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積読のすすめ

積読(つんどく)とは、まだ読んでない本を何冊も所有していること。積読することに罪悪感を覚える人も少なくないはず。この記事を読めば、そんな罪悪感とサヨナラできるかも。

なぜ積読をすると罪悪感があるのか?(余談ですが、”積読”って”積んでおく”をもじったシャレのような言葉なんですが、今は漢字変換ができるんですね。)

この罪悪感の正体は、おそらく「本は読まなきゃ意味がない。買っただけで満足していてはいけない。知識を得なきゃお金のムダになってしまう」といった強迫観念でしょう。なるほど、確かに本に書いてある知識は読まないと得ることができません。

しかし、考えてもみてください。そんなにせき立てられるように知識を得たところで何になるのてしょうか?そもそも、自分にとって必要だと感じた知識は、自分から嬉々として取りに行くはずです。

そしてもうひとつ。「本を読めば読むほど知識が身に付く」という観念も完全な間違いではありませんが、まったく正しいとも言えません(このことは以前の記事にも少し書きました)。
人間の脳はコンピューターのハードディスクドライブ(HDD)のような作りにはなっていません。本で読んだ知識がそのまま脳に記憶として保存されるわけでもないし、何度も繰り返し読むことで暗記することはできるかもしれませんが、なんでもかんでも暗記によって記憶しようとするのも大変です。

考え方を変えてみましょう。あなたが購入した本は、当然、あなたが読みたいと思って買ったわけなので、その本について何かしら興味があるわけです。

僕の経験を例に挙げると、スピノザというオランダの哲学者が書いた『エチカ』という本を購入しました。岩波文庫で上下巻の2分冊になっていて、数ある哲学書の中でも、もっとも読むのが難しい部類に入ると言われている本です。
僕はこの『エチカ』を読破しました。でも、内容はあまり理解できていません。たぶんスピノザが言ってることの30%くらいは理解してる感じはするのですが、とはいえ、理解できてない部分が多いのに「30%は理解した」と言ってしまうのも変な気がします(「人類は宇宙の10%を理解した」などと言えないのと同じ)。
でもそれでいいんです。気が向いた時に少しずつ読みながら、理解を深められればいい。
そもそも、人類史に残る大天才スピノザが書いた著作を、かんたんに理解できるはずがありません。特に僕のような凡人には。たとええスピノザ研究者であっても『エチカ』の全てを理解している人はいないのではないでしょうか。

というわけで僕の本棚には、まだ読んでない本や読みかけの本、そして『エチカ』のように、一応読んだけどあまり理解できてない本がたくさんあります。つまり「積読本」もたくさんあるわけです。

これは例えてみれば、自宅の本棚が図書館のような役割を担っているということです。そして、このMY図書館の利用方法をシンプルに表すと、「その時に読みたい本を読む」です。
なんだか当たり前のようですが、ポイントは「多くの本が読みかけ状態にある」ということ。つまり、たくさんの本を併読しているのです。
例えば、今僕が読んでる最中の本は10冊くらいあります。でも、この10冊は最初のページから読み進めている本です。ある本の気になった箇所だけ読むということも頻繁にあるので、実際にはもっと多くの本を併読していると言えるでしょう。

このように、「一冊ずつ消化していく」とか「読了したらその本との付き合いはもう終わり」という考え方が僕にはない。だから「積読」していることに罪悪感がないし、むしろ「積読」というネガティヴな概念もあまり持っていません。
例えば「百科事典」や「辞書」を読破していないことを「積読してる」とは言いませんよね。だって、必要な時に調べたり、気が向いた時に読むために、こういった本を購入して所有してるわけですから。それと同じことです。

このような本との向き合い方をすることで、積読することに罪悪感やネガティヴな印象を持つことはなくなるはずです。
積読については、まだ話切った感じがしてないので、おいおい記事にしていくつもりです。よろしければ、またお読みいただければと思います。

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