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当たり前にある自然に危機が迫ることに気づく中学時代、コンセントの先に気づいた大学時代:NPO法人ER.が生まれた背景①

みなさん、こんにちは!
NPO法人ER.代表の鈴木です。

ER.は2021年に設立し、2023年の今年でまだ2年目の団体となるのですが、設立の背景には中学2年生(約20年前)から抱いていた想い、そして震災で気づいた「コンセントの先」がきっかけでした。
今回はそうした2つの大きな背景をご紹介したいと思います。


野生児・鈴木が中2で気づいた世界の現状

埼玉県の田舎で野生児のように育った私は小さいころから虫や動物が大好きな子供で、野山をかけまわってはポケットにダンゴムシとテントウムシを入れ、母が悲鳴をあげていました。

そんななか、環境問題を明確に意識し始めたのは中学2年生のとき。
社会の教科書に載せられていた砂漠化された土地の写真、テレビに映る白化したサンゴ、飢えに苦しむ人々や動物たち。

不自由せずに暮らしてきた今までの自分の生活からは想像できない世界が事実としてあることを知り、心をキューっと締め付けられるような何とも哀しいような、切ない気持ちが生まれました。と同時に、
なぜ、森林破壊など自然が壊されていくのか?
なぜ、自然と共にある暮らしのほうがいいはずなのにそれができていないのか?
なぜ、地球温暖化という課題があるのにみんな無関心なのだろうか?
と、たくさんの疑問も生まれてきました。

昔から友達だったダンゴムシ、テントウムシ、ミミズ、生きもの、自然。
それがなくなっていき、さらに人間にとっても悪い状態になっている。
自分自身はのうのうと生きてきたけど、様々な見えない生き物・見えない誰かの犠牲の上に成り立っているかも知れない。
ということで、大好きな生きものを守るためには「今、何かしなければいけない」と使命感を持つようになり、「環境問題を解決する」ことが自分の夢になっていきました。

震災で気付かされたコンセントの先にあるエネルギー問題

高3で生物専攻をした私は、沖縄の大学で海洋生物を専攻することに。
中2の時に見た白化したサンゴ礁の映像が頭から離れなかったのと、ほとんどの友人が東京都内の大学に進学を希望していて、そのレールに乗ったら何だか自分の個性が潰される危機感を感じて地方に飛びました。

埼玉とはまるでちがう文化、世界観、空気感。
毎日夏空のような空、澄み切った海、そしてあたたかい沖縄の人。そんな環境に4年間魅了されながら、少しだけ魚類の遺伝子研究にも足の爪先をつっこみました。

そうして周りが就活をし始めた大学3年生の3月に起きたのが、東日本大震災。
沖縄の家のTVから衝撃的な津波の映像や原発事故の瞬間を目の当たりにし、考えが一変しました。

地球温暖化の原因が温室効果ガスにあり、それの多くがエネルギー利用により排出されているのは知識として知っていました。
でも、震災があったことで、私が今この瞬間も使っているコンセントの先に当然ながらその電気をつくっている人がいること、そうして使っているエネルギーでリスクを背負わされている人がいること、その上でエネルギーを使って大量に温室効果ガスが排出されているということに改めて気づかされました。

コンセントの先を始めて意識するように

今でこそ目に見える食べ物などについては「生産者に感謝」といった言葉などがありますが、それまで目に見えないエネルギーに対して電気をこまめに消す以上は特に意識することもありませんでした。
でも毎日使う電気もガスも、同じ国に生きる誰かが生産してくれていて、その誰かは非常に高いリスクを抱えているかもしれない。そうした裏側を何も知らずにこれまたのうのうと電気やガスを使っていた自分は温暖化を助長するだけでなく、誰か・何かの社会システムのなかでの”加害者”になってしまうかもしれない、という恐れを感じました。

そこから、生物の研究もとても大事だけれど、同様に地球温暖化の原因となっている温室効果ガスの排出をどうにかしないと間に合わない状況が来てしまうのでは?温室効果ガスの排出をどうにかしたいと思うのであれば主要原因であるエネルギーをどうにしかしないといけないのでは?というか民主主義のこの国で、なぜ原子力発電の事故が起きてしまうようなエネルギー政策が採用されているのだろうか?
と、思うようになりました。

最終的に、1人1人の考えや生まれ育った背景も異なる中で、どうやったらみんなでよりよいエネルギーミックスを選べるようになるのか、願わくばそうしてみんなが「これだ!」と思うエネルギーの選択肢が地球にとってもサステナブルなものであってほしいと、合意形成のプロセスに関心を持つようになり、環境問題を文理融合で学べる京都の大学院へ進学を決めました。


・・こんなところがER.立ち上げに至る初期の背景でした。
その後、大学院では「熟議型民主主義とエネルギー政策」を研究題材にしていましたが、とある先輩に誘ってもらって訪れた原子力発電立地地域でのある人との出逢いが私の人生を大きく方向づけることになります。
次回はJust transitionに取り組むに至る決定的な人との出会い、そして紆余曲折ありながらNPO立ち上げに行き着いた流れを簡単にご紹介しますので、お楽しみに!


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