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私という価値




今日、我が子の主治医に「お母さんは客観視して分析するのが上手」だと褒められた


つい先日、我が子の担任の先生にも「お母さんはほんとよく見てるし、俯瞰で捉えるの上手いよね」って褒められた



株主はじめた頃おさーんにも
「しゅりの強みは客観視、感情の表現・文章化、斜に構えた見かた、可愛げが無い・ツンデレ」だと言われたことがある


今日それを思い出して、おさーんに伝えた
先生たちに言われたのも嬉しかったけど、客観視出来てる(のだとして)生きにくい選択を自分でしているし、嬉しい〝けど〟と感じてしまう、と


おさーんには「分析が出来ることと合理的に行動出来ることは別。褒め言葉は素直に受け取ること」を言われた



褒め言葉を受けて、次に自分から言う言葉に
でも、とか、だけどなんてつけたら勿体無い
嬉しかったら嬉しいでいいし、ありがとうで充分


その方が自分も満たされる
嫌な言い方だけど価値が実感出来る


noteをちらほら書いてく中で、スキがついたりTwitterでイイネがついたり、そういうので書いてよかったなとか、嬉しいとか、共感や反応がみれて凄く嬉しいし、価値が満たされている
意固地になってるわけじゃないんだけど、ちょっと安心する


引用とかも読むし、rtしてくれたら見にいくし、ファボも、この人いつもしてくれるとか、わかる


おさーんが引用でくれるやつも、勿論嬉しいし私なりの株主活動が出来てるかなって感じる




価値、なんて大したもんでも、大それたもんでもないんだけど、そうやってなんか名前をつけて、自分がいるって実感したいのかも



1日お疲れ様でした



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