたら嫉妬や独占欲を持つし結婚もしたいと感じる彼らとでは、感情の容れ物からしてそもそも違うのだと気付いたのは最近のことだ。

恋愛感情には、世間一般的には熱量があるものだと思う。
「気持ちが冷めた」とか「いつから恋愛のスイッチが入ったのか」とか言うように、固体から液体へ、液体から気体に変わるような状態変化を熱量に伴って起こしているイメージがある。
たぶん、そんな感情の容れ物は耐熱ガラス製だ。容れ物ごと直火やレンジにかけて中身を温め直すこともできるけれど、衝撃には弱いし保温性は低い。特別な人への感情の容れ物は、大きかったり特別高かったりする。


私の恋愛感情らしきものには、熱量はそれほどない代わりに質量がある。熱くはならなくて、一定の質量の感情が溜まったら「この人なら特別な存在枠に入れられるかもしれない」とようやく考えられる。
一度焼いたパンやケーキが冷めても生地の状態までは潰れないように、例え温度が冷めても質量は変わらない。だから、気持ちが冷めたとか嫌いになるということもめったにない。
私の感情の容れ物は木製だと思う。直火にかけたりレンジにかけたりはできないから、中身を温め直したければ温かいものを注ぎ足すか中身を替える必要がある。でも、落としてもそう割れないし、保温性があるからある程度常温を保てる。容れ物は全部同じような大きさだけど、お気に入りはよく使うところに置いて手垢をつけていく。


だから、例えばふたりで同じスープを飲んでいたとして。
ガラスボウルで飲んでいる彼と木製ボウルで飲んでいる私とでは、手に感じる器の温度も違えば、美味しそうに見える盛り付け方も少し違うだろう。
熱いものを熱いうちに飲み切りたい彼と、そうでもなく「人肌くらいの温かさなら気にならないし、この後のパンに付けてみようかな」なんて考えている私とでは飲むペースも違う。


「私は熱いものが好きじゃないな」というつもりで発した言葉は、いつも「あなたとの食事は楽しくない」に変換されて「おいしさを教えられない自分のせいだ」と落ち込ませてしまう。
別に全然、そうじゃないのにな。

「あなたとの食事は好きだけど、私は好きなメニューを選ぶね。全く同じものに、同じようにテンションを上げることはできないよ」
そう何度言い直しても、言葉の通りに届かなくて「同じおいしさを感じさせられなくてごめん」と彼自身を責める結果になってしまって、私までひっそりと凹む。
私の感覚が少数派なことくらいは分かっているから、私は今更割れも欠けもしないけれど、それでもじんわりと気持ちは腐食されていく。


ただ、そうしてほんの少し自分が削れていくだけ。数ヶ月後や何年か先の二人のことを夢見て話す彼を見ていても、別に気持ちは冷めない。
彼が楽しそうでよかったと思うし、常温のまま質量は変わらない。でも自分の器がだめになっていく感覚はする。

スープじゃなくて、お茶でもコーヒーでも何でもいいけれど。とにかく「同じものを同じ熱さでおいしいと楽しめる人を探した方がいいよ」と伝える方が彼の人生も無駄にならないだろうか、と時々考える。


あなたとおやつやお茶をしたり、朝食を食べたりする時間は好きだ。
でも、毎日あなたと同じ時間に同じものを食べて、同じようにおいしいと笑えない私では、やっぱりずっとは一緒にいられないかな。

『友愛の延長の愛情』なら私にもある。でもやっぱり『恋慕の愛情』は分かりそうにない。
だから、嫌いになったわけでも情がなくなるわけでもないけど、あなたの描く未来予想図に無邪気に「いいね」とは言えないから、そう言ってくれるひとを探していいよと、手を離すのはただのエゴかな。

そう問いかけみたいに言ってみるけれど、結局ただの自問自答でひとり相撲なのは分かっている。
彼からしたら私が「結婚したいと思ってくれるのを待っている」感覚で、私が結婚したいと思わなければそれは自分のせいなんだろう。
そんなことはなくて、たまたま捕まえた人間がこんな性質なだけなのに、申し訳ない話だ。



でも本当に、この一見『男女交際』ができているような関係が成立して続いているのはたまたまだ。
私の中に、恋愛感情というものは息をして脈打ってはいない。それでも辛うじて私の恋愛志向がヘテロで、同時に複数の人を愛する指向も持っていないから成り立っている。

もし私の恋愛志向がヘテロではないかバイだったら、彼ではなく親友たちを選んだかもしれない。そしてたぶん彼には気があると勘違いさせていただろう。
私がポリアモリーだったら、彼のことも親友たちのことも好きだと選べずに泥沼化していたかもしれない。


感情の質量としては、彼と大切な親友たちはほぼ同じか親友たちの方が重いくらいだ。
それでも彼と交際しているのは『他の友人よりも抜きん出て好きな人たちのうち、恋人という枠に入れられる人』=『友人以上のことができる性別を持った人』のトップに彼が来たからだ。

同時に複数の人をそのカテゴリーに入れる志向はないので、自分から誰かに恋をして浮気をすることはない。
けれどこの温度感では、どうやっても結婚生活への覚悟にも、結婚パーティー的なものを浮かれて乗り切るにも足りない。
それでもそんなことは、まどろっこしい恋愛や性愛志向だのについて考えるまでもなく、好きになった女性と幸せな結婚をする未来を夢見てこられた彼には関係ない。


そうして、感情が冷え切ることはないけれど熱くはなれない私は、来ないだろう日が訪れることを彼に待たせてしまっている。
ぬるくていいから、同じテーブルで一緒に食事の時間を過ごせるだけでいいのに。

同じものを同じ熱さでおいしいと言えなくてごめんね。たぶんこれからも、そうひっそり凹み続ける。

何かを感じていただけたなら嬉しいです。おいしいコーヒーをいただきながら、また張り切って記事を書くなどしたいです。