「ねえ、今度今日買った服着て行くね」良い約束をくれる服がある

11月29日。
いい肉の日でもあるけど、いい服の日でもある。
そして、婦人服店を営み「ちょっといい服」を売っている、私の父の誕生日だ。


いい服って、滅多に買う機会がなくなった。
久しぶりにあの人と会うとか、ちょっとしたいいお店での集まりの機会とかがなくなって、会う人は普段から生活圏が被る人に固定された。

変わらない日常を維持して送ることで精いっぱいで、非日常を楽しむことなんてほとんどなくなった。



非日常を演出するのに欠かせなかったのは、ちょっといいレストランだとか、大人数で集まれる居酒屋だとか。まさにコロナ禍で大打撃を受けた、飲食店による要素が大きい。

それから、「あのお店に行けそうな服がないな」とか「久しぶりに会う人に『まだあの服着てるの』って思われるのやだし、服新調しようかな」とか、ファッションだってひと役買っていた。
そういえば、そんなふうにうきうきして服を買う機会が滅多になくなったなぁと、スケジュールアプリを見て思う。

コロナ禍で、気付いたらなくなってしまった飲食店がたくさんあった。
やっているのかどうか分からないなと思っていたようなお店も、閉店のお知らせの紙が貼り出してあって、「あぁ、知らなかっただけでちゃんとここにも営みがあったんだ」と何度思ったか知れない。

服や靴やコスメを扱うお店も、普段食材を買いに行くモール内のお店たちが、気付いたらひっそり撤退したり入れ替わったりしていた。
そして、私の父もそんなファッション業界で働くひとりなのだ。



父が営んでいるのは、最初に書いた通り婦人服店だ。

どんなお店かを、分かりやすさだけを優先して言葉を選ばずに言うのであれば。
ショッピングモール内の、あまりお客さんがいるのを見かけないけどなぜかずっとある、年齢層高めのマダム向けのお店。
誰にもひとつくらい、そんなお店に心当たりはないだろうか。
父は地方都市の小さなデパートで、(確か)20年ほどそんなお店を営んでいる。


と言いつつ、実は私は父のお店を見たことがほとんどない。
デパートのある街が、私の住む街から電車で1時間近く離れていることと、デパートに日常的に行かないという理由もあった。

それからたぶん何より、現実を直視するのが怖かった。
「『このお店、お客さん少ないけど大丈夫かな』とか、身内のお店を見て思ってしまったらどうしよう」と思っていた。

だからデパートに寄ることがあったとしても、できるだけお店の前は覗かずにいた。
お店を直接見るかどうかに関わらず、生活に余裕があるわけではないのだから推して知るべしという感じではある。
それでも、状況を推測はしていても視覚的に知りたくはなかった。



そんなこんなで細々と、だけど連綿と営業を続けていた父のお店にも、突然訪れたコロナ禍。

父はしばらく、仕事ができなかった。
自営業だけどテナント出店者だから、デパートが開かなければ営業ができない。

ちょっと贅沢な品を扱うデパートを開けている場合では確かになかったし、しかも洋服やコスメは、確かに生活必需品ではない。
例えそれを売って暮らしていた人たちには働かないといけない理由があっても、デパートとして「営業しなければいけない理由や建前」はなかった。


一番きついなと思った父の台詞は「お客さんがあんまり来ないのはまだしょうがないけど、店を開けることもできないのが本当にきつくてつらい」。
「お客さんに来てもらう努力すらもできないと、本当にどうしようもない」だった。

お店を営む人にとって、シンプルにお客さんが来ないことが一番つらいことだと思っていた。だけど、それよりもきついことがあったんだと衝撃を受けた。

どんどん出てくる父のお腹を、帰省するたびにぽんぽこと叩いてからかっていたけれど、こんな風に痩せ細ってほしいわけじゃなかった。
会うたび後退していく生え際を観察しては観察結果をコメントしていたけど、髪の量よりも、一気に真っ白になった髪色に親の老いを感じるとは知りたくなかった。



最初の緊急事態宣言が開けてからしばらくして、ようやくお店は再開して、まだなんとかお店は続いている。
だけど元々お客さんのメイン客層が年齢の高い方々なので、つまりは感染リスクも高い方々だった。

それゆえ、どなたも口を揃えて「出歩いちゃいけないから、出かける機会がなくて、新しい服が必要になる機会も減っちゃってねぇ」と言うのだという。
そりゃそうだ。誰も悪くない。だけどやっぱり、平気なわけじゃない。


営業できなかった時期を取り戻すぞと頑張りたくても、仕事を頑張れないというのは、飲食や観光しかり、思った以上にいろんなところで起きている苦しみなんだと実感した。

「もう店畳もうかなって、さすがに考えてる」
そう父は呟く。自営業である以上、店を畳むことはイコール職を失うことだ。
「老後、どうしよう。長生きなんかするとかえって大変だよなぁ」「子どもたちの誰かに何かあっても、もう何もできないかもしれないからよろしくな」の言葉に、またじわりと頭が重くなる。



そんな父を励まそうとしたわけでもないけど、少し前に、ちょっとした(たぶん)いいニュースを届けることができた。

「一生結婚しないつもりまであるからよろしく」と宣言していた娘こと私が、お付き合いしている人と結婚を前提に一緒に暮らすことになった。

だからお相手を連れて、報告がてら食事でもご一緒しましょうと、両親に顔を見せに行くことになった。


問題はその日取りだった。
父は不定休だけれど、職業柄、基本的に週末こそ働かないといけないので、休みがあるとしたらだいたい平日だ。
だけど私もお相手も土日休みなので、父と休みが合う日を待っていたら新生活が始まってしまう可能性すらある。そしてそもそも父は経営状況的にも、あんまり休みを取っている場合ではない。

とはいえ挨拶はせねばならんだろうと、何とか土日に休みを取ってくれたのが、それでも報告をしてから月単位で先だった。



中途半端に時間があると逆にそわそわしてしまうもので、私もお相手も「何を話そう」「手土産は何を持って行こう」とそわそわした。
そしてそれから、久しぶりに「何を着ればいいんだろう」「新しい服、買わなきゃ」となった。

週末、アウトレットに出かけた(デパートとかファッションビルではないんかいとは突っ込まないでほしい、ちょっとドライブもしたかったのだ)。


お相手は「靴を買いたい」と言った。通勤時もオフィスカジュアルだから、革靴が欲しいと。

私は「ワンピースが欲しい」と思った。よそ行きなワンピースは、いくつか結婚式に出席する際に買ったものがある。
けれど真冬用の重くて厚い素材なので、それを着るにはまだ早い。あとシンプルに、レストランに着ていくには少し気合いが入り過ぎている。
かと言って、今の時期に着られるようなワンピースは、スウェットワンピースだとかネル素材のシャツワンピースだとか、さすがにカジュアルなものしかなかった。



そわそわしながらアウトレットを2周くらいして、ここならアウトレットでもまぁアリかなぁなんて目星をつけて。
ふたりともお目当てに近いものを買えて、フードコートで休憩して、これでひと安心と帰路についた。
その時に、母から「今度帰ってくる時だけどさぁ」とLINEが入った。

「私ら、なに着ればいいのかね?温度感がわかんない」

「なんとなく綺麗めな感じであればいいんじゃない?襟があるとか」

「あんた達は、なにを着てくるの?」

「どうしたらいいか分かんなくて買ったとこだよ。今度はそれ着てくね」

そんな話をした。何か目的があって、服を買うのは久しぶりだったなぁとしみじみした。


仕事着くらいは去年だって買っていたけど、新しく「ちょっといい服」を買うのはかなり久しぶりだった。
それこそ、コロナ禍直前に出席した結婚式以来かもしれない。「ちょっといい予定」や「楽しい約束」がないと、「ちょっといい服」はなかなか「ええい買ってしまおう」とは踏み切れない。

でも、「いい服を買ったから見せに行こう」が出てきても、もういいよなぁ。



『素敵な靴は、素敵な場所に連れて行ってくれる』という海外のことわざがある。
でも、いい服だってもちろん、いい約束や予定を連れてきてくれる(と言いつつ今回は予定に合わせて服を買ったんだけど)。

今度私の両親と会ったら、それからまた少し経った日にお相手のご両親にもお会いしに行く。
そのときには少し季節も進んでいるだろうから、今度はなにを着よう。また「ちょっといい服」を買うしかないかな。

いい服の日、父の誕生日。
今日父のお店では、「ちょっといい服」はどれだけの人の手に渡っただろうか。

冷えが厳しくなって人に会いたくなる季節。あったかく手触りのいい服が欲しくなる時期。
誰かと誰かが会う口実になるような、その時に誰かをあたためられるような、そんな服が今日も売れていたならいい。

おとん、誕生日おめでとう。

何かを感じていただけたなら嬉しいです。おいしいコーヒーをいただきながら、また張り切って記事を書くなどしたいです。